皇帝と教皇と売春婦

コンスタンツ

今から600年以上前、ここコンスタンツでは、《コンスタンツ公会議》と呼ばれる宗教会議が開かれていた。公会議というのは、ローマ=カトリック教会の教義を決定する為に、ローマ帝国皇帝や教皇が開催する最高会議のことだ。325年に開かれた第1回公会議であるニケーア公会議では、キリスト教アタナシウス派を正当とし、アリウス派を異端とする決定が行われた。431年開催の第3回公会議であるエフィソス公会議では、ネストリウス派の異端が決定し、451年開催の第4回公会議であるカルケドン公会議では、単性説を異端とするなど、キリスト教の最重要命題に関する決定が行われてきた。

こういった公会議は計21回開催されており、第16回目の公会議として、1414年から1418年まで開催されたのがコンスタンツ公会議である。コンスタンツは、ドイツ南部、ボーデン湖に面したスイスとの国境沿いにある町だ。この時代、《教皇のバビロン捕囚》にみられるように、教皇権は衰退しており、その結果、1378年には《シスマ》と呼ばれるカトリック教会の大分裂を引き起こしていた。結果として、同時期に3人ものローマ教皇(ヨハネス23世、グレゴリウス12世、ベネディクトゥス13世)が誕生するという大混乱を巻き起こしていた。さらに、こういった教皇権の衰退を背景に、イギリスではジョン・ウィクリフ、チェコではヤン・フスといった宗教改革家が、教皇をトップとするカトリック教会を批判する姿勢を見せており、これらの問題への対応が、神聖ローマ皇帝皇帝ジギスムント、ローマ=カトリック教会にとって急務となっていた。

1414年当時、このボーデン湖畔の町は、重要な交易の場所ではあったが、わずか6,000人の人口の町に、その後4年間にわたって、一説には7万人の訪問者が来たというのだ。ヨーロッパ中から枢機卿、公爵、大学の学長、神学者が来訪し、ルクセンブルグ家出身の神聖ローマ皇帝ジギスムントと3人の教皇うちの1人が出席した。

皇帝ジギスムント

1414年11月5日に開かれ、その後4年間続いた公会議は史上最長のものとなった。 3人の教皇が追放され、1417年にマルティヌス5世を新教皇として選出することで、《シスマ》と呼ばれる教会大分裂はようやく解消された。また、ローマ教会を公然と批判する者に対して、そういった運動を抑制しようとする試みが行われた。

公会議に関しては、コンスタンツで商人をしていたウルリッヒ・フォン・リヒエンタール(Urlich von Richental)が、詳細な年代記を後世に残している。これは、《リヒエンタールの年代記》(Die Richental-Chronik)と呼ばれ、15世紀の貴重な資料として、今日まで残っている。1415年7月6日、異端として処刑されたヤン・フスについて、リヒエンタールは次のように述べている。

《リヒエンタールの年代記》

「フスは、ラテン語で「異端者」を意味する「Heresiarcha」という文字と、2体の悪魔が描かれた白い帽子を被せられた。コンスタンツの人々は彼を町から連れ出した…3000人以上の武装した男たちがフスを連行し、数えきれないほどの群衆がそれに続いた。」

「刑が執行される前に、刑の執行人はフスを地面に垂直に立てられた長い板に縛り付け、足元に台を置いて、その周りに小枝やわらを引き詰めた。そして最後に火をつけたのだった。フスは大声で叫び、体はすぐ燃え尽きてしまった。しかし、白い帽子だけは火の中にそのまま残っていた。死刑執行人はそれも燃えるように叩きだした。それから、灰、骨そして燃え残ったものはすべてライン川に投げ捨てられた。」

フスの火刑.

フスと、その同胞であったヒエロニムス(Hieronymus von Prag)が火刑に処せられた場所には、石碑が建てられている。黒い石灰岩で作られた記念碑は、寄付により賄われ、1862年10月6日に設置された。フスが処刑された7月6日には、毎年、記念行事が行われている。

コンスタンツにある《フスの石》(Hussenstein)

コンスタンツ公会議にフスが召喚された際、皇帝ジギスムントはフスの身柄の安全を保障していた。にもかかわらず、フスは火刑に処せられた。このことに怒ったベーメンのフス派農民は、1419年から40年近くに及ぶフス戦争を引き起こすのだった。16世紀のルターもフスに言及していることからもわかるとおり、コンスタンツ公会議でのフスへの処遇は後の宗教改革、三十年戦争に大きな影響を与えたのであるが、この時はまだ皇帝も教皇も自分たちの行動が引き起こす結果については、思いもつかなかったのだった。

