ブレーメンのローランド像に隠された秘密
荘厳なゴシック様式の市庁舎がそびえ、中世の栄華を今に伝える自由都市ブレーメン。ヴェーザー川の川面に映る歴史ある建物の影がゆらめき、市場に響く活気ある声は、かつて大洋を越えて富を運んだ商人たちの足跡を呼び覚ますかのようだ。迷路のように入り組んだシュノール地区の細い路地を歩けば、古びたレンガの隙間から、何世紀もの時を越えて語り継がれてきた古い物語が漏れ聞こえてくる。
その中心に立つローランド像は、都市の自由の象徴として世界遺産にも登録されているが、その足元を注意深く見つめる旅人は少ない。そこには、一人の男が膝をついた姿で刻まれている。地元の人々ですら、この沈黙の像に秘められた数奇な伝説を知る者は限られているのだ。

エマ・フォン・レスム伯爵夫人
物語の主役は、人並外れて敬虔な女性として知られたエマ・フォン・レスム(Emma von Leßum)伯爵夫人である。最愛の夫リュドガー(Lüdger)を亡くした彼女は、邸宅に引きこもり、慈善活動にのみ人生の光を見出していた。聖職者へ金銀財宝を惜しみなく贈り、リベンティウス大司教(Erzbischof Libentius)の説教に感銘を受ければ、宝石で飾られた十字架や聖杯を捧げた。しかし、彼女の慈悲は教会だけに留まるものではなかった。
ある朝、亡き夫の兄であるザクセン公爵ベンノ(Benno von Sachsen)が彼女を訪ねた。折しも市民の代表たちが夫人に掛け合い、牛を育てるための牧草地の不足を訴えていた。同情に突き動かされた夫人は、男性が一時間で歩ける限りの土地を授けようと約束する。これを聞いた強欲なベンノ公爵は、相続するはずの遺産が削られることを恐れ、皮肉を込めて言い放った。「一時間とはいわず、丸一日にしてはいかがかな?」
夫人はその悪意にまるで気づかぬように穏やかに応じ、公爵の提案を飲み込んだ。焦った公爵は、通りに横たわる足の不自由な物乞いを選び出し、「この哀れな男こそ、あなたの寛大な施しを受けるのに値しましょう。」と宣言する。伯爵夫人の寛大さが公爵の狡猾さによって卑劣にも踏みにじられたことを目の当たりにした市民は一様に落胆の表情を浮かべた。思わぬ重責に困惑の表情を見せ、身動きのできない男の頭に、夫人は優しく手を置き、祈りを捧げた。「やってみて」という夫人の促しに、男は震えながらも手を使って地面を這い出したのである。
男が懸命に這い進んだ跡には、召使いによって白い杭が打ち込まれていった。絶望して家路につく市民を尻目に、男は休むことなく泥の中を這い回り、夕闇が迫る頃、ついに町へと辿り着いた。絶望の末に外に出て来た市民が目にしたのは、信じられない光景だった。見渡す限り広がる、明るくきらめく白い杭 ー それがずっと遠くのほうまで巨大な弧を描いているのが見えたのだ。その背後に確保された牧草地は、市民の期待を遥かに凌駕する広大な大地であった。1032年の出来事とされるこの奇跡により、今日のビュルガーヴァイデ(Bürgerweide)が誕生したのである。
実在したエマ・フォン・レスム
エマ・フォン・レスム(Emma von Lesum)または エマ・フォン・シュティーぺル(Emma von Stiepel)と呼ばれた女性は 980 年頃から 1038 年まで実在している。家系など詳しいことは分かっていないが、夫のルイジャーとの結婚式 は1001年に行われたことが記録に残っている。結婚からちょうど 10 年後に夫が亡くなったため、親戚のいるレスムへと引っ越している。
エマはその後、40年にわたり困窮する人々を支え続け、その生涯を閉じた。彼女は大聖堂の四角い青い石の下に埋葬された。その後、強欲な公爵一族を待っていたのはひどい失望であった。夫人は生前、すべての財産を慈善団体へと遺贈していたのである。伯爵領は皇帝コンラートの直轄となり、後に公爵の息子デスマーが伯爵に封じられたが、彼もまた遺産を手にすることはなかった。さらに数年後、皇帝ハインリヒがレスムを訪れた際、突如として暗殺集団に襲われるという事件が起きる。調査の末、主犯はデスマー伯爵であったことが発覚し、彼は決闘によってその無実を証明しようとしたが、命を落としたのだった。
エマ・フォン・レスムは、980年頃から1038年まで実在した人物である。夫との死別後に移り住んだレスムの地で、彼女が市民に与えたとされる土地は450ヘクタールにも及ぶ。現在、ブレーメン中央駅の裏手に広がるビュルガーヴァイデや、市民の憩いの場であるビュルガーパークを歩けば、その圧倒的な広さに驚かされるだろう。ブレーメン市民は今でもわずかな登録料を払って、この牧草地に牛を連れて行くことができるといい、市民はこの物乞いの努力に感謝し、伯爵夫人に心からの敬意を払った。
彼女は、贈り物を配る時には右手を使っていたが、その慈愛に満ちた手は、17世紀の発掘時にも無傷のままであったと言い伝えられている。聖ヨハン・イム・シュノール教会のステンドグラスに微笑む彼女の肖像があり、ブレーメンにあるさまざまな場所に彼女の名前が付けられている。たとえば、シュヴァッハハウゼン(Schwachhausen)には、エマ通り(Emmastraße)とエマ広場(Emmaplatz)があり、彼女を記念して彫像が置かれている。ブルクレスム(Burglesum )地区のマーケット広場にも彫像が立っている。街の随所に残るエマの名を冠した場所が存在することは、今もこの街が彼女の抱擁の中にあることを示している。ローランド像の足元で跪く男の姿は、不屈の意志と無償の愛が、冷徹な策略に打ち勝った歴史の証人として、今日も静かに旅人を見つめているのだ。

参考:
welterbetour.de, “Bremer Roland – Freiheitsstatue des Mittelalters”, https://www.welterbetour.de/bremer-roland



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