皇帝に破壊された城 | ゾーンエック城

バッハラッハ

ちょうどビンゲンとバッハラッハの中間地点に位置するゾーンエック城は、もともと《ザネック》または《ソネック》とも呼ばれ、ライン渓谷中流上部の丘の中腹にある城の1つだ。ニーダーハイムバッハ(Niederheimbach)からそう遠くない、ビンガーフォレスト(Binger Wald)の急斜面に聳えている。中部ライン地域に残る古城のなかでもひときわ美しいが、その外見的な壮麗さだけでなく、ここでは中世に騎士生活が営まれていたことでも有名である。近くにあるライヘンシュタイン城の守護城として、コルネリ修道院大聖堂の執事によって11世紀に建てられている。しかし、ライヒェンシュタイン城と同様に、1253年には、ライン都市同盟によって破壊の憂き目を見ている。その後、ゾーンエック城は再建されるのであるが、この城には中世から伝わる次のような伝説が残されている。


ゾーンエック城の近くには、中世に恐れられていた強盗男爵が住んでいたライヒェンシュタイン城(Burg Reichenstein)という城があった。ゾーンエックの立地条件は、交通の要所として取引に好都合であったため、この場所からは狭いライン渓谷をうまく支配することができた。


しかし、ある日、ゾーンエック城の騎士たちの略奪行為は、限度を逸脱した為、皇帝ルドルフ・フォン・ハプスブルクは、法と秩序を回復するためにライン渓谷に向けて帝国軍を差し向けた。皇帝はその地域一帯を占領し、帝国の秩序を乱すものは、たとえ貴族の出であったとしても強盗として扱い、絞首刑に処すよう命じた。ゾーンエック城の城主であるヴァルデック(Waldeck)は、当時、この地域で最も尊敬され、影響力をもった貴族の1人であった。城の領主の交渉役であるラインガウの将軍が、皇帝ルドルフ・フォン・ハプスブルクのところに慈悲を求めてやって来たが、皇帝は取り合わず、帝国軍はゾーンエック城を包囲した。

農民や庶民は罪を犯せば絞首刑に処せられるが、貴族は罰金を払って逃げおおせる時代である。しかし、強盗騎士団を前に、ルドルフ皇帝は次のように言い放ったと伝えられている。「お前たちは断じて騎士ではない。お前たちはたちの悪い強盗だ。本物の騎士は、法と秩序の順守に気を配るのであって、決して逸脱したりはしない。たとえ服装や外見が伯爵のようであっても、私が法の支配者である限り、犯罪者が庶民であれ伯爵であれ、誰もが同じ罰を受けるのだ!」と。皇帝軍は城を攻撃し、強盗貴族を一網打尽に捉えた。

捕らえた強盗騎士は、ライン川のほとりに立っている樫の木で絞首刑に処せられた。この場所は、まさに彼らが船から庶民に攻撃を仕掛けた場所であり、見せしめの為として、その場所に吊るされたのだった。皇帝ルドルフ・フォン・ハプスブルクは強い正義感で知られており、犯罪者の出自に関係なく、平等な罰を与えたのだった。古い樫の木はまだ同じ場所に立っており、満月の夜、風が木々を吹き抜ける日には、強盗騎士の嘆き声が今でも聞こえるという。

皇帝ルドルフ・フォン・ハプスブルクの正義感を示す伝説であるが、歴史的事実が含まれている。ゾーンエック城は1282年に皇帝軍に包囲されていることが記録に残っている。皇帝軍は城を占領して破壊し、その後は城の再建を禁じられたのだった。1290年には皇帝はこの決定を再度宣言している。1349年、この地域の管轄区と財産はマインツ選帝侯に属することとなり、城の再建禁止令はカール4世によって解かれている。

その後、ゾーンエック城は、1689年、プファルツ継承戦争中に、ライン左岸にあるすべての城と同様、フランス国王ルイ14世の軍隊によって破壊された。

1834年、当時のプロイセン皇太子フリードリヒ・ヴィルヘルム4世(Friedrich Wilhelm IV.)とその兄弟であるヴィルヘルム、カール、アルブレヒトは、すでに老朽化していたゾーンエック城を購入し、1843年から1861年に狩猟の為の邸宅として再建している。城は歴史的な建造物の部分を残しながらも、新しい建築を追加しながら、大部分が再建されたのだった。北の城門の上にあるプロイセン王室の紋章は、この時期に作られたものだ。1848年の3月革命の影響により、城を狩猟用のロッジとして使用することはできなくなった。 城の再建は、1861年に建築家カール・シュニッツラー(Carl Schnitzler)の計画に沿って完成を見ている。

第一次世界大戦後、ゾーンエック城は国有財産となっている。第二次世界大戦後、城はラインラント・プファルツ州に帰属することとなり、1948年からラインラント・プファルツ州文化遺産局の所属となって、現在に至っている。現在ではライン中流地域の古城めぐりでは人気のスポットとなっており、内部には、帝国時代やビーダ―マイヤー期の調度品、ライン風景画、古い武器などが展示された城内は、ガイドツアーで見学することができる。

参考:

rheintour.info, “Die Sage der Burg Sooneck”, https://rheintour.info/2015/05/27/die-sage-der-burg-sooneck/

「ライン河畔の城塞や居城 マインツ~ケルン」、Wilhelm Avenarius, Rahmel Verlag

regionalgeschichte.net, “Burg Sooneck”, https://www.regionalgeschichte.net/mittelrhein/niederheimbach/kulturdenkmaeler/burg-sooneck.html

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