バッハラッハ

シュタールエックの秘密の結婚

コブレンツの南に位置するシュタールエック城は、自然の要害に囲まれ難攻不落の城であった。この城には、ホーエンシュタウフェン家のプリンセス、アグネスが暮らしていた。ヴェルフェン家のザクセン公、ハインリッヒ獅子公の息子であるハインリッヒ5世は、敵対していた一族の娘に恋をするのだったが・・・ラインの古城に伝わる伝説。
デュッセルドルフ

焼け落ちたデュッセルドルフ城

ライン川沿いに広がるデュッセルドルフ旧市街。ライン川沿いには多数のレストランが立ち並び、天気のいい日にはプロミナードで多くの人が散歩を楽しんでいる。この辺りにかつてはデュッセルドルフにも城が聳えていた。城はベルク伯爵の平城として1260年...
ヴェッツラー

偽皇帝現る

1285年夏:ヴェッツラーに混乱が走った。皇帝ルドルフ・フォン・ハプスブルクは、帝国都市の門前に野営を設置していた。ルドルフは怒りのまなざしで町を見つめ、このまま町を包囲して破壊すると脅した。ヴェッツラーは破滅の危機に瀕していた。 ...
ワイマール

公爵夫人の図書館

アンナ・アマーリア(Anna Amalia)は、1739年10月24日、ブラウンシュヴァイクのプリンセスとしてヴォルフェンビュッテル城(Schloss Wolfenbüttel)で生まれた。彼女は、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッ...
ポツダム

王のじゃがいも

サンスーシ宮殿の前にあるフリードリヒ大王の墓石を訪れたことがある人なら誰でも、墓石の上とその周りに置かれたジャガイモに気付くだろう。フリードリヒ大王とジャガイモのユニークな関係はドイツでは有名な話だ。人口に膾炙した話のため、どこからが真実...
アウグスブルク

ルターも投宿した教会

歩行者天国となっているアンナ通り(Annastraße)をまっすぐに歩くと、聖アンナ教会(Kirche St. Anna)に出る。この教会は、1321年にゴシックと古典主義の折衷様式で建てられたカルメル派修道会の教会だ。カルメル派...
ベルリン

謎多き美貌の王妃

ベルリンの「博物館の島」にある「新博物館」には、一神教を発明したアクエンアテンの妻、ネフェルティティの胸像がある。この王妃はなぜこれほどまでに人々の関心を集めるのか?そしてベルリンにやってきた理由は?謎多き美貌の王妃の秘密に迫る。
デュッセルドルフ

彫刻家がハンマーで砕いたもの

デュッセルドルフの中心地に建てられた選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムの像。この像はグルッペロの傑作とされたが、選帝侯から寵愛された天才芸術家は同業者からの嫉妬に晒されることとなる。彼らの批評に対するグルッペロの機転に満ちた対応とは?
ディンケルスビュール

町を救った子供たち

かつての帝国自由都市ディンケルスビュールでは、毎年《キンダーツェッヘ》と呼ばれるお祭りが開催される。三十年戦争の頃、スウェーデン軍による侵略から町を救った子供たちを称えたお祭りだ。この日には子供たちが町をパレードする。
ヴォルムス

ブドウ畑に隠された金貨

リープフラウエン教会 町の中心地からは少し離れたライン河畔にこの教会はある。《リープフラウエン》とは《聖母》という意味で、聖母マリアに捧げられた教会だ。教皇ピウス2世の命で教会の建設が始まり、1465年にゴシック様式の教会が...
アウグスブルク

聖アフラ教区博物館

アウグスブルク大聖堂裏にある聖アフラ教区博物館は一見の価値がある。市庁舎の前を通る目抜き通りであるマキシミリアン通り。その端に位置する為に、アウグスブルク大聖堂の裏手に位置する宝物庫は訪問客もあまり多くはない。しかし、この宝物庫には15世...
カイザースヴェルト

大司教が企てた誘拐

1056年から1105年まで統治していたドイツ王であり、神聖ローマ皇帝であるハインリヒ4世は、常に悪い評価を受けてきたと言える。彼と共に帝国権力の衰退が始まり、帝国内の特定権力が台頭したと言われている。ハインリッヒの悲劇は、「カノッサの屈...
ハイデルベルク

ヴェルサイユからの手紙

ライン河畔のハイデルベルク城は、フランスのルイ14世の軍隊に蹂躙され破壊された。この「プァルツ継承戦争」のきっかけとなった人物の一人が、リーゼロット・フォン・デア・ファルツだ。彼女は嫁ぎ先のフランスから3000通にも及ぶ手紙を書き続ける。
シュパイヤー

