ハン・ミュンデンの鉄ひげ先生 | ヨハン・アンドレアス・アイゼンバールト

ハン・ミュンデン

この町に足を踏み入れると、三つの川が出会う場所特有の、どこか開けた空気を感じる。ドイツ北西部、ニーダーザクセン州にあるハンミュンデンである。ヴェーザー川の源流となるヴェラ川とフルダ川が合流するその地点では、水面がゆるやかに広がり、川風が旧市街の木組みの家並みのあいだを静かに通り抜けていく。色とりどりのファッハヴェルク(木組みの家)の建物が軒を連ねるランゲン通りを歩いていると、かつてこの町が交易と旅人の往来で賑わっていた時代の気配がふと蘇る。宿屋や酒場が並んでいた通りには、遠方から訪れた商人や職人、そして名の知れた旅医者たちもまた立ち寄ったに違いない。そんな歴史の重なりの中で、この町の名とともに語り継がれてきた人物の一人が、外科医ヨハン・アンドレアス・アイゼンバールトである。

ヨハン・アンドレアス・アイゼンバールトは、1663年3月27日、バイエルン北部の小さな町オーバーヴィエヒタッハに生まれた。父マティアス・アイゼンバールトは、眼病の治療や骨折の処置、さらには膀胱結石の摘出まで行う外科医で、当時としては大胆な医術を操る人物であった。幼いヨハンにとって、医療の世界は遠い学問ではなく、日常の中で見聞きする現実そのものだった。

青年となった彼はバンベルクへ赴き、眼科医であり外科医でもあったアレクサンダー・ビラーのもとで十年にわたり修業を積む。ビラーは白内障の手術、ヘルニアの治療、膀胱結石の除去などを行う実践的な医師であり、若きアイゼンバールトはそこで外科の技術と大胆な治療法を身につけていった。手術は危険と隣り合わせの時代であり、医師には知識だけでなく、決断力と度胸が求められたのである。

やがて彼はテューリンゲンのアルテンブルクで独立し、開業医として名を上げ始めた。1685年から1703年まで、家族とともにこの町に暮らしながら、彼の評判は次第に広がっていった。そして1703年、彼はマクデブルクへ移り、町でも屈指の裕福な邸宅「Zum güldenen Apfel(黄金の林檎亭)」を手に入れるまでになった。

しかし、アイゼンバールトの人生は一つの町にとどまるものではなかった。彼は荷馬車と道具箱を携え、帝国の町から町へと旅を続ける医師だった。アウリッヒからインスブルック、コブレンツからダンツィヒまで、彼の足跡は広大なドイツ語圏に残されている。ベルリン、フランクフルト、ライプツィヒ、シュテッティン、ワイマール、エアフルト、ブレーメン、ブラウンシュヴァイクなど、少なくとも83の都市で彼が治療を行った記録が残っている。十人ものドイツ諸侯から医療活動の特権を与えられていたことからも、彼の名声が当時いかに広く知られていたかがうかがえる。

彼が扱った病は多岐にわたった。白内障の手術、鼠径や精巣のヘルニア、膀胱結石の摘出、口唇裂や口蓋裂の手術、さらには癌の治療まで、当時の外科医として考えられるほとんどすべての領域に手を広げていたのである。

またアイゼンバールトは、単なる施術者ではなく工夫を凝らす発明家でもあった。白内障手術のための針や、ポリープ切除用のフックを考案し、薬の調合も自ら行った。さらにヘルニア用の帯具、義歯、義眼までも作り出していたという。最初の妻エリザベートは婦人科の分野では彼を助け、夫婦のあいだには七人の子どもが生まれている。

長い旅と激務は、やがて彼の身体を蝕んでいった。1727年9月1日、ゲッティンゲンの宿屋「Zum Schwarzen Bären(黒熊亭)」に滞在していた彼は、痛風と脳卒中の後遺症に苦しみながら遺言書を作成する。数十年にわたり帝国各地を巡った旅医者の人生も、いよいよ終わりに近づいていた。

そして同年11月11日、彼はハン・ミュンデンでその生涯を閉じる。彼が息を引き取った家――当時「Zum Wilden Mann(野人亭)」と呼ばれていた旅館――は、現在もハン・ミュンデンのランゲン通り79番地に残っている。

ランゲン通り79番地にある宿屋《ツム・ヴィルデン・マン》
(Source:architektur-bildarchiv.de)

アイゼンバールト博士の遺体は、ハン・ミュンデンの聖アエギディエン教会(St. Aegidien)の祭壇中央にある合唱室の地下室に葬られた。教会の北側には、1837年以来、彼を記念するバロック様式の墓石が置かれている。

聖アエギディエン教会
(Source:hann.muenden-erlebnisregion.de)

ハン・ミュンデンの旧市街を歩き、ヴェラ川とフルダ川が静かに合流する地点に立つと、かつてこの町に集った旅人たちの気配がふと想像される。船乗りや商人に混じって、遠方から評判を聞きつけた患者たちもまた、この町を訪れていたのかもしれない。聖アエギディエン教会の静かな石壁の下に眠るアイゼンバールトの名は、三つの川が交わるこの町の歴史の中に溶け込み、今もなお語り継がれている。川の流れが変わらぬように、旅医者の伝説もまた、ハン・ミュンデンの風景の一部として静かに生き続けているのである。ドイツ各地を旅し、数え切れない人々を治療したこの風変わりな医師の名は、静かな教会の石の中で、今もなお語り継がれているのである。

アイゼンバールト博士の墓石

参考:

“Doktor Eisenbarts Geschichte”, https://hann.muenden-erlebnisregion.de/erlebnisregion/kultur-sehenswertes/doktor-eisenbart

コメント

タイトルとURLをコピーしました