フスの処刑以外にも、リヒエンタールの年代記は、公会議開催中のコンスタンツの生活について詳しく書いている。 リヒエンタール によると、ギルド規制は廃止され、外国の工芸品の販売も許可されていた。 手押し車に移動式オーブンを乗せたパン屋も登場し、焼きたての プレッツェル やパイなども売られていた。さらには訪問者の出身国に合わせた食事の提供もあり、例えばフランスからの訪問者には、カエルやエスカルゴも振舞われたという。交易の中心地であり、魚が豊富に獲れるコンスタンツが公会議の場所に選ばれたのも偶然ではなかったようだ。

このように、リヒエンタールは、町にやってきた訪問者や馬車の数を記録していただけでなく、当時の食料供給や物価なども詳細に書き記していた。当時、町にどれほどの売春婦がいたかということまで記載している。年代記によると、当時売春宿で働いていた売春婦だけでも700名がいたとされ、売春小屋は町中に建てられていたという。こういった性産業は、建築ブームも活発化させたようであった。宗教改革が行われるまで、中世における売春行為は、神学的に容認され、社会的にも受け入れられ、共同体として組織的に行われていた。

ミンネザングの歌い手で詩人であったオズワルド・フォン・ヴォルケンシュタイン(Oswald von Wolkenstein)は、チロル地方の公爵フリードリッヒ4世に従って、コンスタンツ公会議に参加していた。この公会議中に、皇帝ジギスムントに気に入られ、側近に取り立てられるのだが、このオズワルドも公会議中の遊女との関係を作品に残している。オズワルドは、公会議開催中のコンスタンツの物価高、窃盗の多さ、宿泊施設の少なさに文句を言ったかと思うと、この出張期間中に快楽へと費やした所持金についても歌に残している。

『ボーデン湖について考えると、すぐに財布の痛みを感じる。„Denk ich erst an den Bodensee. Dann tut mir gleich der Beutel weh.“』

オズワルド・フォン・ヴォルケンシュタイン

オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac)は、著作《美しきインペリア》(Die schöne Imperia)の中で、コンスタンツ公会議の世俗的で欲深い側面について描いた文学的な記念碑となった。若い僧侶が信仰心から公会議開催に合わせてコンスタンツに来てみたものの、夜の路地で乱痴気騒ぎを行う連中の笑い声を聞いて幻滅するという場面も描写している。

バルザック作《美しきインペリア》

20世紀に入って、彫刻家のペーター・レンク(Peter Lenk)は、バルザックの 《美しきインペリア》 から着想を得た巨大な石像を作成した。この石像は《彷徨える娼婦》(Wanderhure)とも呼ばれている。おそらくは世界でも唯一と思われる売春婦の形をした記念碑が、1993年以来、コンスタンツ港の入り口に建っている。衣服がはだけ、胸元があらわになった女性の右手には、ジギスムントと思われる皇帝が、左手にはマルティヌス5世と思われる教皇が座っている。世俗の支配者である皇帝と精神世界の頂点に君臨する教皇。この二人の最高権力者は、特大の「女王」と比べて、取るに足らない小さな存在として描かれており、道化師の帽子をかぶった女王に手のひらで弄ばれる、ジャグリングの手玉のような印象を与えている。

《インぺリア》が象徴的に表している娼婦たちは、コンスタンツ公会議の間、最高ランクの聖職者も誘惑したという。教会の統一と純粋な精神性を回復するという崇高な理念のために召集された公会議と、その一方では参加者の肉欲的な欲望が渦巻いていたという現実。インぺリア像は、そういったダブル・スタンダードに対する皮肉を芸術に昇華させている。娼婦たちこそが、「コンスタンツ公会議の本当の女王」であったというわけだ。

参考:

welt.de, “Sex war das Boom-Gewerbe auf dem Kirchenkongress”, Marc Reichwein, 15.04.2016, https://www.welt.de/geschichte/article133964786/Sex-war-das-Boom-Gewerbe-auf-dem-Kirchenkongress.html

welt.de, “Diese militärische Innovation vernichtete ganze Ritterheere”, Berthold Seewald, 19.08.2020, https://www.welt.de/geschichte/article213845348/Hussiten-Diese-Innovation-vernichtete-ganze-Ritterheere.html

welt.de, “Ihre exquisiten Sexspiele überwältigten Kardinäle”, Marc Reichwein, 01.06.2016, https://www.welt.de/geschichte/article155860698/Ihre-exquisiten-Sexspiele-ueberwaeltigten-Kardinaele.html

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