ルターも投宿した教会

アウグスブルク

歩行者天国となっているアンナ通り(Annastraße)をまっすぐに歩くと、聖アンナ教会(Kirche St. Anna)に出る。この教会は、1321年にゴシックと古典主義の折衷様式で建てられたカルメル派修道会の教会だ。カルメル派とは、12世紀にパレスティナのカルメル山中に修道院を築いてたキリスト教の一派のことで、会員の増加に伴なって、ヨーロッパ中にカルメル会の修道院を建てていった。カルメル会は、13世紀にますます富を増やし、強力になりつつある教会への反対運動として生じた托鉢修道会に属していた。彼らの権利には、ミサを祝うこと、時課(Canonical hours:キリスト教における特定の典礼)を守ること、告白を聞くこと、赦しのための罰を課すこと、神の言葉を説くこと、そして死んだ修道僧を葬ることが含まれていた。

アウグスブルクのカルメル会は、1275年に「聖地の家と農場」を購入し、アウグスブルクに修道院を設立し始めた。回廊の周りに作られた小部屋には、12〜14人の修道僧と5人の初心者修行僧が住んでいた。 1321年に修道僧たちは教会の建設を開始。教会はおそらく最初は聖母マリアに捧げられていたと考えられる。修道院は町の人たちの精神的な支柱となり、巡礼者にとっての宿泊所でもあった。設立当初から、教会や修道院周辺は大きな墓地であり、当時の人々は同胞の修道僧の近くに埋葬されたいと考えていたのだ。聖アンナ教会で現存する最古の墓石は14世紀にまでさかのぼる。修道院の改革と解散の後も、人々は聖アンナとその周辺に埋葬された。修道院が建設されてから1806年までの間に、約5000人もの人が聖アンナに埋葬されたと推定される。

現在、聖アンナ教会の回廊には、その当時のカルメル派の修道僧を表した石板がある(以下の写真参照)。カルメル派の僧侶は頭頂部分を剃りあげ、黒い衣をまとって、肩にマントのようなものを羽織っていた。

カルメル派の僧侶(筆者撮影)

修道院は1460年の火災により焼失したが、1461年から1464年に再建された。1518年、フッガー家は聖アンナ教会にルネサンス様式の礼拝堂を建て、これがバイエルンで最初のルネサンス様式の建築物となった。

聖アンナ教会は、1518年にマルティン・ルターが宿泊し、トーマス・カジェタン(Thomas Cajetan)枢機卿に自説の撤回を拒否したことで有名だ。当時、アウグスブルクはカトリック教徒の拠点であった。アウグスブルクでの帝国議会の後、1518年10月7日から20日まで、マルティン・ルターはローマ枢機卿カジェタンの質問に答えなければならなかった。ローマ教皇はカジェタンを通して、ルターがヴィッテンベルク城の門扉に貼りだした95カ条の論題を取り消すよう要求した。ルターはその論争の間、聖アンナ教会に滞在したのだった。自説の撤回を拒否したことで、帝国兵士に逮捕・拘束される可能性があった為、ルターは友人たちの力を借り、10月21日の深夜、アウグスブルクから脱出したのだった。

アウグスブルクにおけるルターとカジェタン

以下は、聖アンナ教会の壁に掲げられている記念碑であるが、『ここ、カルメルは修道院にルターは1518年の10月7日から20日までローマ教皇の代理人であるカジェダンとの話し合いの為に滞在した。』と書かれてある。

聖アンナ教会の入り口にある石板(筆者撮影)

宗教改革の波はアウグスブルクにも押し寄せ、聖アンナ教会はプロテスタントの教会となった。1607年にはアウグスブルクの建築家エリアス・ホールが聖アンナ教会の塔を建てており、18世紀にはゴシック様式の建物にバロックの要素が追加され、ヨハン・ゲオルク・ベルクミュラーが天井画を描いた。教会は第二次世界大戦で深刻なダメージを受け、再建はなんと1970年代まで続いた。

礼拝堂の奥の部分、天井の梁の色が異なっている部分は、礼拝堂が拡張された箇所である。壁に描かれた絵は、アウグスブルク出身の画家ではなく、放浪の画家がアウグスブルクに立ち寄って完成させたもので、作者の名前は伝わってはいない。

この絵の上部は、「最後の晩餐」を描いているが、中央の奥に座っているのがキリストであるが、テーブル手前で弟子の足を洗っているのもキリストという興味深い表現方法が用いられている。

だいぶと色褪せており、左の部分は消失してしまっているが、キリストの磔刑の場面であることが見て取れる。

礼拝堂内部の壁画(筆者撮影)

上記の壁画も非常に興味深い。描かれているのは、教会で見られる折り畳み式の椅子である。いくつかの椅子はそれが折り畳み式だとわかるように、上に持ち上げられた状態で描かれている。余談だが、この折り畳み椅子に関して、聖アンナ教会を案内してくれたガイドさんが、興味深いお話をしてくれた。ドイツ語で、人に「静かに!」「黙れ!」と言うときには、「Halt die Klappe! (ハルト ディ クラッペ)」という言い方をする。直訳すると「クラッペを抑えろ」という意味だ。この「クラッペ」というのは、パタッと折り畳みが出来る物のことた。その為、ドイツ人でさえ、このクラッペは(パタパタと開く)口を意味し、「ハルト ディ クラッペ」を「口を押さえろ(閉じろ)」という意味だと理解している人が多い。しかし、このクラッペは、教会で用いられる木製の折り畳み椅子を意味するという。当時、教会ではこの折り畳み椅子に座っていた人が急に立ち上がると、座っていた木版がバネで上に跳ね上がり、木と木がぶつかって大きな音をだした。その為、立ち上がるときには、「折り畳み椅子を押さえなさい」という意味で、「クラッペを押さえろ」と言い、それが後に「静かに!」「黙れ!」と言った表現でも使用されるようになったという。

ルターが宿泊したことにより教会には観光客が多く訪れ、教会の隣にはルターに関する博物館もオープンしている。

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