ネアンデルタール人はどこから来たのか? | ネアンデールタール博物館

デュッセルドルフ

約170年前にこの場所で行われた発見は、単に「ネアンデルタール人の骨が見つかった!」という話ではなかった。まさしくこの瞬間に、現代的な科学としての古人類学が誕生したのである。今となっては想像するのも難しいが、人間が進化の過程を経て発展したものだとは、まだ誰も考えなかった時代である。170年前は《進化論》など知られていない時代である。この発見により、デュッセルドルフ近郊の地さな谷であった《ネアンデルタール》の名前は世界中の人々の知るところとなった。そして、現生人類の謎が少しずつ解き明かされることになるのだ。

ネアンデルタール博物館(筆者撮影)

ネアンデルタール博物館

デュッセルドルフから東に約10㎞。エアクラート(Erkrath)とメットマン (Mettmann)という町の中間地点にネアンデールタール博物館はある。 ここはネアンデルタール人の骨が最初に発見された場所である。ネアンデルタール博物館は、子供たちでも楽しめるようなインターアクティブな博物館であり、展示の仕方にも趣向を凝らしている。日曜や祝日に行くと、訪問客のほとんどは子供たちである。博物館からタール通り(Talstrasse)を挟むと、そこには子供たちの遊び場が設けられており、子連れの家族でいつもにぎわっている。ネアンデルタール駅からは徒歩で300メートルほど丘を下ると右手に博物館が見えてくる。

ネアンデルタール駅(筆者撮影)

ネアンデルタール(「タール」は谷の意)は、この地を流れるデュッセル川によって深さ50メートル、長さ800メートルの谷を形成していた。自然が残るこの美しい谷は自然愛好家や画家が好んで訪れたが、石灰岩の採掘がわずか数十年でこの自然風景を破壊してしまった。1921年、谷の一部が自然保護の対象となった。その甲斐あってか今日では谷の自然破壊は止まり、珍しい動物や植物が観察できる場所となっている。

ネアンデルタールの自然(筆者撮影)

ネアンデルタールの地名の語源は、ヨアヒム・ネアンダー(Joahim Neander)という作家に由来する。この人物の写真が博物館に入ってすぐのところに飾られている。彼はもともとヨアヒム・ノイマンという名前であったが、父親がギリシャ語風のネアンダーと付け替えたのだった。ネアンダーは1674年から79年までデュッセルドルフのプロテスタントコミュニティーのラテン語学校の学長を務めた。この間、何度か現在のネアンデルタールを訪れ、作品のインスピレーションを得たと言われる。しかし、彼のデュッセルドルフは長くは続かず、教会組織との争いの後、故郷であるブレーメンへと戻ったが、結核によりわずか30歳でその生涯を閉じている。後年、彼が頻繁に訪れた谷は、彼の名前を取って「ネアンデルの谷」という意味の《ネアンデルタール》と名付けられた。

ヨアヒム・ネアンダーの肖像画(筆者撮影)

ネアンデルタール人発見のニュース

ここにネアンデルタール人が存在したという事実は、150年前に、先史時代の人間の頭蓋骨がメットマンの近くのフェルトホッファー洞窟(Feldhofer Grotte)で発見されたときに明らかになった。石灰岩の採掘作業員が発見し、最初はクマの骨かと考えたが、ボン大学へと送られた。

発見された遺骨は16の骨から成っていた。1856年8月、フェルドホーフ洞窟を一掃する際、採石労働者が発見している。ネアンデルタール人の遺跡発掘のニュースは、1856年9月9日の新聞《バルマービュルガーブラット》(Barmer Bürgerblatt)に記事が掲載されている。

発掘について知らせる新聞

最近の調査では、19世紀に発見された人骨と完全に合致する3つの骨の破片が発掘されている。放射性炭素技術を使用した追加調査が行われ、1856年に発見された骨が約4万年前のものであることが証明された。

