ダイヤの結婚指輪を贈るようになったわけ

トリ―ア

15世紀、トリーア。このモーゼル河畔の古都で、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ3世と、ブルゴーニュ公国のシャルル突進公は対面していた。この会合はフリードリッヒの要望で実現した。対談の理由は、シャルル突進公の愛娘マリアを、ぜひ我が息子マキシミリアンの妃として迎えたいというものであった。

ヘント、ブルージュ、アントワープの都市は重要な貿易の中心地であり、シャルルが収めるブルゴーニュ公国は、当時ヨーロッパで最も裕福な公国であった。ブルゴーニュ公国を率いるシャルルは《突進公》とあだ名されるように、野心と活力にあふれた人物であり、ブルゴーニュ公国の領土拡大に多大な関心があった。公に男子の跡継ぎはなかったが、一人娘のマリアはすでに16歳に達し、当時の結婚適齢期であった。このため、マリアには欧州各国から結婚の申し込みが殺到していたが、いずれも結婚には至っていなかった。そこに「我が息子と結婚を」と申し出たのが、神聖ローマ皇帝であるハプスブルク家のフリードリッヒ3世であった。

シャルルは愛娘マリアをフリードリッヒ3世の息子であるマキシミリアンと結婚させ、その後、自身を次の神聖ローマ皇帝に推薦させようと目論んでいた。その為、フリードリッヒ3世とトリーアで会見することに同意したのである。シャルルは、フリードリッヒを威圧しようと、3000人の騎兵、5000人の軽騎兵、6000人の随員を従えて、トリーアに入ったという。この会談に際しては、ブルゴーニュ公国の呻るような財力を使って、相手を威圧してしまおうという算段であった。

そしてこの席で、当時14歳になっていたマキシミリアンは、ブルゴーニュ公国のマリアと初めて出会ったのである。後日、シャルルはこの縁談を承諾し、マキシミリアンとマリアは晴れて婚約を交わすこととなった。しかし、その後すぐに、シャルルは、1477年1月、ナンシー近郊におけるスイス人との闘い《ナンシーの会戦》で命を落とした。シャルルが死亡したことにより、これまで公の統率力により一体性を保っていたブルゴーニュ公国は瓦解の危機に直面することとなり、フランスはすぐさまこの状況に干渉を始めた。

シャルルが死亡したことにより、これまで彼の強権政治に対する不満を表する諸侯も現れ、同時にフランスに対する対応ひとつをとっても様々な意見が噴出した。苦境に立たされたマリアは、自身の婚約者マキシミリアンに手紙を出し、助けを求めた。当時は婚約を交わしたとしても、必ず結婚に至るわけではなかった。それゆえ、マキシミリアンの対応は不明であった。しかし、後に「中世最後の騎士」と呼ばれるマキシミリアンは、マリアの知らせを受け取ると、直ちにブルゴーニュ公国に救援に赴いた。そして、マキシミリアンはマリアにダイヤの指輪を贈り、求婚したのだった。そして、ブルゴーニュ諸侯の許可を得たうえで、1477年8月19日、現在のベルギーのヘント(Gent)にあるテンウォール城(Ten Walle)にて、二人は晴れて結婚している。一説によると、結婚時に指輪を贈るという習慣はローマ時代からあったとされるが、ダイヤモンドの指輪を贈ったのは、マキシミリアンが最初であった。このことが、婚約の証にダイヤの指輪を贈るという今日の慣習の由来となったのだった。

指輪を渡すマキシミリアン(Soure:welt.de)

マリアは結婚して間もなく、男の子を出産。ブルゴーニュ家側の曽祖父フィリップ善良公の名をとって、フィリップと名付けられた。この男子は、その美貌から後にフィリップ美公と呼ばれる。(フィリップ美公の息子が、後の神聖ローマ皇帝カール5世)そして、続いて娘が生まれ、マルガレーテと名付けられた。子宝にも恵まれたマキシミリアンとマリアは仲睦まじく、諸都市を一緒に歴訪した。しかし、マキシミリアン不在のおり、マリアは落馬し、絶命したのであった。結婚後、わずか4年であった。政治的な理由で結ばれたマクシミリアンとマリアの結婚であったが、二人の関係はすぐに親密な恋愛関係に発展した。その為、マリアが事故死したことにマクシミリアンは大きく悲しみ、その後、12年もの間、独り身で暮らしたのだった。

参考:

welt.de, “Kaiser Maximilian I. heiratet Maria von Burgund”, 18.08.2017, https://www.welt.de/geschichte/kalenderblatt/article167798232/Kaiser-Maximilian-I-heiratet-Maria-von-Burgund.html

habsburger.net, “Burgund erheiraten: Maximilian I. und Maria von Burgund”, Stephan Gruber, https://www.habsburger.net/de/kapitel/burgund-erheiraten-maximilian-i-und-maria-von-burgund

「ハプスブルク家」、江村洋、講談社新書

「ハプスブルク帝国」、岩崎周一、講談社現代新書

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