農民のために戦った騎士 | フロリアン・ガイエル

ヴュルツブルク

マイン川の豊かな流れがフランケンの大地を潤し、緩やかな丘陵に広がる葡萄畑が、四季折々の色彩を添える。

ヴュルツブルクの喧騒を離れ、南へ17キロメートルほど馬を走らせれば、そこにはギーベルシュタット(Giebelstadt)という静謐な村が佇んでいる。

風に揺れる穂麦の音を聞きながら、古びた城壁の影に立てば、かつてこの地を吹き抜けた激動の歴史の息吹を感じずにはいられない。

中世の終わり、騎士道が黄昏を迎え、農民たちの積年の怒りが大地を揺るがした時代。特権を享受する貴族の身でありながら、持たざる者たちのために剣を抜き、非業の死を遂げた一人の騎士がいた。

その名はフロリアン・ガイエル(Florian Geyer)。

フランケンで最も裕福な騎士でありながら、魂を民衆に捧げた男の物語が、今もこの村の土に深く刻まれている。

1492年、ギーベルシュタット城(Burg Giebelstadt)で父ディートリッヒが没し、その直後に兄までもが世を去ったことで、次男フロリアンは若くして膨大な資産を相続した。

しかし、彼の前途には暗雲が立ち込めていた。

1517年、ノイミュンスター修道院が何ら確たる証拠もないまま、350年以上も前の金銭支払いを不当に請求したのである。

ガイエルがこの法外な要求を拒絶すると、教会は彼を理不尽にも破門に処した。

この一件以来、彼は強欲なカトリック聖職者に対して生涯消えることのない深い敵意を抱くようになったという。

やがてガイエルは、領主カシミール・フォン・アンスバッハ=バイロイト(Kasimir von Ansbach-Bayreuth)の要請により、ドイツ騎士団総長アルブレヒト公爵(Herzog Albrecht von Preußen)に野戦隊長として仕え、ポーランド王との戦いでは自らの軍を率いて武名を轟かせた。

1523年には、マルティン・ルターと対談すべくヴィッテンベルクへ向かうカシミール辺境伯に同行している。

しかし、このカシミール辺境伯こそ、実父を投獄し農民を容赦なく抑圧する残虐な封建領主であった。

1525年、ドイツ南部で農民たちの不満は一気に臨界点へと達した。

反乱の背後には、ルターによる宗教改革の熱狂があった。農民たちが求めたのは、プロテスタント信仰の自由と、自らの牧師を自ら選ぶ権利である。

過激な説教者たちは「強制労働の廃止」や「金利の削減」を聖書の一節を援用して説き、暴力をも正当化した。

農民たちは各地で「一団(Haufen)」を結成したが、それは統制を欠いた烏合の衆に過ぎなかった。

この時、社会意識に目覚めていたガイエルは、自らの階級を捨てて農民側へと投じる。

彼は私財を投じて600人の精鋭からなる「黒い一団」(Schwarzer Haufen)を結成し、「オーデンヴァルトの一団」(Odenwälder Haufen)に軍事的規律と戦術を与えた。

ガイエルは「新教の教え」を道徳的根拠に諸侯と対峙し、かつての主君カシミールとも堂々と交渉を行ったのである。

当初、農民たちの進撃は凄惨を極めた。

1525年4月、ヴァインスベルク城(Weinsberg)を陥落させた農民軍は、降伏したヘルフェンシュタイン伯爵を陵辱し、「血のイースター(Blutostern)」と呼ばれる虐殺を行った。

伯爵夫人は衣類を奪われ、堆肥運搬車に乗せられる屈辱を味わった。年代記によれば、僧侶や尼僧が殺害され、292にも及ぶ城と修道院が灰燼に帰したという。

ガイエルは「黒い一団」を率い、ヴュルツブルクを包囲した。

だが、共に戦った「鉄腕ゲッツ」ことゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンは不利を察して戦場を放棄し、農民たちを見捨てて姿を消した。

対する貴族軍の指揮官ゲオルク・トゥルフゼス・フォン・ヴァルトブルク(Georg Truchseß von Waldburg)は、百戦錬磨の知将であった。

「Nulla crux, nulla corona(十字架も王冠もなし)」

この言葉をガイエルは自らの剣に刻み、黒い旗の下で絶望的な抗戦を続けた。

歴史書には「黒い一団の中には、ガイエルのためなら地獄の炎の中へでも飛び込む者ばかりだった」と記されている。

しかし、戦力差は明白であった。

農民軍は大砲を奪いながらも専門的な扱い方を知らず、専門家を雇う金もなかった。

6月9日、スルツドルフ近郊での戦いで軍は瓦解。ガイエルは独り南へと逃れるしかなかった。

その夜、彼はリンパー(Rimpar)という村で、騎士ヴィルヘルム・フォン・グランバッハ(Wilhelm von Grumbach)の部下に強盗に遭い、無念の死を遂げた。

「貧しき者は仲間、貴族と司祭は敵」というモットーを掲げた勇者の壮絶な最期であった。

今もギーベルシュタットの村に日が沈む頃、遠くから力強い行進曲の旋律が聞こえてくるような錯覚に陥る。第一次世界大戦後、ワンダーフォーゲルの若者たちが歌った『我らはガイエルの黒い一団(Wir sind des Geyers schwarzer Haufen)』。

その歌詞には、「アダムが耕し、イヴが紡いだとき、誰が領主だったか?」という、階級なき平等を問う魂の叫びが込められている。

この歌は、後にナチスや旧東ドイツなどによって政治的に利用される運命を辿ったが、ガイエルが抱いた純粋な自己犠牲の精神は、それらの歪曲を超えて、今もドイツ人の心に気高く響いている。

裏切り者の汚名を着たゲッツとは対照的に、弱者のために全てを捧げたガイエルの名は、正義を求める不屈の象徴として、フランケンの風の中に永遠に溶け込んでいるのである。

ギーベルシュタットを去る旅人の背には、黒い旗を掲げて地獄の炎へと進んだ男たちの、誇り高き足音がいつまでも追いかけてくるかのようだ。

参考:

welt.de, “Florian Geyer, der adlige Bauernführer”, Jan von Flocken, 23.10.2007, https://www.welt.de/kultur/history/article1291040/Florian-Geyer-der-adlige-Bauernfuehrer.html

mainpost.de, “Folge 85: Florian Geyers Kampf”, Wolfgang Jung, 31.07.2012, https://www.mainpost.de/aktiv-region/anschauen/111_dinge_in_mainfranken/folge-85-florian-geyers-kampf-art-6856017

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