この発見の3年後、チャールズ・ダーウィンは、《種の起源》を発表している。以下、ダーウィンの《種の起源》のドイツ語初版(1860年)。この本は大きな論争を巻き起こした。《神は6日間で世界を作りたもうた。》旧約聖書で説明されていた人類創造の歴史は、長年にわたり、キリスト教における既成事実であり、議論の余地のない事実であると信じられてきた。しかし、地質学的発見の増加により、さらに下層部の地層は聖書で示されている時代よりもさらに古いはずであることが明らかとなった。そしてこれらの層のなかに古代の生物の生命を表す骨が発見された。こういった事実はどのように聖書と調和するべきなのだろうか?1859年には大きな議論が巻き起こった。植物や動物はその原型から無数の段階を経て今日の形へと発達し、さらに発展し続けていた。そして人間でさえもこの進化の対象であった。

ダーウィンの《種の起源》ドイツ語版(筆者撮影)

エルバーフェルト(Elberfeld)の教師、ヨハン・カール・フルロット(Johann Carl Fuhlrott)はフェルトホーファー洞窟で発見された骨を最初に調査し、保管した。彼はこれらの骨を最初から氷河期の人類の骨であると考え、《ディルビウム》と名付けた。この時代、研究者の多くが太古の人類の存在を疑っていたなかで、フルロットの見地は批判を恐れない勇敢な態度であったと言える。1877年、フルロットはその偉大な功績が認められないまま、この世を去っている。

フルロットの学説に真っ向から反対したのが、著名な学者であるルドルフ・ヴィルホフ(Rudolf Virchov)であった。彼の否定的な態度は何十年にも渡ってドイツにおけるネアンデルタール人の研究を妨げたのだった。

ヨハン・カール・フルロット
ルドルフ・ヴィルホフ

非常に残念なことに、ヨハン・カール・フルロットは記録を残さなかった為、発掘された洞窟の正確な場所は忘れ去られてしまった。1997年と2000年になって、考古学者ラルフ・シュミッツとユルゲン・ティスンは採石場の麓のエリアで発掘場所を再発見している。石灰石の瓦礫が溜まった4メートル下で、石灰岩の壁の洞窟を満たしていた粘土の層を発見した。そこには石器や動物の骨だけでなく、人骨の破片も含まれており、1856年に発見された骨格に正確に収まるもののも含まれていた。

発見されたネアンデルタール人の骨のレプリカ、オリジナルスケール(筆者撮影)

人類の進化とネアンデルタール人

《人類の進化の歴史》(Source:history.com)

我々が学校の教科書などで一度は目にしたこの図。人類の進化が6段階で説明されたものだ。左から、ドリオピテクス(Dryopithecus)、オレピテクス(Orepithecus)、ラマピテクス(Ramapithecus)、ネアンデルタール人、クロマニョン人、ホモサピエンスである。ドリオピテクスは、1300万年から800万年前に生息していた類人猿の属で、1856年にフランスで遺骨が発見された。オレピテクスはイタリアに生息していた類人猿の一種で、1365万年から725万年前に生息していた。ラマピテクスは、1200万年から600万年前に生息し、人類の祖先と考えられたが、後の研究でヒト科と認める説は否定された。そしてネアンデルタール人を挟んで、クロマニヨン人が登場する。クロマニョン人は1868年に南フランスのクロマニヨン洞窟で発見され、後にヨーロッパや北アフリカ各地で発見された。現在のヨーロッパ人の祖先の一部だとされている。ホモ・サピエンスに属し、コーカソイドに入る。そして右端が、現生人類であるホモ・サピエンスである。

この図を見ると、まるで同一種が時代と共に進化し、現生人類に行きついたという印象を与える。ネアンデルタール人が進化してホモサピエンスになったように見えるが、ネアンデルタール人とホモサピエンスは別系統であり、彼らは4万年前まで共存していた関係であった。

人類の歴史はアフリカで始まった。900万年から700万年前に自然環境に大きな変化が起こった。気候変動により、熱帯雨林が縮小したのだ。この頃、人類は二足歩行によって湖や河川地域を歩き回っていた。

300万年から200万年前、アフリカの気候は暖かい時期を挟みながら、徐々に涼しく、乾燥していった。異なるヒト族(Hominini)は、変動する生活条件に異なる適応を行った。彼らはサバンナ、森林地帯、海岸地帯に生活しており、草、果物、根、昆虫などを食していた。彼らの異なる適応が体つきにも反映されていった。

