大地のリンゴ ー世界最初の地球儀ー

ニュルンベルク

【ゲルマン国立博物館】ニュルンベルクにあるゲルマン国立博物館は、ドイツ最大の文化史博物館であり、ニュルンベルク生まれの巨匠、アルブレヒト・デューラーの作品も多数展示されている。また、若き日のデューラーが師と仰いぎ、自身のロールモデルとしたミヒャエル・ボルゲムート(Michael Wohlgemut )の作品なども見ることができる。

デューラーやボルゲムートの作品の他に、この博物館の見どころは、やはりマルティン・べハイム作の世界最初の地球儀だろう。

べハイムは、ニュルンベルクで商人の7人兄弟の長男として生まれた。べハイムという名前が示すように、家族はボヘミアの出身であったと言われる。べハイムは1476年からフランドル地方のメッヘルン(Mecheln)に暮らし、1478年からはアントワープへと移った。

べハイムはベルギーで衣類商をしていたが、1480年、ポルトガルとフランドル間の貿易に惹かれたベハイムはリスボンへと向かい、商売と当時急激に盛り上がりつつあった海外探検に没頭するようになる。そこで航海術、探検といった知識に惹かれ、ポルトガル王ジョアン2世の宮廷でクリストファー・コロンブスやフェルディナンド・マゼランといった有名人にも出会った可能性がある。

1491年から1493年まで故郷のニュルンベルクに戻ったとき、画家 《ゲオルク・アルブレヒト・グロッケンドン》(Georg Albrecht Glockendon) と共同で地球儀を製作し、この直径51センチの球体にErdapfel(大地のリンゴ)と名付けた。”Erdapfel”というと、南ドイツやスイスではジャガイモのことを指すのだが、ジャガイモがドイツに入ってきたのは17世紀のことであり、べハイムの時代には、まだジャガイモはヨーロッパに入っていなかった。Erd(大地)とApfel(リンゴ)の造語なので「大地のリンゴ」とでも訳すのが無難だろう。

地球儀の情報は、古代、中世から伝わる情報とともに、ポルトガルが航海により発見した知識に基づいている。 これは1492年にクリストファー・コロンブスがアメリカを再発見する前の、当時知られている世界を描いた最後の地図なのである。したがって、1492年発見のアメリカ大陸についてはまだ記載がない。コロンブスが「新大陸」を発見したのと同じ月に、べハイムの地球儀が完成している。

地球儀上の地図情報は基本的には、2世紀のクラウディウス・プトレマイオス(Claudius Ptolemaios)の地図に基づいており、アジア描写が実際より大きすぎることが、何よりこのことを物語っている。べハイムが持ってきたと言われる、大西洋とアフリカの海岸で港や風、海流を示したポルトガルの地図がモデルになったと言われている。ポルトガル人は、こういった航海上の機密が外国の勢力に漏洩しないよう機密情報を守っていた。この時代のポルトガルの地図は残っていないが、15世紀末のニュルンベルク出身の地図製作者ヘンリクス・ゲルマヌス・マルテルス(Henricus Germanus Martellus)がイタリアで製作した地図が二つ現存している。

この2つの地図は、クリストファー・コロンバスが航海した当時の世界観であったり、1488年にバルトロメウ・ディアスが到達したアフリカ最南端までのポルトガル海路についての情報を含んでいた。 特に南アフリカの描写は、べハイムの地球儀とも類似しているという。

べハウムが地球儀を作った動機については、いくつかの説がある。一説には、ベハイムは、リスボンのクリストファー・コロンブスが計画していたインドへの西航路に光を当てたかったのだろうと言われている。回転する地球儀で、インドへの東ルートを通ることで、当時切望されていたスパイスを手に入れる航路をニュルンベルク商人に明確に説明し、投資を促す目的であったとも言われている。その為か、地球儀は香辛料が栽培・取引された地域を詳細に描写している。