シュパイヤーに響く鐘

ザリエル朝の皇帝が数多く埋葬されていることからカイザースドーム(皇帝大聖堂)と呼ばれ、世界遺産にも登録されているシュパイヤー大聖堂。ここに埋葬されている皇帝のなかでも、ハインリッヒ4世と5世の親子にスポットライトを当てる。親子の確執と裏切り。そしてシュパイヤーに伝わる伝説とは?
ヴォルムス

《叙任権闘争》の妥協点

世界史の教科書で最初にヴォルムスの名前が出てくるのは、《ヴォルムス協約》( Wormser Konkordat)ではないだろうか。12世紀にローマ教皇と神聖ローマ皇帝の間で結ばれた協約のことだが、ことの発端は10世紀に遡る。 962...
ケルン

消えた少年十字軍

13世紀初頭のケルン大聖堂。ケルンは、ライナルト・フォン・ダッセル司教が東方三博士の聖遺物を大聖堂にもたらしてから、人気のある巡礼地となり、この聖遺物を一目見ようとするキリスト教信者の巡礼の対象となっていた。大聖堂の門前には常に多くの信者...
ウルム

ウルム博物館 

ウルム大聖堂からほど近い場所にあるウルム博物館は、1924年に設立された博物館であり、ウルムにある芸術、考古学、都市の文化史に関する展示物を扱った博物館だ。展示品は、ウルム地域の先史時代および初期の考古学的発見から、ウルムおよびアッパーシ...
ドイツ周辺地域

シャルルの3つの敗北

15世紀、ブルゴーニュ公国のシャルルは、すでに生前から《シャルル・ル・テメレール》(Charles le Téméraire)というあだ名が付けられていた。フランス語の「テメレール」は勇敢公、豪胆公、無鉄砲公、突進公など様々な訳語で説明さ...
リューネブルク

聖ミヒャエリス教会の幽霊

リューネブルクにあるレンガ造りのゴシック様式の教会、聖ミヒャエリス教会。神聖ローマ皇帝オットー1世の側近ヒルマン・ビルングが建設した教会である。この教会には僧侶の霊がたびたび現れるという話が残る。塩の販売で大都市にのしあがったハンザ都市リューネブルク。その歴史の目撃者であるミヒャエリス教会に伝わる伝説を紹介。
バーデンバーデン

ホーエンバーデン城に現れる《灰色の女》

リンブルク辺境伯ヘルマン2世によって建設が開始されたこの城は幽霊の目撃例があった。たびたび目撃されたといわれるバーデン辺境伯夫人の霊はなぜ現れたのか?バーデンの城跡に伝わる伝承を城の歴史とともに紹介。
ドレスデン

子供をもたらす噴水

ドレスデンには子宝をもたらすとされる噴水がある。このコウノトリの像が取付けられた噴水には、なんと既に16世紀から子供を望む人々が訪れていたという。コウノトリが赤ん坊をもたらすシンボルとなったのは何故か?民間に広く流布された伝承をユニークな噴水の歴史と合わせて紹介する。
クレーフェ

美しすぎた肖像画

【アンナ・フォン・クレーフェ】 16世紀、イングランド。時の為政者はヘンリー8世。生涯に8人もの王妃を娶り、うち2名を処刑にした悪名高い君主である。そのヘンリー8世の4番目の王妃は、ここデュッセルドルフの出身だ。名前をアンナ・フォン...
ニュルンベルク

ニュルンベルク最古の教会

このロマネスク様式とゴシック様式が混在するゼバルドゥス教会は、ニュルンベルクの最古の教会と言われるプロテスタントの教会だ。この教会は名前のとおり、《聖ゼバルドゥス》というカトリックの聖人に捧げられている。 聖ゼバルドゥス教会   ...
ベルリン

大国スウェーデンを破った《偉大なる選帝侯》

ベルリンのシャルロッテンブルクに立つフリードリッヒ・ヴィルヘルム像。彼は大国スウェーデンとの闘いに勝利し、《大選帝侯》と呼ばれた人物である。彼は相続した廃墟同然のブランデンブルク辺境伯領を一から立て直し、強国と肩を並べるまでに成長させる。大選帝侯と呼ばれるに至った男の奮闘。
デュッセルドルフ

〈側転する子供〉が町のシンボルになったわけ

デュッセルドルフのシンボル《ラートシュレーガー》(側転小僧) デュッセルドルフの町を歩くと、いたるところで側転する子供の像を目にする。これは、ドイツ語でラートシュレーガー(Radschläger)という側転する子供の意匠だ。日本語に...
ヴィース