ホモ属は約250万年前、岩から石器を作った最初の人類であるホモ・ハビリス(Homo habilis)から始まった。これまでに発見された最も古い種が200万年前のホモ・エレクトレスであり、この頃すでに典型的な人間の特徴ははっきりと認識されていた。脳が発達し、二足歩行で移動し、身長が大幅に伸びていた。一方、彼らの歯は小さくなり、体毛も薄くなった。石と木により様々な道具を作り、子孫を世話するようになった。

ホモ・エレクトレスの模型(筆者撮影)

ホモ・エレクトスは、アフリカからアジア、ヨーロッパへと移住した。ホモ・エレクトスから進化したのがホモ・ハイデルベルゲンシスであり、さらにホモ・ハイデルベルゲンシスがネアンデルタール人へと進化した。

ホモ・エレクトスの骸骨 (筆者撮影)

ホモは2本の後ろ足だけで歩き始めた。脊柱と骨盤はこの動きに適応していった。両手はフリーになり、幼児や食べ物、道具を運べるようになった。ホモ・エレクトスはすでにアウストラロピテクスよりも大きかった。体のなかで足が特に発達し、機動性が向上した。これは広大なサバンナにおいて大きな利点であった。彼らは大きな野生動物を捕獲し、食物や衣類に処理できるような力を得た。

この頃から、父親が子供たちの養育に積極的にかかわるようになる。女性が体毛を失い、子供たちはしがみつく毛皮を失ってしまった。子供たちは重荷となり、どこに行くにも運ぶ必要がでてきた。子供たちは不器用で、絶え間ない監督が必要であった。その結果、父親は彼らを養い、世話を手伝う必要がでてきた。両親はより緊密に結びついた社会単位を形成した。父親が子孫の育成に積極的に関与するようになって、新しいタイプの社会的交流が生まれたと考えられる。

博物館内部の様子(筆者撮影)
博物館内部の様子(筆者撮影)

ネアンデルタール人の存在が明らかになってから、人類は常にひとつの質問を投げかけてきた。我々のこの遠い親戚は一体誰だったのか?長い間、研究者たちはネアンデルタール人が占める場所について議論してきた。ネアンデルタール人はホモサピエンスの地域集団、つまり現代人の発達の中間段階だったのだろうか?研究者たちは現在、遺伝子分析でこの謎を解こうとしている。

2010年5月、遺伝学者のチームは、10年間の作業の後、ネアンデルタール人の遺伝物質(ゲノム)の解読に成功し、我々のDNAの1から4パーセントがネアンデルタール人に由来することを発見した。つまり、ネアンデルタール人と現代人はヨーロッパと中東で一緒に生活している間に交配を行い、子孫をもうけた可能性が大きい。 現生人類は自身の中にネアンデルタール人のDNAを含んでいる。

分布図。南のピンクがホモサピエンス。グリーンがネアンデルタール人。グレーがデニソワ人。

ネアンデルタール人は氷河期の生活条件に理想的な適応を示した。しかし、この「氷河期」という用語は使用に注意が必要である。ネアンデルタール人が存在した25万年の間、ヨーロッパでは必ずしも極寒であったわけではなく、1万年から1万5千年続いた間氷期と呼ばれる温暖な時期もあった。その為、ネアンデルタール人は極端な気候変動に対処しなければならなかった。おそらくこれが、ネアンデルタール人が現代人と解剖学的に異なる理由の1つである。

アフリカの温暖な気候の中で発達した現生人類、ホモ・サピエンスは原始のヨーロッパ人よりも背が高くて痩せていた。骨の分析によると、ネアンデルタール人は背が低く、ずんぐりしていて、平均して身長は160センチ程度だった一方、体重は60から80㎏でかなり重かった。ネアンデルタール人は筋肉質で、頑丈な骨格を持っていた。彼らの頭蓋骨は細長くて平らで、ネアンデルタール人の脳は平均して我々の脳よりも大きかった。

ネアンデルタール人の模型(筆者撮影)

