ロルヒに伝わる《悪魔の階段》

ロルヒ

ライン河畔のロルヒという町は、リューデスハイムから北西に15㎞に位置する小さな町だ。この町には、ノリッヒ城という城跡がある。ノリッヒの歴史を調査したところ、周辺地域の陶器の発見によって、この要塞は1300年頃にライン河畔の町を守る防衛塔として建てられたことが判明している。城が建てられた山も、城と同様にノリッヒと言い、 Nollich、Nollig、Nollicht、Nollingen、Nollenという名前が歴史文書に記録されている。塔は最初に3階建ての半木造の建物として建てられ、 粘板岩の上にその基礎が直接置かれていた。

伝説によると、この城には、シボ・フォン・ロルヒ(Sibo von Lorch)という騎士が住んでいた。貧しいが勇敢な騎士だが、いつも不機嫌で、無愛想な性格だったという。ある日、小人が保護を求めて城の門をノックしたのだが、シボは冷たい態度で男を追い返したのだった。「このことは覚えておこう。」という言葉を残して、小人は去っていった。

シボには、12才になるかわいい盛りの一人娘、ゲルリンデ(Gerlinde)がいたが、翌日、夕食の支度が整っても、食卓に娘の姿はなかった。シボが捜索に出かけたところ、羊飼いの少年が娘を見たという。娘はお花を摘んでいたが、突如数名の小人たちに持ち抱えられて、山の向こうに連れ去らわれたと言うのだ。少年が言うには、この辺りに住む邪悪な山の精霊の仕業だという。シボは村のものを集めて、山へと続く道を作ろうとしたが、そのたびに山上から石の雨が降ってきて、断念せざるを得なかった。山頂からは、「これが騎士のおもてなしに対する報いだ。」という声が聞こえてきたという。

シボは心を入れ替え、貧しい人や修道院に寄付を行ったり、あらゆることをしたが、娘を救済する方法は見つからなかった。そうこうするうちに月日が流れた。ある日、ロルヒからそう遠くない城に住む、ルテルム(Ruthelm)という若い騎士が、ハンガリーから戻ってきた。彼は、邪悪な精霊にさらわれた少女の話を聞くと、協力を申し出た。シボは、ルテルムが娘を取り返してくれた暁には、二人の結婚を認めると約束した。

ルテルムはすぐに山の麓まで出向き、頂上まで登る方法を考えたが、どうにも方法が思いつかず、ただただ立ち尽くすだけだった。万策尽きて一旦自分の城へ戻ろうとしたとき、どこからともなく、小人の老婆が現れ、優しい口調でルテルムに話しかけた。「私の兄は、シボから無礼を受け、その罰に娘を連れ去ったのです。しかし、4年も離れ離れに暮らして、十分に罰は受けたと思う。一緒に暮らして、実の娘のように思っているので、彼女を救いに山頂まで登る方法を教えましょう。」そういうと、小人の老婆は、ルテルムに小さなベルを与えた。

ルテルムは老婆に言われたとおり、ベルをもって山の麓へと行った。そこでベルを鳴らすと、茂みからグレーの服を着た小人たちがぞくぞくと現れたのだった。彼らは、ハンマーやノコギリをもっており、山頂へと届く梯子をどんどん作っていった。翌日、ルテルムが来てみると、山頂へと続く梯子が出来上がっていた。ルテルムは梯子を上ると、無事シボの娘、ゲルリンデを救出した。このことにシボは大喜びし、以後、城への訪問者を決して粗末に扱うことはなかった。はしごは何年もの間山の上に立っていたのだが、後世の人々はそれが悪霊の仕事であると思ったので、この場所に《悪魔のはしご》という名前を与えた。

この伝説のもととなったのがノリッヒ城であるが、この城は「本物の」城ではなかった。騎士が暮らしていたわけではなかったが、ノリッヒの貴族に所有されていた。この建物は当初から都市要塞の一部として造られており、ライン川下流方面の町を守っていた。ロルヒの町にそびえる尾根に建てられ、町の市壁の一部として《見張り城(Wachtenberg)》と名付けられていた。おそらく14世紀の初めには建設され、視界が良く、戦略上重要な丘の頂上部分を確保していた。その為、ロルヒの町は、上から攻撃される心配はなかったのだ。ノリッヒ城で興味深いのは、初期の木造建築の建造跡である。この防衛目的の構造物は、採石場からの石で表面を覆われる前に、まず木造の構造物として建てられたことが分かっており、非常に珍しい工法をとっている。基礎は粘板岩に直接築かれていた。

北側では、木造の建物が、同じく木製の梁で作られた胸壁を支えていた。建物内へは内部の階段で登ることができた。木造建築物の目的についてはさまざまな仮定がある。木造建築物は急ごしらえの塔であり、後に石で壁が作られている。あるいは、石造りの建物のサポートとして木枠をはめ込んだという説もある。壁のまわり、木製の胸壁の両側に丸い塔が建てられた。防御壁の幅は3.40メートルもあり、西側の塔には、塔と防御壁につながるらせん階段があった。

居住スペースとなっていた塔の1階部分は、1.40mの厚さの壁で囲まれていた。城壁はもともとノリッヒ城までつながるように考えられていた。しかし、壁が建設されなかったのは、滑らかな粘板岩の床は不安定であり、この高さまで壁を作ることは不可能であったという理由と、経済的な理由の両方が考えられる。城は現在、個人の所有となっており、通常は見学できない。伝説に登場する《悪魔のはしご》は目にすることができないが、中世の面影を残すその城跡は、この辺りをハイキングをする人々にとっての観光名所となっている。

参考:

burgenwelt.org, “BURG NOLLIG”, 29.04.2019, http://www.burgenwelt.org/deutschland/nollig/object.php

maerchenbasar.de, “Die Teufelsleiter bei Lorch”, http://maerchenbasar.de/neue-maerchen/basarmaerchen/2818-die-teufelsleiter-bei-lorch.html

lorch-rhein.de, “RUINE NOLLIG”, https://www.lorch-rhein.de/staticsite/staticsite.php?menuid=57&topmenu=41

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