消えた黄金の福音書

クヴェトリンブルク

クヴェトリンブルクは、ザクセンアンハルト州のハルツ地域にあるボード河畔の町だ。 文献では922年に初めて言及され、994年に町の勅許が与えられた。クヴェトリンブルクの建築遺産は、1994年以来、ユネスコの世界文化遺産に登録されており、毎年多くの観光客が訪れる。

クヴェトリンブルクの丘の上に聳える聖セルヴァティウス教会(Stiftskirche St. Servatius)は、クヴェトリンブルク大聖堂としても知られている。クヴェトリンブルク修道院は、元々は936年にオットー大帝が父ハインリヒ1世を追悼する為に作らせた私有教会であった。その後の数世紀に渡って、修道院には皇帝一家が寄付した様々な貴重品のコレクションが貯めこまれていった。宗教改革の後にはルター派教会となり、聖セルヴァティウス教会と名付けられた。

この世界的に有名なクヴェトリンブルク大聖堂には教会が誇る宝物が収められている。毎年、世界中から 120,000 人の訪問者が訪れるという。1070年から1129年の間に建設されたこの大聖堂は、もともとクヴェトリンブルク女性修道院だった。 教会は1994年以来、クヴェトリンブルク旧市街や城とともにユネスコ世界遺産に登録されており、クヴェトリンブルク市の保護建築物として保存の対象となっている。

1942 年の夏に連合軍の最初の爆弾がドイツに落ちた後、親衛隊全国指導者ハインリッヒ・ ヒムラーは、重要な芸術作品を避難させるよう指示した。クヴェトリンブルク大聖堂の宝物もその中に含まれていた。芸術作品はいくつかの箱に分けて詰められ、城門の外のアルテンブルク(Altenburg)の洞窟に保管された。洞窟の厚い壁は、宝物を爆撃による破壊から保護することとなった。

1945 年 4 月、宝物は、クヴェトリンブルクに中尉として駐留していたアメリカ人ジョー・トーマス・メアドル(Joe Tom Meador)に発見された。メアドルは訓練を受けた美術史家であり、確かな鑑定眼をもったこの男は、クヴェトリンブルクの宝物も手に入れようとしたのだ。

「一生に一度のチャンス」 – メアドル 中尉はおそらくそう思ったのだろう。 1945 年 4 月、彼はクヴェトリンブルク の外の洞窟の中に一杯に詰め込まれた箱を警備する命令を受けていた。 メアドル 中尉の上官は、その中に宝物があるはずだと言った。

ジョー・トム・ メアドル 中尉 (Source: welt.de)

1916 年に生まれたメアドル 中尉 は、それほど真面目な兵士ではなかったようだったが、アートには興味をもっており、自分が守っているアルテンブルク地下の洞窟にある箱の中に、いったい何が保管されているのかに興味を抱きはじめたのだった。好奇心を抑えきれなくなったメアドルは箱の 1 つを開け、その中に初期・盛期中世の傑作を発見した。

メアドル は大聖堂の宝物の大部分を盗んだ。筆記者サムヘルにちなんで名付けられた「サムヘル福音書」(Samuhel-Evangeliar)もその中にあった。壮大なホーエンシュタウフェン朝の装丁本は、黄金と貴金属からなっており、金墨で書かれたカロリング朝時代の羊皮紙191ページからなる見事な写本だった。

「サムヘル福音書」(Source: welt.de)

1513 年の写本である ヴィペルティ・エヴァンゲリスター(Wiperti Evangelistar )も同様に貴重な写本で、黒字で書かれ、金で装飾されていた。これは、クヴェトリンブルクにあった旧 ヴィペルティ 修道院(Wiperti-Kloster)に保管されていたことから、こう名付けられた。