後頭部が後ろへと伸びていることは、彼らの聴力が良く、夕暮れ時に目がよく見えたことを示唆している。目の上に大きな膨らみがある平らな額、強力な顎も、ネアンデルタール人の典型である。また、彼らは非常に大きな副鼻腔を持っていたので、寒い気候にも耐性があった。冷気は肺に到達する前に加熱・加湿されていた。

歯も亡くなった個体の年齢、成長、健康や栄養状態を探る上で貴重な情報源である。生まれてから、歯は層を重ねるように成長してく。子供の歯の平均成長率に基づいて専門家は年齢を判断できる。中央切歯の長くて深い亀裂や擦り傷は、前歯を「第三の手」として使用していた可能性を示唆している。衣類を作るときなど、動物の皮を削るときになどには役立ったはずである。歯で何かを保持したり、引っ張ったりすることで、歯への圧力が繰り返し増加したため、歯の新しい層が形成され、根本の強度にさらに貢献したようだ。最近の分析は、ネアンデルタール人がすでに根、塊茎、種子などのでんぷん質の食べ物を食べていたことがわかっている。

中央と右端がネアンデルタール人の下顎(筆者撮影)

ネアンデルタール人の驚くべき社会性

ネアンデルタール人は残忍な類人猿で、原始的だというイメージは今では古いものとなっている。ネアンデルタール人は以前考えられていたよりもはるかに文化的だった。彼らは火を起こし、マンモス、トナカイを狩る狩猟民族であった。道具が使用されるようになった最初期の発掘は330万年前のものである。これはホモ属のものではなく、アウストラロピテクスまたはケニアのスロプス(thropus)であった。彼らは道具を使って動物を解体したり、ナッツを割ったりしていた。石でできた道具も作られていた。ネアンデルタール人は、特に狩猟のために先端に石が取り付けられた槍を作った熟練した工具製作者であった。石器のいくつかには鋭い刃があった。

石で道具を作るネアンデルタール人(筆者撮影)

彼らの生活は危険に晒されており、発見されたほぼすべての骨は怪我をしていた。イラクでは古生物学者が骨折をしたネアンデルタール人の遺骨を何度か発見した。この個体は左側の頭蓋骨の怪我のために片方の目が見えず、右前腕が欠けていたが、35歳から40歳くらいまで生存したと思われる。

このことは、ネアンデルタール人が社会的に組織されおり、社会的な弱者も別の個体の世話を受けて生活していたことを示唆している。イスラエルのケバラ洞窟で舌骨が発見されたことは、彼らは話すことができたことを示唆している。下顎と喉頭の間にある舌骨は、言葉を発声する際の下の動きをサポートするが、これは我々の舌骨の働きと同じである。古生物学者は、ネアンデルタール人のDNAからFOXP2という遺伝子を特定している。この遺伝子は我々の言語能力を司っているものであり、理論上はネアンデルタール人も我々と同様に話すことが可能であった。彼らが実際に話したかどうか、そしてその言語がどのように話されたかを再構築することはできていない。

ネアンデルタール人の舌骨(筆者撮影)

また、ネアンデルタール人は彼らの死者の一部を埋葬したと思われる。墓や小規模な埋葬地はフランスとイスラエルの間のネアンデルタール人の生息地に点在している。埋葬は必ずしも来世についての考えを示しているわけではない。また副葬品はほとんど見つかっていないが、イラクのシャニダール洞窟では骨のすぐ近くに顕著な量の花粉が見つかったことから、花は埋葬でかなり一般的だったという説もある。

さらに、ネアンデルタール人はおそらく死者の体から肉を分離し、骨を壊す習慣があった。人間の遺骨は動物の骨と同様に破壊されていることが多かった。一見、残酷な共食いのように聞こえるが、様々な科学者が異なる解釈を行っており、一部は、この慣習の背後に宗教的儀式が存在しているという説を唱えている。ほとんど肉のついていない頭部が主に処理されたという事実こそ、共食いを示すものではなく、この慣習が儀式的な埋葬の証左であるという。

