バンベルク ー 魔女裁判の記憶

バンベルク

バンベルクの町の中心地、ガイヤースベルト城(Schloss Geyerswörth)の近くにある記念碑は、バンベルクの歴史の中で最も暗い章の1つを表している。17世紀、バンベルク大司教区は魔女狩りの中心であった。 1612年から1631年の間に、約1000人の男性、女性、子供が魔術師や魔女の迫害の過程で拷問され殺された。

1600年頃、バンベルク司教領はアルプスにまで広がり、領土内には約15万人の住民がいた。バンベルク市には、8,000人から10,000人が住んでいた。 1590年代に最初の魔女が殺害された後、特に自然の出来事、たとえば、5月/ 6月の夜の霜、作物の凍結、不作などの後、魔女狩りは集団ヒステリーへと変わった。 3回の大規模な迫害(1612‐13年、1616-19年、1626-30年)で、1,000人以上が魔女の疑いをかけられ、拷問され、殺された。魔女を燃やす為の薪は、特に「夏のない年」と言われた1628年には頻繁に燃えたのだった。

宗教的な熱意に触発された扇動者である司教補佐であるフリードリヒ・フォルネル(Friedrich Förner)の支援により、司教ヨハン・ゲオルク2世フックス・フォン・ドルンハイム(Johann Georg II. Fuchs von Dornheim)は魔女に対して体系的な行動を取る。

魔女による犯罪行為を裁くためには、裁判のプロセスがスムーズに実行される必要がある。その為、司教区の世俗的な監督、評議員、弁護士を含んだ当事者も変更される必要があった。その為、特別な調査官が派遣され、評議会メンバーの刷新を目指し、尊敬されている市長のヨハネス・ジュニウス(Johannes Junius)さえも一掃されたのだった。長年の司教会の会長、ゲオルク・ハーン(Georg Haan)でさえ、魔女裁判を批判したことによって、魔術師として非難され、拷問され、燃やされたのだった。


魔女裁判を行う者は、自身の信念に基づいて行動しており、罪悪感はもっていなかった。彼らは特定の人々が悪魔と同盟を結び、闇の勢力と一緒に戦いを行う準備をしていることに疑いの余地を抱いていなかった。あらゆる手段が彼らにとっては「正しい手段」であった。結局のところ、魔術の使用や悪魔との同盟は「緊急法」の適用が適切であると判断される「例外的な犯罪」であった。自白を強要するために、バンベルクでは無制限の拷問が行われた。被告人には弁護の権利がなく、死刑判決は最初からほぼ確実であった。幸いにも恩赦を受けることのできた被告は、焼かれる前に斬首されるのであった。

当初、司教区の拷問センターと処刑場はゼイル(Zeil)の飛び地にあり、1626/27年には、魔女裁判を加速するための特別刑務所《マレフィズハウス》(Malefizhaus)がバンベルクに設置された。そして、より効率的、そして安価に火刑を執行するため、魔女ハンターは木材を節約できるよう火葬場を建設する。バンベルク司教フックス・フォン・ドルンハイムは、ニュルンベルクの貴族であるドロテア・フロック(Dorothea Flock)を魔女裁判にかけ、ウィーンの帝国裁判所が事件を扱ったあと、教皇の保護命令がバンベルグに伝達されたにも関わらず、自分たちの神聖な使命を確信し、1630年5月に彼女を処刑した。

町内の紛争や家族間の確執、そして商売敵の存在も「告発」の動機となり、魔女の報告が後を絶たなかった。魔女狩りにおいて、裕福な人々が有罪判決を受けた場合は、財産没収となったため、それも魔女裁判を助長した要因であった。


前述のドロテア・フロックのケースがターニングポイントとなった。 1630年、皇帝フェルディナント2世(Ferdinand II.)が参加したレーゲンスブルクの選帝侯会議は、バンベルクでの出来事に高い関心を示した。ウィーンの帝国顧問官も1630/1631年に調査活動を開始した。帝国司法局は、バンベルク魔女裁判を精査し、容疑者に対する恣意的で長期的な拷問など、重大な過失を発見する。

バンベルク司教は裁判書類を改ざんしたが、隠蔽の試みは失敗した。皇帝は、容疑者の拘禁環境を直ちに緩和するよう命令し、司教による「魔女」の財産の没収を禁じた。これにより、バンベルク魔女裁判の経済的基盤が失われた。そして、1631年から1632年にかけて、三十年戦争でスウェーデン軍がバンベルクに入城したことで、魔女裁判に終止符が打たれた。 魔女裁判を主導したバンベルク司教フックス・フォン・ドルンハイム はオーストリアに亡命し、1633年3月、脳卒中により亡くなっている。

尋問が行われた建物は、迫害が終わった直後に取り壊されたが、現在でもバンベルク州立図書館では、当時の尋問記録や手紙など、魔女裁判の証拠を見ることができる。

参考:

br.de, “Unschuldig muss ich sterben”, 18.01.2016, Volker Eklkofer, https://www.br.de/radio/bayern2/sendungen/radiowissen/geschichte/bamberger-hexenprozess-inquisition-100.html

nordbayern.de, “Ein “Brandmal” erinnert an Bamberger Hexenverfolgung”, Elena Rauschert, 19.8.2015, https://www.nordbayern.de/region/bamberg/ein-brandmal-erinnert-an-bamberger-hexenverfolgung-1.4595395

welt.de, “Ein Denkmal dort, wo früher „Hexen“ brannten”,  08.11.2013, https://www.welt.de/regionales/muenchen/article121691012/Ein-Denkmal-dort-wo-frueher-Hexen-brannten.html

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