ネズミに喰われた司教

ビンゲン

ビンゲンの近く、この辺りを流れるライン川は、危険な岩が多く、また流れも急であったため、昔からこの地域の航行は、非常に危険であると考えられていた。今日では危険な岩のほとんどが爆破されているが、当時は船乗りたちにとっては通行の難所であった場所だ。この近くにネズミ塔と呼ばれる建物があり、この塔には自身の強欲の為、最後はネズミに喰い殺されてしまった大司教の話が伝わっている。

10世紀にマインツを統治していたハットー2世大司教は、非常にけちな男であり、すでに莫大な富を築いていたにもかかわらず、貧民に施しを与えるよりもさらに富を蓄えることに興味があった。彼の納屋はとうもろこしでいっぱいで、彼の宝庫には金が溢れかえっていたという。

ハットー2世

しかし、ある年、農作物の不作の結果、物価が急騰し、ハットーの領地でも飢饉が発生した。その結果、多くの人が命を落としたのだった。瘦せこけた多くの人々が、パンを求めてハット―の居城の周りに集まった。この人々に服部は、自分たちが怠惰だった為に食べ物がないのではないか、彼らは役に立たない奴らだと罵倒し、彼らの懇願を一顧だにしなかったのだった。

これほどの侮辱を受けても、飢えた人々はハット―の居城から撤退せず、さらにパンを懇願したので、司教はこの騒動を暴動であると決めつけ、自身の配下のものを送って、一人残らず逮捕させたのだった。老若男女が捕らえられ、狭い納屋に閉じ込められたのだった。ハット―は命令を下し、あろうことか、その納屋に火をかけさせたのだった。納屋からは恐ろしい悲鳴が鳴り響き、炎はすぐに高く燃え上がって、納屋を焼き尽くした。しかし、司教は、それを見ても嘲笑するだけで、「聞いてみろ。ネズミたちが口笛を吹いている。」と言い放ったのだった。

すると、神が司教の暴言を聞き届けたかのように、突如として燃え盛る納屋から巨大なネズミの大群が現れ、司教の城に殺到したのだった。城の内部へも入ってきたネズミの群れを前に、ハット―は自身の居城を捨て、ネズミから逃げまわる以外になかった。しかし、自身の領地を出て、マインツを脱出し、逃げても逃げても、ネズミの群れは洪水のように彼を追いまわすのだった。

最後に、司教自身がかつて彼の城の前の飢えた人々がそうであったように、心労と疲労からやせ衰え、頬もすっかりくぼんでしまったとき、彼はビンゲン近くのライン川の小さな島に建った高い塔に逃げ込む以外に選択肢がなかった。ハット―はその塔に逃げ込んだが、彼に平和が訪れることはなかった。


ある朝、塔はネズミでいっぱいになり、さらに多くのネズミたちが川を泳いで塔に向かっていた。恐怖に取りつかれたハット―は、塔を脱出し、ボートに飛び乗り、ライン川右岸に渡ろうと考えた。しかし、ボートはすでにネズミにかじられ、役目を果たさなくなっていた。司教はふたたび塔に戻り、階段を駆け上がった。塔の最上階で、彼はとうとう疲れ果て、ベッドでそのまま眠ってしまった。

数日後、ネズミの群れが塔から跡形もなく姿を消したとき、塔の最上階には司教の骨だけが残されていた。ハット―はネズミによって生きたまま食べられたのだった。今日では《ネズミ塔》と呼ばれるその塔では、嵐の夜になると、永遠の休息を得られない司教の霊が、灰色の雲となって、塔の周りを漂っていると言われる。

実は《ネズミ塔》と名付けられた塔は、ドイツに複数個所存在する。ビンゲン近郊にあるネズミ塔はローマ人の時代にまで遡る。当時はまだ木製の塔がその場所に立っていた。現在のネズミ塔の歴史は14世紀に始まる。この間、この塔はエーレンフェルス城( Burg Ehrenfels )とクロップ城(Burg Klopp)の税関徴収を強化するための税関監視塔として機能していた。

ネズミ塔(Mäuseturm)という名前は、この塔が税関塔としての機能を失ってから長い年月を経て名付けられた。塔を通過する際に支払った通行料がドイツ語でマウト(maut)あるいはムータ(muta)であったことで、《マウト・ムート塔(Mautturm)》と呼ばれるようになり、最終的にネズミ塔を意味する《モイゼトゥルム(Mäuseturm)》と変化したと推測される。

伝説に登場するハットー2世は、実在の人物だが、ケチで強欲な人物ではなかったようだ。オットー大帝によりマインツ大司教に任命されたハット―だが、その在職中にはライヒェナウ島(Reichenau)に聖ジョージ教会(St George)を建設し、フルダ修道院とライヒェナウ修道院に多額の寄付をしたようだ。また年代記者であるプリュムのレギーノ(Regino von Prüm)のパトロンでもあった。

年代記者プリュムのレギーノ

したがって、同様の伝説には、ハット―2世ではなく、別の伯爵が悪役に仕立て上げられているケースもある。ビンゲンのネズミ塔の場合は、この伝説のおかげで、ライン下りを行う観光客にもこの物語が定着し、知名度が上がったのであろう。現在では、年に4回、ネズミ塔を見学できるツアーが開催されている。

参考:

regionalgeschichite.net, “Erzbischof Hatto und der Mäuseturm”, Ann-Kathrin Zehender, 12.05.2014,https://www.regionalgeschichte.net/rheinhessen/bingerbrueck/kulturdenkmaeler/maeuseturm/die-maeuseturmsage.html

“Sagen und Legenden des Mittelalters”, P117-118, Horst-Dieter Radke, Regionalia Verlag

mittelrhein.de, “Die Sage des Mäuseturms in Bingen”, http://mittelrhein.de/blog/2012/09/die-sage-des-mauseturms-in-bingen/

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