中世を代表する武器 ハルベルデ

☆その他

ドイツの博物館をいくつか訪問すると良く目にする展示物がある。それは、木製の棒の上に斧と槍を足したような形状をした武器だ。ドイツ各地の多くの博物館で展示されていることを見ると、この武器には汎用性があり、ドイツ全土で長きにわたって使用されていたことがわかる。

ローテンブルク犯罪博物館蔵のハルベルデ。16、17世紀のもの。

これは、ハルベルデ(Halberde)という中世の武器であり、スイス人によって開発されたと言われている。重装備の兵士でさえも倒すことができた恐ろしい殺人兵器であったと、当時の年代記者は伝えている。

ハルベルデは、棒・杖を表すハルム(Halm)と斧を表すバルテ(Barte)の合成語であり、斧状の道具を棒と接続した形状をしている。 また、斧の反対側に取り付けられた鉤を使えば、鎧を着用した騎士を馬から引きずり下ろすことも可能だった。 このハルベルデを装備した歩兵隊は、騎士を編成するよりもはるかに安価であり、諸侯は戦闘力の高い兵力を増強することが可能となった。

中世後期の作。ディンケルスビュール歴史館蔵。
1600年頃の作。刃の下に黒い羊毛が使われている。ウルム博物館蔵
16世紀末、市の防衛に使用された。ミュンスター市立博物館。

ハルベルデの有用性

戦場で使用される場合、この槍と斧が融合した武器は、歩兵が騎兵を馬から引きずり下ろす為に使用された。多くの場合、ハルベルデは男性の身長ほどの長さがあり、 シャフトの長さが打撃に威力を与えたため、斧は重装甲を貫通することもできたという。つまり、ハルベルデは騎兵隊が持っていた高さの利点を奪うことを目的として使用された武器であった。グレイブ(槍の穂先を剣状にしたような形状の棹状武器)も同様に、その鋭い刃先で相手を突き刺すのに有用であった。しかし、歩兵が馬に乗った騎兵を相手にしている以上、自分の背丈よりもずっと高い位置からの攻撃に対して、自身の肉体を防御する必要があった。その為、ハルベルデを持って戦う歩兵は、首を防御するシールドの付いたつばのある鉄の兜、シャーラー(Schaller/ 英語:Sallet, サレット)を着用した。またハルベルデを持っている手と反対の手には、ひとの背丈ほどの大きさの盾を持ち、他の兵士の盾と組み合わせて大きな壁を構成することもできた。

シャーラーの付いた兜

では、防御として使用される場合はどうだっただろうか?中世の都市は外部からの侵略を阻む為、例外なくどの町も城壁で覆われていたが、城壁には都市への入城を可能にする城門が数か所設けてあった。門番はハルベルデを片手にもち、城門を通ろうとする不審者を見つけた場合、その侵入を妨げた。

長いものになると5メートルにもなるこの武器は、当初、防御用として開発された。 腰または肩の高さで持って移動し、待機する際には地面に立てかけて片手で支えた。元々は穀物の脱穀に使われていた農具から発達したフレイル(こん棒付きの棒)や、鎌と同様に、ハルバルデももとは農民や羊飼いの道具として発達した。しかし、その有用性からすぐに民兵や傭兵の武器として採用されることとなった。

もともとは農具であったフレイル
フレイルを使って戦う男たち

傭兵の台頭

オーストリアのレオポルド1世の騎士たちは、1315年にモルガルテンの近くでスイスの農民を相手にしたとき、自軍に大損害を出しながら、歩兵の重要性を学ぶこととなった。この時、スイスの農民兵によってハルベルデが初めて武器として使用された。 暴徒と化したスイスの農民は、やがてヨーロッパで最も恐れられる歩兵となり、15世紀の最も近代的な軍隊を備えていたブルゴーニュ公シャルルを打ち破り、騎士の時代に終止符を打った。

ブルゴーニュ公シャルルは、スイス兵に対して騎士、槍兵、銃兵、砲兵から成る軍隊を展開したが、機動性に富んだ歩兵の前に敗れ、最終には自ら命を落とすこととなった。シャルルが命を落としたこの敗戦の後、諸侯はこの戦いから学び、多くの歩兵・傭兵を自身の軍隊に編成するようになった。

歩兵の台頭はまた、政治的、社会的構造の変化も表している。 高貴で華やかな騎士文化において、歩兵は従属的な役割しか果たしてこなかったが、軍隊の在り方は都市の台頭とともに変化する。市民は自分たちのコミュニティを武器で守る訓練を行った。 そして都市には新しい武器を開発したり、よそから入手したり、必要に応じて傭兵を雇うだけの経済力があった。

シャルルの娘婿であり、神聖ローマ皇帝のマキシミリアン1世も、歩兵の重要性をいち早く悟った一人であった。マキシミリアンは自身を「最後の騎士」と呼んだが、これは彼自身が騎士の時代を終わらせたという自負があったからだ。全身を鎧で覆って、美しい馬に跨った騎兵が、騎士道精神に則って互いに剣を振り回す時代は終わったのだった。マキシミリアンは、ランツクネヒトと呼ばれる軽装備の歩兵集団を組織し、戦争の在り方を一変させたのだった。

イギリス軍では1793 年までハルベルデを使用し続けたが、その後スポントゥーン(Spontoon)という、より鋭い槍先を持った武器にとって代わられた。18世紀に入るとハルベルデは武器として使用されることはなくなり、衛兵が儀式や典礼で使用する目的にのみ使用されるようになった。

バチカン市国でローマ法王を護衛するスイスガードは現在でもハルベルデを携帯しており、同じくハルベルデを手にするアラバルデロ(スペイン国王の護衛隊)は、その名前からして「Alabardero」=Halberde(ハルベルデを持つ者)を語源としている。

スイス衛兵が典礼用に携帯しているハルベルデ
ハルベルデを掲げるスペイン国王の衛兵、アラバルデロ, “Alabardero”(Source:monarquia.elconfidencialdigital.com)

参考:

welt.de, “Wie gemeine Fußsoldaten den Ritter vom Pferd holten”, Eva Eisenhofer, 22.02.2016, https://www.welt.de/geschichte/article152489991/Wie-gemeine-Fusssoldaten-den-Ritter-vom-Pferd-holten.html

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