ヴィース教会と涙するキリスト像

ミュンヘンの南西に位置するヴィース教会。ドイツでも有数のロココ様式の教会として、世界遺産にも登録されているこの教会には年間100万人もの人が訪れる。しかし、教会の魅力はロココ様式の豪華な漆喰装飾だけではない。この教会には、様々な奇跡を起こしたキリスト像が安置されているのだ。
アーヘン

アーヘンの悪魔

アーヘンのランドマークであるアーヘン大聖堂。聖母マリアを守護聖人としているため、聖マリア教会とも呼ばれる。8世紀の終わり頃、カール大帝はこの大聖堂の中央と西側の建物を自身の宮殿の複合施設の中核として建設したのだった。礎石は795年頃に置か...
リューデスハイム

中世最大の賢女

リューデスハイム近郊の聖ヒルデガルト修道院。ここは中世最大の賢女と言われたヒルデガルト・フォン・ビンゲンと関わりが深い。自身の神秘体験から《道を知れ》という著作を残した彼女は、薬草学にも通じたカリスマであった。バルバロッサこと神聖ローマ皇帝フリードリッヒ1世の未来を予言したとも言われる彼女の波乱に満ちた人生とは?
シュトラウビンゲン

ドナウに消えた花嫁

アウグスブルクの風呂屋の娘、アグネス・ベルナウアーは、ある日バイエルン公爵家のアルブレヒトと出会うのだが・・・シュトラウビンゲンの町でドナウ川に架かる橋には、なぜ彼女の名前が付けられているのか?そこには悲しい物語があった。
ミュンヘン

オクトーバーフェストの起源

ナポレオンの時代に王国となったバイエルンだったが、領民は愛国心を著しく欠いていた。そこでマキシミリアン1世ヨーゼフが一案を出した・・・ミュンヘンで毎年行われる世界的なイベント《オクトーバーフェスト》が始まった理由とは?
アウグスブルク

アウグスブルクが生んだ天才画家

アウグスブルク旧市街に存在したハンス・ホルバインの生家。彼は故郷ドイツよりもイギリスにおいて画家としての名声を博するようになる。アウグスブルクを出て、イングランドでヘンリー8世の寵愛を受けた絶頂期から転落まで。
トルガウ

ブランデンブルクの「もうひとつの奇跡」

エルベ川の西岸にある小さな町、トルガウ。この町は7年戦争において、オーストリア軍とプロイセン軍が熾烈な戦いを繰り広げたことで知られている。オーストリア・ロシア連合軍と対峙した敗北寸前のプロイセン。フリードリッヒ1世はこの難局をどう乗り越えたのか?後に「奇跡」と呼ばれるプロイセンの奮闘。
ヴュルツブルク

悪魔に連れ去らわれたガイラナ夫人

ヴュルツブルクの中央駅を降りると、ひとつの彫像が出迎えてくれる。噴水の上に取り付けられたその像は、この町の守護聖人、聖キリアン(St.Kilian)だ。この噴水は《キリアン噴水》(Kiliansbrunnen)と呼ばれ、1895年に摂政ル...
マイエン

インディージョーンズが捕らえられた城

マイエン近くのビュレスハイム城。建設以降、一度も征服・破壊を経験していないこの中世の城は、映画《インディージョーンズ 最後の聖戦》の舞台ともなった。スピルバーグ監督をも魅了したこの城の魅力とは?
ミュンヘン

王を破滅させた踊り子

ミュンヘンの西、ノイハウゼン-ニンフェンブルク地区には、何世紀にもわたってヴィッテルスバッハ家の夏の離宮であったニンフェンブルク城(Schloss Nymphenburg)がある。 このバロックの宮殿は、180ヘクタールにも及ぶ公園も備え...
インゲルハイム

カール大帝とインゲルハイムの赤ワイン

カール大帝の宮廷があった町、インゲルハイム。息子のルートヴィッヒ1世も頻繁に訪れたこの町は当時から赤ワインの生産で有名であった。白ワインで有名なドイツで赤ワインの生産・・・そこにはカール大帝のワインに対するこだわりが込められていた。ゲーテも訪れたインゲルハイムとワインのお話。
ベルリン

《熊》と呼ばれた伯爵

べリリン・シュパンダウ地区にあるシュパンダウ要塞。ここに建てられた、十字架を掲げる騎士の像は、《熊》とあだ名されたアルブレヒト辺境伯のものだ。この像は、もともとベルリン・ティアガルテンにあるジーゲスアレーにあったが、1979年以降、現在の...
アーヘン

