ドイツのバロック建築

☆その他

【ドイツの建築】ベルサイユ宮殿を手本とする壮麗な建築様式

光沢のある艶やかな大理石と贅沢な金を多用し、印象的な色使いと遊び心のある光の効果を有効的に使ったバロック時代、壮麗な宮殿や城、そして貴族の邸宅は、様々な形を組み合わせた豪華な装飾(時には装飾過多だが・・・)が見られ、見る物を圧倒する天井画と壁画が飾れれているという特徴がある。

17世紀というと、フランスのルイ14世に代表されるように、絶対主義的権力が多くの国で発達した時代であった。 貴族は一般人との違いを強調し、権力と富において互いを凌駕しようとした。 領主たちはこぞって広大な庭園を設計し、紳士はかつらを身に着けて、女性はワスプ・ウェストと呼ばれる、腰のくびれを強調し、ひらひらの付いたドレスを着て、富を誇示しつつ、自らの優雅さを競いあったのだった。

バロック時代の典型的なワスプウエスト(Source:de.wikipedia)

同時に、ルターによる宗教改革への反動として、反宗教改革が勢いに乗っていた時代でもあった。 1618 年から 1648 年までの三十年戦争により、カトリックはドイツでの影響範囲の大部分を再征服し、南ヨーロッパでは常に支配的な宗派であり続けた。 ローマカトリック教会はバロックと呼ばれる煌びやかな芸術と荘厳な建築で信者を感動させようとしたが、その一方でドイツ、オランダ、スカンジナビアの北部の福音主義地域では、バロックの発展は限定的で控え目なものとなった。

ルイ 14 世によって建設されたベルサイユ宮殿は、あらゆるバロック宮殿の手本であるとされた。 太陽王はこの宮殿の建設により、自身の権力を具現化したのだった。ベルサイユ宮殿は、バロック時代とそれに続くどの時代の建物とも比較できないほど優雅な佇まいを誇った建築物であった。

バロック建築の代表、ベルサイユ宮殿(Source:tori-dori.com)

17世紀初頭から バロックは欧州各地にさまざまな形で広がった。 初期バロック (1650 年まで)、盛期バロック (約 1700 – 1730) に区別される。 その後のロココは、後期バロックとして理解されることもあれば、独立した芸術時代として理解されることもある。

《バロック》の呼称は、「不規則な形の真珠」という意味の《バロッコ》に起源があり、バロックは「曲がった」、「グロテスク」、「不均一」と訳された。 バロックに先立つ時代が、単純で簡素化されたデザインを特徴とするルネッサンスであったため、その反動として豊富なフォームが発展する土壌があった。ダイナミックな動き、感情的でメルヒェンチックな要素、または演劇的な表現、官能的な喜びが表わされた様式であった。にもかかわらず、バロックの中心的な要素の 1 つは対称性であり、建築物だけでなく荘厳なバロック様式の庭園にもこの特徴は反映されている。

バロックはすべての芸術にその痕跡を残したが、町を歩いて我々が目にするものは、やはり建設の形をとったものだ。とりわけドイツ南部のバイエルン州やバーデン=ヴュルテンベルク州、バンベルクやアイヒシュテットといった町の旧市街がバロック様式の影響を強く受けている。 諸侯と司教は壮大な邸宅と城を残したが、同時に裕福な市民も自身の為の荘厳なバロック様式の都市宮殿を所有していた。バンベルクでは、当時流行していたスタイルで街全体を輝かせるために、住宅所有者がバロック様式のファサード、装飾的なスタッコ、柱、窓の冠、湾曲した切妻で家を装飾した場合、司教や領主は大幅な減税を約束していた。

宮殿や教会の内部では、壁や天井が輝かんばかりの大理石で豪華に装飾されており、今日でも訪問者を圧倒している。当時の人々は、その過剰なまでの装飾を目にすることで、神の偉大さ、教会の偉大さ、そして領主や建築主の偉大さを感じたのであった。

ルネッサンスの初期には、諸侯の庭園はますますその重要性を増した。 バロック時代には、入念に計画され設計された庭園と公園が宮殿と一体化していた。 幾何学的に配置され、偶然に任せられるものは何も存在しなかった。 自然は支配者の意志に従属し、視線は城へと向けられ、花壇は正確に配置され、梢でさえもバロック様式に整えられた。 噴水、人工のテラス、または古代の神々を模った彫刻が庭園と一体化し、アンサンブルを形成していた。

バロック絵画では、遠近法の奥行き効果が完成を見ていた。 光と影の強調がバロック絵画の特徴と考えられる。 バロック時代の高給取りの芸術家といえば、すぐに数名の有名画家の名を挙げることができる。 特にイタリア人は、フレスコ画と天井画における先駆者と見なされており、ヴュルツブルクの代表的な階段の間を飾った天井のフレスコ画を描いて大金を稼いだジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロなど、ドイツで働いたイタリア人も多く存在する。イタリア人のカラヴァッジョやスペイン人のディエゴ・ベラスケスやバルトロメ・エステバン・ムリーリョも大いに名声を得ていた。オランダでは、裕福なブルジョアジーが我先にと新しい絵画を買い求めた。

オランダの黄金時代は、ピーター・パウル・ルーベンス、ヴァン・ダイク、レンブラント、フェルメールなどの芸術家を輩出したが、これらビッグネームの絵画はドイツでも大人気を博したのであった。

バロックの偉大な作曲家の音楽は、今日でも多くのコンサートで演奏されている。 とりわけ、ヨハン・セバスティアン・バッハ、アントニオ・ヴィヴァルディやゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルがこの時代の代表的な作曲家と言える。

参考:

oppida.de, “Barock – die Herrlichkeit der Herren”, 10.Februar, 2019, https://www.oppida.de/die-schoensten-staedte-deutschlands/architektur/barock/

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