ザクセン兄弟戦争 | 《ナウムブルクの和約》

ナウムブルク

ザーレ川の清冽な流れに洗われ、壮麗な大聖堂が中世の面影を今に伝えるザクセン=アンハルト州の古都ナウムブルク(Naumburg)。石畳の路地を歩けば、家々の窓辺に飾られた花々が風に揺れ、かつてこの地がヴェッティン家(Wettiner)の骨肉の争いに終止符を打った歴史の目撃者であることを忘れさせる。

ナウムブルク市内(筆者撮影)
ナウムブルク大聖堂(筆者撮影)

しかし、1500年以上の時を遡るこの風光明媚な街の記憶には、兄弟が互いに剣を向け合い、領土を分かち、やがて一族の運命を二分することになった「ナウムブルクの和約(Naumburger Friede)」の重みが深く刻み込まれているのである。

事の発端は、1445年の「アルテンブルクの分割(Altenburger Teilung)」に遡る。父フリードリヒ1世(Friedrich I.)の死後、広大な遺領を継承した選帝侯フリードリヒ2世寛大公(Friedrich II.)と、その弟ヴィルヘルム3世勇敢公(Wilhelm III.)の間で領土の線引きが行われた。

しかし、兄が豊かなマイセン辺境伯領を手にした一方で、弟に与えられたのは多額の借財を抱えるテューリンゲン方伯領であった。この不公平な裁定にヴィルヘルム3世は激怒し、現状を打破すべく行動を開始する。

彼は現実主義者であり、軍事力で勝る兄に対抗するため、テューリンゲン史上初となる領邦議会(Landtag)を招集して支援を取り付けるという賭けに出た。

1446年、ついに緊張は決壊し、5年間にわたる凄惨な「ザクセン兄弟戦争(Sächsischer Bruderkrieg)」が勃発。

ワイマール(Weimar)やメルゼブルク(Merseburg)といったテューリンゲンの主要都市はことごとく破壊され、大地は荒廃した。

両者ともに頑なに自説を譲らなかったが、泥沼化した戦闘は双方の経済を破綻させ、もはや継戦は不可能となった。1451年、ついにここナウムブルクにおいて和平の調印がなされ、兄弟の争いは一旦の幕引きを見たのである。

しかし、和解の裏側で燻り続けた火種は、次なる悲劇を呼び寄せる。戦争でフリードリヒ2世側に尽力しながら報われなかった騎士クンツ・フォン・カウフンゲン(Kunz von Kauffungen)が、1455年に王位継承者である二人の王子を拉致する「アルテンブルク王子誘拐事件(Altenburger Prinzenraub)」を引き起こした。

幸いにも王子たちは救出されたが、ヴェッティン家の亀裂はもはや修復不可能であった。

1482年にヴィルヘルム3世が没すると、領土は再び統一されるかと思われたが、フリードリヒ2世の息子たち、エルンスト(Ernst)とアルブレヒト(Albrecht)の間で再び激しい論争が沸き起こった。

1485年8月26日、一族の運命を決定づける「ライプツィヒの分割(Leipziger Teilung)」が結ばれた。長男エルンストは、ワイマールを含む広大な領土と選帝侯位を主張する一方、価値が高いと見たマイセン側の領土を得る者には10万ギルダーの支払いを義務づけるなど、極めて緻密かつ複雑な契約を突きつけた。

この条約により、ヴェッティン家はエルネスティン系(Ernestinische Linie)とアルベルティン系(Albertinische Linie)の二流に分かたれたが、この日を境に両家が再び一つに交わることは二度となかったのである。

16世紀の宗教改革期に入ると、この亀裂は信仰と権力を巡る決定的な対立へと変貌する。

エルネスティン系がマルティン・ルターを保護しプロテスタントの急進派として道を歩む一方で、アルベルティン系は政治的思惑から対立を深め、1547年のシュマルカルデン戦争を経て選帝侯の座までもが弟の家系へと移譲されるという劇的な転換を迎えた。

以後、エルネスティン系はテューリンゲンの地で細分化され、アルベルティン系はザクセン王国としての道を歩むなど、ヴェッティン家は互いに衝突と反目を繰り返しながら、全く異なる歴史の激流へと身を投じていくこととなった。

現在のナウムブルクの街角に立ち、ザーレ川のせせらぎに耳を傾ければ、かつてこの地で和約の書面にペンを走らせた兄弟たちの、複雑な野心と安堵が入り混じった溜息が聞こえてくるかのようである。

分割された領土の境界線は、今では地図上の古い記録に過ぎないかもしれない。しかし、この美しい町を包む静謐な空気の中には、平和を願いつつも権力を追い求めた人々の不屈の意志が、千年を超えて静かに息づいているのである。

参考:

deutschland-im-mittelalter.de, “Sächsischer Bruderkrieg”, https://deutschland-im-mittelalter.de/Militaer/Kriege/Saechsischer-Bruderkrieg

geo.viaregia.org, “Der sächsische Bruderkrieg 1446 – 1451”, Dr. Hans-Joachim Kessler, https://geo.viaregia.org/testbed/pool/editmain/T1_399_Der.saechsische.Bruderkrieg.html

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