世界を変えたパレルモの皇帝

1215年、男はアーヘン大聖堂でローマ王に戴冠され、その場で聖地奪還のための十字軍を率いることを誓約した。神聖ローマ皇帝フリードリッヒ2世である。フリードリヒはライン河畔の町や、ヴォルムス、シュパイアーにしばらく滞在したあと、シチリア島の...
ブラウンシュヴァイク

獅子王と赤髭

ブラウンシュヴァイク は、中世においては、神聖ローマ皇帝と争ったハインリヒ獅子公の拠点であった。ブラウンシュヴァイクのダンクヴァルデローデ城と ブラウンシュヴァイク大聖堂の前のブルク広場には、この町を象徴するライオンの像が建っている。この...
ブラウンシュヴァイク 

ヴェルフェン家唯一の皇帝

ヴラウンシュヴァイク大聖堂にあるこの像は、ハインリッヒ獅子王の息子、神聖ローマ皇帝となったオットー4世である。彼と一緒に、ヴェルフェン家の帝国の夢が実現した。オットー4世、ハインリヒ3世とイングランドから来たマティルダ妃の息子であ...
ゴータ

ゴータの恋人

フリーデンシュタイン城(Schloss Friedenstein)の南にある宮殿の庭園にあるゴータ美術館(Herzogliche Museum Gotha)は、19世紀に建てられたネオルネッサンス様式の美術館だ。 2013年に再開して以来...
マンハイム

碁盤目の宮廷都市

マンハイムは、ライン川とネッカー川の合流地点に位置する町だ。マンハイムが最初に文献で言及されたのは766年。ロルシュ修道院(Kloster Lorsch)にある文書コレクションに「Mannheim」の記載がある。当時はさほど重要ではない小...
ナウムブルク

ザクセン兄弟戦争

ザクセン=アンハルト州にあるナウムブルクは、ザーレ河畔にある美しい町だ。この町で1500年以上前、ある和約が結ばれた。この風光明媚な町で結ばれた和平条約は《ナウムブルクの和約》と呼ばれる。この和約は、後に《ザクセン兄弟戦争》(Sächsi...
ヴュルツブルク

フランケンワイン

マイン河畔に位置するヴュルツブルクは、ドイツでも有数のワインの産地だ。 ヴュルツブルク中央駅からカイザー通りを進むと、フランケンワインを販売している【ユリウス・シュピタール】に出る。ここはヨーロッパ各地で愛されるフランケンワ...
マールブルク

ルターを悩ませた難問

ヘッセン方伯フィリップ1世と言えば、宗教改革における大立役者である。いち早くプロテスタントの教義を支持し、自身の領土をまずプロテスタントへと統一。1527年にドイツ初のプロテスタント大学、マールブルク大学を設立したことでも知られる。カトリ...
マインツ

ふたつの大聖堂ととある夫婦の話

975年に礎石が置かれたマインツ大聖堂は、シュパイアー大聖堂、ヴォルムス大聖堂と並んでドイツで最も古い大聖堂であり、大聖堂を形作る赤い砂岩は非常に印象深い外観を与えている。マインツのランドマークであり、市民にとってはアイデンティティの一部...
アルテンブルク

アルテンブルク王子誘拐事件

ライプツィヒから南に50キロの地点にアルテンブルクという町がある。この町は976年、神聖ローマ皇帝オットー2世によってはじめて言及されている。この町を訪れた皇帝は多く、ロタール3世、コンラート3世、ハインリッヒ6世、オットー4世、フリード...
デュッセルドルフ

ベンラート城

デュッセルドルフ中央駅から南に10キロほど下ったところに、ベンラートという地区がある。ヨハン・ヴィルヘルム亡きあと、選帝侯位を継いだカール・テオドールは、文化や学芸の振興に熱心であり、ここにベンラート城を建設している。もともとこの場所には...
ゴータ

黒羊と噛まれた公爵

ゴータ(Gotha)の町の行政区にフリードリヒローダ(Friedrichroda)と呼ばれる地区がある。そこには、ラインハルツブルン城(Reinhardsbrunn)と呼ばれる城がある。この城に付随する教会には、マイセン辺境伯ならびにテュ...
ニュルンベルク

網で焼かれた聖人

【聖ロレンツ教会】《ハンドヴェルカー・ホーフ》を抜けて旧市街に入り、一番最初に目にする教会が聖ロレンツ教会だ。この教会は13世紀から15世紀にかけて建築されたゴシック様式の教会で、正面の美しいバラ窓でも知られるニュルンベルク最大のプロテス...
メーアスブルク

