グリム兄弟が生まれた町

ハーナウ
写真:blog.materna.de

ハーナウ(Hanau)は、850年の歴史があり、1303年から帝国自由都市として発展してきた。かつでの街並みは戦火で失われたが、市庁舎のように再建された建物もある。そのひとつ、美しい木組みのゴルトシュミ―デハウスは、内部は金細工や現在工芸作家の作品を集めた美術館だ。

鉄道を利用してハーナウを訪れる場合、町を効率よく回るには、ハーナウ中央駅で降りずに、隣のハーナウ西駅で降りると便利だ。町の中心地である広場に出る時も、歩いて10分程で到着する。また、ハーナウの一番の見どころであるフィリップスルーエ宮殿も、このハーナウ西駅の反対側に位置する為、中央駅を利用するより、西駅を利用したほうが便利だ。

ハーナウはほとんどの見どころが、中央広場のあたりと、北側に10分ほど歩いたところにあるマリエン教会周辺にまとまっている。大きな見どころ以外にも、グリム兄弟の童話に関する10を超える銅像が町中に立っている。町を散策しながら、そういう銅像を探すのも楽しい。

ハーナウの町では、何と言ってもまず最初にこの銅像を訪れたい。なにしろここはグリム兄弟が生まれた場所なのだ。《グリム兄弟像》(Brothers Grim Monument)は、1896年にハナウで誕生したグリム兄弟を記念して、1896年にノイシュテッター市庁舎の前に建てられた銅像だ。建設の為、1885年に始められた寄付には、総額6万マルクが集まったという。1857年、ワイマールに建てられたゲーテとシラー記念碑をモデルに、兄弟二人が寄り添うような銅像が建てられた。

ふたりの銅像は実物よりも大きく、全高は6.5メートル弱ある。一度は原寸大の銅像が造られたらしいが、作った芸術家自身が気に入らず、取り壊してしまったらしい。ウィルヘルム・グリムが座った姿勢で、ジェイコブ・グリムが建っているが、真夜中になると、ふたりの銅像は動きだし、位置を交代するという少しオカルトめいた噂話がある。

グリム兄弟と言えば、19世紀にドイツで活躍した《グリム童話》として日本でも有名だが、兄弟が行ったのは、童話の研究・執筆以外にも、言語学者・文献学者・民話収集家としても活動を行っていた。二人はこのハーナウで裕福な一家に生まれている。父親は法律家だった。父親が45歳で亡くなると、家族は経済的にも困窮するが、伯母の援助もあり、学校へ入学。主席で卒業したという。卒業後、マールブルク大学の法学部へ入学するも、そこでドイツの古文学や民間伝承の研究を始めている。

兄のヤーコプ・グリムは、ドイツ語文法の研究も行っており、著書『ドイツ語文法』を1819年から1834年にかけて発行している。ドイツ語のウムラウト(Ü, Ä, Öなどドイツ語特有の音)や強変化・弱変化もヤーコプが作った用語だという。大学卒業前には、パリでも働いていたが、。1806年にドイツに戻ってきてからは、公設秘書館としてナポレオン戦争の後始末として、なんとウィーン会議にも出席したのだ。ゲッティンゲン大学で教鞭を執り始めてからは、『ドイツ神話学』を刊行し、ドイツ人にも忘れ去られていた妖精や神々の神話を書物に残した。結婚はせず、生涯独身であったという。

弟のヴィルヘルム・グリムは、生まれつき体が丈夫ではなく、病弱であったため、表立った政治活動を行った兄とは違い、地道に研究を続けたという。性格も兄と違い社交的であったため、兄弟はそれぞれにない部分を相互的に補い合って活躍したと言われている。大学を卒業後、しばらくは病身のため職に就けなかったが、28歳の時、カッセル大公の図書館書記となっている。43歳の時、兄ヤーコプと共にゲッティンゲン大学へ赴き、そこで教鞭を執っている。

グリム兄弟と聞くと、兄と弟の二人兄弟というイメージが強いが、実際には男5人、女1人の6人兄弟であった。末弟のルートヴィッヒはグリム童話集の挿絵を担当している。

グリム兄弟の生まれ故郷であるハーナウから、「ブレーメンの音楽隊」の舞台ブレーメンを経て、フレーマーハーフェンまでを結ぶ約600キロの街道が、《メルヒェン街道》として整備されたのが1975年だという。70以上の町が参加するというから驚きだ。この旧市庁舎前の銅像の銅板には、ここがドイツ・メルヘン街道の起点であると記されているので、確認してほしい。メルヘン街道は、その一部が《ドイツ木組みの家街道》(Deutsche Fachwerkstraße)と重なっており、いかにもドイツらしい木組みの家をたくさん目にすることができる。

さて、この旧市庁舎前広場だが、毎週水曜日と土曜日に市がたつ。100件以上の屋台が軒を連ね、近隣の農家が販売する果物や野菜、魚、肉、チーズなど食料品を中心に店が出ている。この市の開催の期限は16世紀末に遡る。フランスやスペイン支配下のオランダからのカルヴァン派難民がハーナウ=ノイシュタットにやってきたときに、フィリップ・ルートヴィヒ2世が、市の開催権を保証した《ハーナウ=ノイシュタット》に基づいている。この協定に基づいて、今日までノイシュタットのマルクト広場で開催されているのである。これはヘッセン州最大の週の市だそうだ。

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