マルティン・べハイム
 写真:planet-wissen.de

完成した地球儀は、ニュルンベルク市議会によって支払われ、市庁舎の中央に展示された。その後も、ヨハネス・シェーナー(Johannes Schöner)、マルティンヴァルト・ゼーミュラー(Martin Waldseemüller)など、多くの人がべハイムのモデルに倣って、様々な地球儀を作成したのだった。べハイムの地球儀は17世紀になって、べハイム家の手に渡っている。そこから、屋根裏部屋で保管され、その存在も忘れ去られた。19世紀になってようやく、地球儀は再度日の目を見ることとなるのだった。ニュルンベルクの司書であるフリードリッヒ・ウィルヘルム・ギラニー(Friedrich Wilhelm Ghillany)は、ポルトガルの航海上の様々な発見については、マルティン・ベハイムこそがその成功の基盤を提供したのだとする論文を1853年に発表した。

1930年代、べハイムの遺族は、祖先が作った地球儀をアメリカに売却しようと考えた。地球儀のもつ象徴的な重要性はだれの目にも明らかであった為、1937年、ニュルンベルク市長のヴィリー・リーベル(Willy Liebel)とアドルフ・ヒトラーは共同で、べハイムの家族から地球儀を買い取り、ゲルマン国立博物館に寄贈している。

マルティン・べハイムの地球儀
                          写真:Wikipedia

べハイムの作った地球儀は、現存する最古のものではあるが、世界で最初に作られたものではない。地球儀の内容も、現在からみればでたらめであるが、地球儀を大量生産する為のひな形であったのではないかとも言われている。べハイムについては、あまりにも多くの伝説が語られており、史実に基づいていないものも多く、彼の死後に創作されたものも散見される。17世紀のドイツの東洋研究者で博学者ヨハン・クリストフ・ヴァーゲンザイル(Johann Christoph Wagenseil)が語った「コロンブスの前にアメリカを発見し、マゼランの前にマゼラン海峡を旅した。」といった記述などはまさにこれに当たる。

ベルギーで衣類商をしていた後の1479年から1483年までの数年間、実はべハイムの動向はよくわかっていないという。また、ポルトガルのジョアン2世によって騎士の称号を与えられたというのも史実になく、その生涯と功績については、過大評価が指摘されてもいる。しかし、飾られた評価があるにせよ、べハイムの地球儀が、コロンブス以前のヨーロッパの外側の世界に関する知識を後世に伝える貴重な歴史資料であることは間違いない。史実と伝説の入り混じるべハイムの地球儀、一見の価値はあるのではないか。

べハイムは、晩年、ポルトガルの宮廷でも注目を失い、リスボンでほぼ無一文のような貧困の中、この世を去ったという。ゼバルドゥス教会から東に進むとテレジエン通りに出るが、その通り沿いに1890年に建てられたマルティン・べハイム像が佇んでいる。

マルティン・べハイムの記念碑

参考:

Historisches Lexikon Bayerns, “Globus des Martin Behaim”, Urlich Knefelkamp, https://www.historisches-lexikon-bayerns.de/Lexikon/Globus_des_Martin_Behaim

Germanisches National Museum, ” Erdglobus, sogenannter Behaim-Globus”, https://objektkatalog.gnm.de/wisski/navigate/133901/view

Bayern-online erleben, “Der Beheim-Globus in Nürnberg”, Oliver Lewe, 12.12.2019, https://bayern-online.de/nuernberg/erleben/wissenswertes/der-behaim-globus/

Süddeutsche Zeitung, “Mann von Welt”, Florian Welt, 18 November 2017

Deutschlandfunk.de, “525 Jahre Erdapfel von Behaim: Der älteste Globus der Welt hat kein Amerika”, Michael Stang, 30.12.2017, https://www.deutschlandfunk.de/525-jahre-erdapfel-von-behaim-der-aelteste-globus-der-welt.871.de.html?dram:article_id=406722

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