ダゴベルト1世とドイツ最古の城

ボーデン湖(コンスタンツ湖)の湖畔に位置する小さな都市、メーアスブルク。観光業とワインの生産で有名だ。湖の対岸にはコンスタンツが位置しており、船を利用すれば30分ほどで対岸へと渡ることができる。 この町にあるメーアスブルク城のなかで...
デュッセルドルフ

メディチ家の花嫁

イタリアはフィレンツェのアルノ川沿いにウフィツィ美術館が建っている。いつも大勢の訪問者が行列をなしているが、入館の番が回ってきて、館内に一歩踏み入れると、頭上に一人の貴婦人の肖像画が目に留まる。美術館で最初に目にする肖像画だ。 アン...
クヴェトリンブルク

消えた黄金の福音書

クヴェトリンブルクは、ザクセンアンハルト州のハルツ地域にあるボード河畔の町だ。 文献では922年に初めて言及され、994年に町の勅許が与えられた。クヴェトリンブルクの建築遺産は、1994年以来、ユネスコの世界文化遺産に登録されており、毎年...
ブレーメン

破壊された農民の国

ブレーメンの北西、アルテネシュ(Altenesch)には、とある戦争の記念碑が建てられている。これは、12世紀に起こった《シュテディンガーの戦い(Stedingerkrieg)》の中の、局地戦として知られる、《アルテネシュの戦い(Schl...
ハーメルン

ハーメルンの笛吹き男

ドイツ、メルヘン街道にあるヴェーザー川沿いの町《ハーメルン》。ここには「ハーメルンの笛吹き男」に関する資料を多く展示する《ハーメルン博物館》がある。700年前にハーメルンで起こった失踪事件。130人の子供たちはどこに消えたのか?
デュッセルドルフ

インマーマン通りの名前の由来

デュッセルドルフの目抜き通り、インマーマン通り。日系企業が多数活動するデュッセルドルフには、駐在員や家族を含めて5,000人もの日本人が暮らしている。インマーマン通り周辺はリトル・トーキョーとも呼ばれ、日本食レストランが軒を連ねている。2...
ケルン

ケルン大司教列伝 ①

ケルン大司教はドイツと神聖ローマ帝国のなかで重要な役割を担ってきた。中世以来、ケルン大司教は、《選帝侯》という神聖ローマ皇帝を選ぶ特権をもつ諸侯のひとりであった。カール4世が定めた金印勅書以来、この選帝侯は帝国内にわずか7名しか存在せず、...
ドイツ周辺地域

バレンタインのポグロム

1348年にシュトラスブール市当局に届いたのは気がかりなニュースであった。その後、未知の病気が町全体を襲い、わずかな期間に市民を一掃した。 同時に、発生した暴動は町の秩序をあっという間に破壊してしまったのだった。しかしこの時に行われ...
シュヴェーリン

バルドウィックの奇妙な挨拶

シュヴェリーンのマルクト広場には奇妙なモニュメントが建てられている。ひし形をした柱の上部には、うっすらにやけたような顔のライオンが左足を揚げ、今にも前に歩き出しそうな様子で佇んでいる。1995年、メックレンブルク創設1000年を祝すととも...
デュッセルドルフ

ウォリンゲンの戦い

1288年6月5日、ヴォルリンゲンの南にあるフューリンガーハイデの朝に始まる。これは、ラインの左岸にあるケルンと右岸にあるデュッセルドルフの間の最も重要な場所であった。 725年前、2つの強力な騎士の一団が向かい合って整列していた。...
ヴォルムス

ニーベルンゲンの町

ヴォルムス市の公式ホームページには、『ニーベルンゲンの町、ヴォルムス』とあるとおり、ヴォルムスはニーベルンゲンの歌とつながりが深い町だ。ヴォルムスは紀元前のケルト時代にはすでに集落が形成されていて、ドイツで最も古い歴史を誇る町の一つである...
デュッセルドルフ

シューマンとクララの恋の行方は?