この 2 点と 他に10 点の作品は、トンネル内での警備中に メアドルによって少しずつ運び出され、ジープの中に隠されていた。警備員のうち数名は、中尉が明らかに何かを制服の下に隠していることに気づいていたが、それが何なのか、あまり深くは考えなかった。 メアドルは盗んだ作品を自分の手元に置くような危険は冒さず、テキサスに住む両親に郵送していたのだった。

米国の将校が略奪した教会の宝物は、中世盛期の女性修道院にとって非常に重要なものだった。 936 年の夏にハインリッヒ 1 世が亡くなり、未亡人となった王妃のマチルドは、その年にクヴェトリンブルク女性財団を設立。968年、マチルドは 大学教会に埋葬された。彼女の長男であるオットー1世は、母親の教会を好んでいた。

宝物のほとんどは、この時期にクヴェトリンブルクに寄付されたものだった。遺物、貴重な容器、独特の写本は、主に典礼に使用されていた。最も古い作品は 1 世紀の「カナの 水差し」で、聖書にある「カナの結婚式」を想起させるものだ。これには、金細工、象牙の彫刻、オリエンタル クリスタルの細工も含まれている。1200年頃の結び目付きのカーペットは、ヨーロッパで最古のものだといわれている。

これほどまでに貴重な宝物を盗んだメアドル であったが、足が付くのを恐れた結果、盗んだ物をどうすることもできなかった。 メアドル は、1980 年に 64 歳で癌で亡くなるまで、作品を自分のアパートに保管しており、ごくまれに親しい友人に見せるだけだった。遺言によると、財産は2 人の弟に渡されるはずであった。しかし、1918 年に生まれたジャック ・ メアドル と、1932 年に生まれたジェーン・ メアドル ・クックにとって、遺産相続は満足のいくものにはならなかった。

兄弟は相続した宝物を現金化しようとした。 1988 年、西ベルリンの州立図書館の美術商が「サムヘル福音書」を 800 万ドルで売り出したが、この試みは失敗した。 2 年後、300 万ドルで購入するという新しいオファーが来たが、これも不首尾に終わった。こういったオークションは、ドイツの弁護士で歴史家のウィリ・ コルテ(Willi Korte)に、これら宝物を発見する機会を与えたのだった。美術探偵は調査を開始し、クヴェトリンブルク大聖堂から盗まれた宝物のほとんどが、米国テキサス州ホワイトライト にある小さな銀行の金庫にあったことを突き止めた。かつてのドイツ皇帝の宝物が 、無造作に2 つの段ボール箱に詰められ、粘着テープでぐちゃぐちゃに包装されていたのだ。

1991 年、ドイツ政府はジョー ・トム・ メアドル の相続人と交渉を開始し、法廷外で和解に達した。失われた財産のうち 10 点が合計約 300 万ドルで買い戻されたのだった。芸術作品の取引市場において、これら作品の価値は50倍以上であると推測されていた。 宝物は保存状態がよく、1993 年 9 月 19 日以来、中世の宝物芸術が クヴェトリンブルク に戻ってきたのだった。

ザクセン人の支配者からの贈り物として、おそらく 10 世紀にすでに存在していたと思われる、この中世の写本「サムヘル福音書」は、2008 年 5 月 28 日から11月30日まで、クヴェトリンブルクの大学教会、聖 セルヴァティウス大聖堂の宝物庫で展示された。 9 世紀のカロリング朝の写本であるこの黄金の福音書は、 クヴェトリンブルク で中世の歴史を物語り続けている。

mdr.de, “Der Raub des Quedlinburger Domschatzes”, 19.09.2018, https://www.mdr.de/zeitreise/domschatz-quedlinburg-wie-der-schatz-der-deutschen-kaiser-in-einer-texanischen-bank-landete-100.html

welt.de, “So kam der berühmteste Domschatz nach Deutschland zurück”, Antonia Kleikamp, https://www.welt.de/geschichte/article181585966/Raub-in-Quedlinburg-So-kam-der-beruehmteste-Domschatz-nach-Deutschland-zurueck.html

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