生き続けるネアンデルタール人

ネアンデルタール人の絶滅の原因は分かっていない。クロマニョン人との衝突によって絶滅した、あるいは生物学的に衰退していったなど様々な説がある。アフリカ人のDNAにはネアンデルタール人の遺伝子は含まれていないとされてきたが、2020年の論文では、アフリカ人のDNAにもネアンデルタール人の痕跡がわずかに残っていると発表された。この説が正しければ、地球上の全人類がネアンデルタール人のDNAを受け継いでいることになる。

沖縄科学技術大学大学院で教授も務める、ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ教授は、人類の進化とゲノムに関するいくつかの画期的な研究において高い成果を上げ、古遺伝学という新しい学問分野の確立に貢献したことを理由に、2022年、ノーベル生理学・医学賞を受賞している。ペーボ教授は、ネアンデルタール人のDNA配列の解読に初めて成功し、後に全ゲノムの解読に成功しているが、それだけではなく、2008年にシベリアの洞窟で発見された古代人の指の骨のDNAから、これまで知られていなかった絶滅したヒト科の一種「デニソワ人」を特定している。さらに近年では、7万年前に絶滅したネアンデルタール人とデニソワ人の祖先が交配していた事実を突き止め、我々、現生人類の中にネアンデルタール人とデニソワ人の遺伝子を発見した人物でもある。

その後の研究により、デニソワ人がネアンデルタール人と近縁で、約39万年前に共通の祖先から分岐したことが明らかになった。彼らは、ネアンデルタール人が絶滅に向かいはじめた4万年前頃まで生きていたようだ。

つまり、4万年前までは、我々はこの地球上で唯一の人類というわけではなく、デニソワ人、ネアンデルタール人も共に存在していたことになる。ヨーロッパの大草原地帯ではネアンデルタール人が歩き回り、デニソワ人はアジア中に広がり、アフリカには他に少なくとも3種のヒト属が存在していたという。こうして、これらヒト属の間では交配が行われ、我々、現生人類のなかにもネアンデルタール人のDNAが発見されたことは周知の事実となった。コロナウィルスが猛威を振るった頃には、このネアンデルタール人のDNAがCOVID-19の重症化リスクを高めるというニュースがあった。維持されている旧人遺伝子の多くは現代人にとって有害であり、生殖能力の低下や高い疾患リスクと関連付けられている。しかし、わずかに有益なものもあり、ネアンデルタール人の遺伝子にはウイルスから身を守るのに役立っているものもあるという。

日本人はネアンデルタール人とデニソワ人両方に由来するDNAを持っているので、ある意味では、古代人類は完全に絶滅したわけではなく、現代人の中でわずかに生き続けていると言えるのだ。

参考:

planet-wissen.de, “Neandertaler”, Jennie Theiss und Andrea Wengel, 22.06.2020, https://www.planet-wissen.de/geschichte/urzeit/der_neandertaler/index.html

geo.de, “Neandertaler: Der verkannte Mensch”, Martin Meister, https://www.geo.de/magazine/geo-epoche/10770-rtkl-neandertaler-der-verkannte-mensch

br.de, “Dem modernen Menschen ebenbürtig”, 19.02.2021, https://www.br.de/wissen/neandertaler-homo-sapiens-urmensch-kindheit-100.html

National Geographic, “少女の両親は、ネアンデルタール人とデニソワ人”, 24.08.2018, https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/082400372/

沖縄科学技術大学大学院ホームページ、”OISTのスバンテ・ペーボ教授がノーベル賞を受賞”, 03.10.2022, https://www.oist.jp/ja/news-center/press-releases/37665

沖縄科学技術大学大学院ホームページ、”古代人類ネアンデルタール人とデニソワ人を語る-私たち現生人類を定義するものとは?”, 24.06.2020, https://www.oist.jp/ja/news-center/news/2020/6/24/35247

natureasia.com, “ネアンデルタール人のDNAがCOVID-19の重症化リスクを高める”, Yang Luo, Nature (2020-11-26),https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v18/n2/%E3%83%8D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%BA%E3%81%AEDNA%E3%81%8CCOVID-19%E3%81%AE%E9%87%8D%E7%97%87%E5%8C%96%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%92%E9%AB%98%E3%82%81%E3%82%8B/106295

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