シューマンは、1810年、5人兄弟の末子っとしてツヴィッカウ(Zwickau)で生まれている。シューマンは幼いころからハイネの詩に触れ、シューマンが17歳の時に一度だけミュンヘンでハイネと出会っている。 シューマンの歌曲の多くは18...
ケルン

皇帝妃の誤算

悪名高いローマ皇帝ネロの母親、アグリッピーナはケルンの出身であり、かつてケルンは《コロニア・アグリッピーナ》と呼ばれていた。血縁、美貌、謀略を使い、権力の座を手に入れたはずの彼女に何が起こったのか・・・アグリッピーナの誤算とは?
カイザースヴェルト

クリミアの天使

【フローレンス・ナイチンゲール】 カイザースベルトでその名前忘れてはいけない人物がこの人物。フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)だ。 フローレンス・ナイチンゲール 工業化時代の始まりを...
ヴェルニゲローデ

ハルツ地方のカラフルな町

ザクセン=アンハルト州ハルツ山地の麓にあるヴェルニゲローデは、ゲーテやハイネも訪れた場所だ。魔女伝説で有名な場所でもあり、丘の上に聳えるヴェルニゲローデ城は《ラプンツェル》のモデルにもなった。市庁舎は「ドイツで最も美しい」との呼び声も。
ミュンヘン

ミュールドルフの戦い

13世紀から14世紀にかけて、神聖ローマ帝国の皇帝位を巡って、ハプスブルク家、ルクセンブルク家、ヴィッテルスバッハ家の3家が激しく争っていた。1291年、ハプスブルク家の皇帝ルドルフが亡くなった後、ハプスブルク家の影響力の高まりを抑えるた...
エッセン

エッセン ルール美術館 特別展《ライン・ルール地方の貴族》

この特別展では、中世初期から現在までのライン川とルール地方の貴族の歴史全体の概要を初めて紹介している。ユネスコ世界遺産に登録された高さ12メートルの壕の中で、約160の美術館から借りたアーカイブ、図書館、個人コレクションなど、80...
ハイルブロン

鉄腕ゲッツ

ハイルブロン近郊を根城とし、誘拐、強盗、私闘と数々の悪事を働いてきた「鉄腕ゲッツ」こと、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン。ゲーテの作品で紹介されるまでは忘れ去られた存在であった。神聖ローマ皇帝マキシミリアン1世にも盾突いた強盗騎士ゲッツの人生。
リンブルク

市長になった強盗騎士

リンブルクの広場に建てられた、樽を掲げた男の奇妙な銅像。この男の名は、フリードリッヒ・フォン・ハットシュタイン。高貴な生まれながら、強盗騎士に身をやどし、最後はリンブルクの市長になったのだが・・・その波乱の人生とは?
ザンクト・ゴア―ルスハウゼン

ラインの精霊 ローレライ

ザンクトゴア―ルスハウゼン近くの《ローレライ》では、その昔、夕暮れに美しく若い女性が目撃されることがあった。この女性は美しい声で歌い、その歌声を聞いた船人はかじ取りを誤り、ライン川に飲み込まれたのだった。伝承と観光地としてのローレライに迫る。
アルツェナウ

妻に救われた騎士

ハーナウ近郊に《アルツェナウ》という町がある。行政区分上はアシャッフェンブルク市に属し、ハーナウのあるヘッセン州ではなく、バイエルン州に属するのだが、アシャッフェンブルクからよりも、ハーナウからのほうがアクセスが良く、クルマでも2...
ドイツ周辺地域

シュタウフェン朝の終焉

フリードリッヒ2世。バルバロッサと呼ばれた神聖ローマ皇帝フリードリッヒ1世の孫にして、第6回十字軍においてエルサレム無血開城を実現した人物である。フリードリッヒ2世は、1209年、コンスタンサ・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ(Const...
ケルン

ケルンに眠るギリシャ人の皇妃

ケルン大聖堂を南へと歩くと、30分ほどのところに、パンタレオン教会(St. Pantaleon)に到着する。ケルンの初期ロマネスク様式の教会であり、 ケルン旧市街にある12の大きなロマネスク様式の大聖堂のひとつである。教会は名前の由来とな...
ハーナウ

破壊後も残された二重教会

《ワロン・オランダ教会》(Wallonisch-Niederländische Kirche)は、グリム兄弟の銅像が立つ町の中心にある広場から、歩いて3分ほどのところにある。教会を囲むように新興住宅が立ち並んでいるので、一種独特の...
ヴォルムス

ルター破門の場所

マルクト広場を出て、ノイマルクト通りを行くと、町の一番のアトラクションであるヴォルムス大聖堂が見えてくる。4つの円柱塔と2つの大きなドームをもつロマネスク様式の大聖堂である。 ヴォルムス大聖堂は、その入場の順番を巡ってジーク...
ローテンブルク

ローテンブルク博物館

現在のローテンブルク博物館は、2019年まで帝国都市博物館(Reichsstadtmuseum)と呼ばれていた。以前はドミニコ会修道院であった場所に建てられた博物館には、絵画、彫刻、武具など3万点にも及ぶ展示品が納められている。北イタリア...
オーバーヴェ―ゼル

