魔女の塔

フルダ

フルダは魔女狩りが行われたことでも有名だ。町には《魔女の塔》(Hexenturm)と呼ばれる14メートルの塔が存在する。この塔は12世紀に造られたことがわかっており、城門と北門の一部として存在していたという。フルダに残る12世紀の遺構としては、もっとも保存状態が良いのだという。もともとは監視塔として建てられたが、後に女性囚人を収監する場所として使用されたという。

17世紀、フルダ。悪名高いバルタザール・ヌス(Balthasar Nuss)は、1603年から3年間の間に270人もの人間を魔女裁判と称して拷問にかけ、処刑した。当時、フルダ司教であったバルタザール・フォン・デルンバッハ(Balthasar von Dernbach)がヌスに魔女狩りをさせ、魔女狩りで殺害した人々の財産を没収したのだった。1605年にデルンバッハが死ぬと、魔女裁判が開かれることはなくなった。ヌスは権力と金欲しさの為に魔女裁判を行ったと判決を下され、投獄の後に斬首された。

バルタザール・フォン・デルンバッハ

16世紀の資料によると、魔女裁判の犠牲者が投じられたのはこの塔ではないらしい。また《魔女の塔》という名称も19世紀以降につけられた可能性が高いという。現在、塔は一般公開されており、塔には2008年11月に旧大聖堂教区墓地(Alten Dompfarrlichen Friedhof)に建てられた魔女狩りの犠牲者270人の記念碑に関する説明書きが設置されている。この塔の近くには、ブラウン管の発明者、フェルディナント・ブラウン(Ferdinand Braun)の生家がある。

中世フルダで実施された魔女狩りについて言及する時には、メルガ・ビエン(Merga Bien)について触れる必要がある。

メルガ・ビエンは、フルダに生まれ、若い時に妻を亡くしていたかなり年上の男と結婚をした。しかし、その最初の夫は財産を残して亡くなってしまう。ビエンはしばらくして再婚し、新しい夫との間に二人の子供ができた。ところが、その二人目の夫と二人の子供はビエンだけを残し次々と亡くなってしまう。当時流行していたペストに感染したと考えられている。その後、ビエンは3度目の結婚をしている。

フルダでは270人以上が魔女狩りの犠牲になったが、そのほとんどが女性であった。メルガ・ビエンは、魔女狩りが始まった当初にバルタザール・ヌスによって逮捕された女性の一人だった。

彼女は逮捕されたものの、城内の刑務所が過密状態だったため、犬の檻に入れられたという。夫のブラジウス・ビエンはシュパイアーにある帝国裁判所に訴えを起こした。それから数週間後、ビエンの拘留環境は改善されるべきであり、拷問を加えてはならないという判決が降りた。当時、彼女は身ごもっており、当時の法律では妊娠中の拷問は禁止されていたのだった。

その後、ビエンはしばらくの間釈放されたのだが、数か月後にまた尋問にかけられたのだ。罪状は、二人目の夫とその子供たちに毒を飲ませ、魔法によって家畜を殺し、魔女の集会に参加したというものだった。また、3人目の夫との間には14年間子供がなかったので、現在お腹に宿している子供は悪魔の子供だと非難されたのだった。

14週間も刑務所に収監され、激しい拷問を受けた際に、『おお神よ、私はそのようにしたかったのです。』(ach Gott, so will ich es getan haben)と呟いたという。そのたったひと言の為に、ビエンは自らに着せられた全ての罪状を認めたとされた。そしてその年の秋、他の女性とともに、生きたまま火をかけられたのだった。夫のブラジウス・ビエンはその処刑にかかった費用を請求されている。メルガの処刑の数週間前には、メルガの母親と妹も処刑されたのだった。

メルガ・ビエンに代表される、フルダにおけるこのおぞましい魔女狩りの歴史は、フルダ女性教会が詳細に調査し、記録に残しており、2017年にはフラウエンベルクにある司教教会の墓地に、魔女狩りの犠牲者に捧げられた記念碑が置かれた。

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