オーバーヴェーゼルの7人の乙女

ライン河畔に聳えるかつての帝国自由都市、オーバーヴェ―ゼル。かつてこの町に存在した城には、美しい7人の乙女が暮らしていた。彼女たちに求婚する騎士が絶えずこの城を訪れるのだが・・・ヴィルヘルム・ルーランドによる《ラインの伝説》に収められた話を紹介する。
ヴォルムス

宗教改革者たちの記念碑

ヴォルムス中央駅を出て、ヴィルヘルム・ロイシュナー通り(Wilhelm-Leuschner Str.)をまっすぐに歩くと、まず最初に見えてくるのが、ルターの記念碑だ。ルターだけでなく、ヨーロッパの宗教改革に影響を与えた錚々たるメンバーの銅...
マイセン

マイセン大聖堂

マイセン大聖堂は、アレッツォの聖ヨハネスと聖ドナトゥスに捧げられており、二人の聖人の名前が付けられている。アレッツォの聖ドナトゥス(Donatus von Arezzo)は、Meissenの主教区の守護聖人であり、今日のDresden-M...
マグデブルグ

マグデブルクの結婚式

1631年5月20日にマクデブルクで起こったことは、三十年戦争と人類の歴史の中で最も暗い章の1つであると言われている。《マクデブルクの結婚式》として歴史に残るこの事件は、25,000人以上の命を奪ったと言われる。日本語では《マグデブルグの...
カッセル

売られたヘッセン兵

カッセルのフリードリッヒ広場(Friedrichsplatz)には、ヘッセン=カッセル方伯フリードリッヒ2世の像がある。フリードリッヒ2世はオーストリア継承戦争でカール7世アルブレヒト(Karl VII. Albrecht)皇帝のためにヘ...
オスナブリュック

皇帝を絶望させた敗戦

「トイトブルクの戦い」もしくは、「トイトブルク森の戦い」ー世界史の授業では、こう習ったのではないだろうか?紀元9年、ローマ帝国が初代皇帝アウグストゥスだった時代、帝国は将軍ヴァルスに3軍団を指揮させ、ゲルマン人鎮圧に充てたが、 アルミニウ...
デュッセルドルフ

デュッセルドルフの吸血鬼

19世紀、デュッセルドルフ市民を恐怖のどん底に陥れた連続殺人事件が発生した。男はデュッセルドルフ中央駅を中心に次の犠牲者を探していた。被害者の血を飲んだという噂から、《デュッセルドルフの吸血鬼》と呼ばれたペーター・キュルンテン。この男を犯行に向かわせたものは一体何だったのか?
ケルン

1074年の蜂起

ケルンは古くからカトリック教会の力が強いところであった。この時代のケルンを治めていたのは、アンノという司教であった。アンノ大司教はこの時代のほとんどの司教や大司教がそうであったように、司教領・大司教領の領主でもあった。教会の運営に留まらず...
バンベルク

バンベルク ー 魔女裁判の記憶

17世紀、バンベルクは魔女狩りの中心地であった。魔女を閉じ込める特殊刑務所が設立され、容疑者には無制限の拷問が行われた。バンベルクのガイヤースベルト城には、この町で行われた魔女狩りの犠牲者を追悼する記念碑がある。ついには神聖ローマ皇帝まで動かしたバンベルクの魔女裁判とは?
ケルン

恋に落ちた大司教

1577年12月5日、ケルン大聖堂で新しい大司教を選ぶ選挙が行われた。候補者は2名。バイエルン公アルブレヒト5世の末息子エルンストとヴァルトブルクの司教、ゲープハルト2世である。 マクシミリアン皇帝とグレゴリウス13世は、エルンスト...
アウグスブルク

ドイツでいちばん有名な人形劇

【アウグスブルガ―・プッペンキステ】 多くのドイツ人が、《アウグスブルク》と聞いて最初に頭に思い浮かぶのは、この《アウグスブルガー・プッペンキステ》(Augsburger Puppenkiste)かもしれない。 wuv.de ...
ニュルンベルク

大地のリンゴ ー世界最初の地球儀ー

【ゲルマン国立博物館】ニュルンベルクにあるゲルマン国立博物館は、ドイツ最大の文化史博物館であり、ニュルンベルク生まれの巨匠、アルブレヒト・デューラーの作品も多数展示されている。また、若き日のデューラーが師と仰いぎ、自身のロールモデルとした...
ニュルンベルク

皇帝も認めた天才画家

【アルブレヒト・デューラー】 ニュルンベルクを語るうえで欠かすことのできない人物が、アルブレヒト・デューラーだ。デューラーはニュルンベルク出身の画家・版画家で、北方ルネッサンスの巨匠と呼ばれる人物だ。イタリアルネッサンスの影響を多分...
ウルム

世界一の高さを誇る教会

世界で一番高い宗教建築と言われるウルム大聖堂。その高さは、ケルン大聖堂や、バチカンのサンピエトロ寺院、パリのノートルダムをも凌駕する。第二次世界大戦の被害も奇跡的に免れたが、「世界一高い」という称号は間もなく手放すこととなる・・・
シュパイヤー

嘲笑された貧乏皇帝

中世には、帝国自由都市として、シュパイアーはドイツ国家の神聖ローマ帝国の最も重要な都市の1つであった。シュパイアーを有名にしている大聖堂は、現存する世界最大のロマネスク様式の教会であり、1981年以来ユネスコの世界遺産に登録されている。 ...
コンスタンツ

皇帝と教皇と売春婦

今から600年以上前、ここコンスタンツでは、《コンスタンツ公会議》と呼ばれる宗教会議が開かれていた。公会議というのは、ローマ=カトリック教会の教義を決定する為に、ローマ帝国皇帝や教皇が開催する最高会議のことだ。325年に開かれた第1回公会...
ラントシュトゥール

フランツ・フォン・シッキンゲンのナンシュタイン城

ラントシュトゥールにあるナンシュタイン城。ここには伝説の騎士、フランツ・フォン・シッキンゲンが暮らしていた。ここを拠点に戦争と私闘によって勢力を伸ばし、一時は神聖ローマ皇帝フリードリッヒ1世にも仕えた男は、絶大な権力を誇ったトリーア大司教に戦いを挑む。伝説の騎士の運命は?
マインツ

グーテンベルクが起こした革命

マインツのグーテンベルク博物館には、彼の偉業を讃える多くの展示物がある。彼が発展させた活版印刷術により、贖宥状(免罪符)の販売が促進され、ルターの宗教改革へとつながり、やがてドイツ語聖書の大量印刷と普及へとつながる。マインツが生んだ発明家の軌跡をたどる。
ツェレ

孤独な王妃と野心家の医師

ツェレにある聖マリエン教会。ここにはデンマーク女王キャロライン・マティルデが眠っている。彼女はデンマーク兼ノルウェー王であるクリスティアン7世にわずか15歳で嫁いだ。宮廷で退屈な生活を送っていた彼女は、夫の主治医であるストゥルエンゼーに惹かれるようになるが・・・野心家の医師に恋した彼女の運命は?
シュパイヤー

コンラートとハインリッヒ

シュパイヤーに大聖堂を築いた神聖ローマ皇帝コンラート2世と、その跡を継いだハインリッヒ3世。二人のザリエル朝の皇帝は、帝国に強大すぎる皇帝権力を生んだが、それをよく思わない勢力も存在した。二人が治めた帝国は、《カノッサの屈辱》で有名なハインリッヒ4世へと受け継がれていくのだが・・・
ニュルンベルク

中世から続くクリスマスのお菓子

ドイツでクリスマスシーズンに好んで食べられるレープクーヘン。12世紀にはじまるこのお菓子の起源と、日本でも人気のシュトーレンやバウムクーヘン、そしてハンガリーが起源のキュルテシュコラーチュなども紹介。
フルダ

ドイツ人の使徒 ボニファティウス

フルダ大聖堂。この場所に埋葬されているのが、イングランドから来たベネディクト会修道士のボニファティウスだ。ゲルマンの風習が色濃く残るドイツで、キリスト教を伝道した宣教師は、現地の言葉を用いて布教を行っていく。「ドイツ人の使徒」と呼ばれるボニファティウスの物語。
ハレ

ドイツで最も有名なクリスマスキャロル

ハレ大学の卒業生、アウグスト・ザルナック。彼はドイツのクリスマスの定番曲《おお、タンネンバウム》を作詞した。世界中で口ずさまれ、ドイツでは誰もが知るこのクリスマスソングの意外な誕生秘話とは?
ブレーメン

ブレーメン大聖堂博物館

ブレーメンの聖ピエトリ大聖堂にある大聖堂博物館は、1987年、中世の司教の墓から出土したものを収蔵するために設立された。1973 年から 1976 年にかけて大聖堂が修復されていた時に、発掘調査が同時に行われた。 3 年間にわたる発掘調査...
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