北のノイシュバンシュタイン城 |《シュヴェーリン城》

シュヴェーリン

湖面に風が走るたび、光は砕け、城は揺らぐ。

メクレンブルクの静かな都、シュヴェーリンは、水と空とが溶け合う場所である。

街の三割を占めるという湖水は、単なる景観ではない。

それはこの土地の歴史そのものであり、過去と現在を映し続ける鏡である。

その中心に、まるで幻のように浮かび上がる城がある。

シュヴェーリン城

人はこの城を《北のノイシュヴァンシュタイン城》と呼ぶが、その呼び名すら、どこか現実離れした印象を帯びている。

湖に囲まれた島の上に立つその姿は、まるで水の上に夢が結晶したかのようである。

シュヴェーリン城は、ドイツ最大のシュヴェーリン湖とブルク湖に抱かれるようにして建つ。

幾世紀にもわたり、メクレンブルク公爵と大公の居城であり続け、現在ではメクレンブルク=フォアポンメルン州議会の議場として使われている。

この地に点在する二千を超える城館の中でも、最も壮麗で象徴的な存在である。

1892年、この地を訪れたイギリスの旅行家ヘンリー・モンタギュー・ドーティ卿(Sir Henry Montague Doughty)は、その光景を前にしてこう記している――「この城は、束の間の夢から浮かび上がったかのように、水の上に漂っていた」と。

その起源は遠く10世紀にまで遡る。

965年、アンダルシアの商人イブラーヒーム・イブン=ヤクブ(Ibrahim Ibn Jakub)は、この地を訪れ、湖畔に築かれつつあった城について記録を残している。

当時、この地はスラブ系のヴェンデ族が支配していた。

しかし1160年、歴史は大きく動く。

東方拡大を目指すゲルマン勢力が、この地へ侵攻したのである。

指導者はハインリヒ獅子公。その圧力の中で、ヴェンデ族の公ニクロト(Niklot)は砦を自ら破壊し、退却した。

だがゲルマン人はこの地の戦略的重要性を見抜き、すぐさま再建に着手する。

同時に都市シュヴェーリンも築かれ、司教座が置かれることで、この地は宗教都市としても発展していった。

城の正面に立つ騎馬像が、かつての敵であったニクロトを象っているのは、歴史の皮肉である。

やがてこの地はヴェッティン家の支配下に入り、1358年、ニクロトの子孫アルブレヒト2世(Albrecht II.)によって領有され、メクレンブルク=シュヴェーリン公国が成立する。

居城はヴィスマールからこの地へ移され、城は後期ゴシック様式へと姿を変えていった。

湖畔に残る司教邸宅(Bischofshaus)は、その時代の名残である。

時代が下り、ルネサンス期になると、防衛のための要塞は次第にその役割を失い、居住の快適さが重視されるようになる。

メクレンブルク公ヨハン・アルブレヒト1世(Herzog Johann Albrecht I.)のもとで城は宮殿へと変貌し、赤レンガを用いた北ドイツ特有の建築様式が取り入れられた。

さらに礼拝堂は、マルティン・ルターが奉献したトルガウのハルテンフェルス城(Schloss Hartenfels)を模して再建され、国内初のプロテスタント教会として生まれ変わる。

天井に描かれた夜空には、実に8758個の星が輝いている。

だが、この城の歴史は順風満帆ではない。

17世紀初頭、オランダ・ルネサンス様式での再建が試みられるも、三十年戦争の勃発によって中断。

さらに18世紀には宮廷がルートヴィヒスルスト宮殿(Residenz Schloss Ludwigslust)へ移され、城は一時的にその役割を失う。

19世紀、再びこの城に光が戻る。

大公ポール・フリードリヒ1世(Großherzog Paul Friedrich I.)は荒廃した城の再建を決意するが、後継者の急死によって計画は頓挫。

しかし最終的には、建築家ゲオルク・アドルフ・デムラー(Georg Adolf Demmler)がフランス・ルネサンス様式――とりわけシャンボール城に着想を得た設計を完成させ、現在の壮麗な姿が形づくられた。

1913年には火災で三分の一が損傷するも、後に修復され、城は博物館として新たな命を得る。

そして現代では、州議会の議場として政治の舞台ともなっている。

11階建て、630室を誇るこの建物は、22メートルの高さを持ち、法的には高層建築と見なされるほどである。

さらにこの城には、もうひとつの物語がある。

ペーターメンヒェン(Petermännchen)と呼ばれる小さな精霊の存在である。

17世紀風の衣装をまとったこの小人は、夜な夜な城内を歩き回るとされ、善良な守護者である一方、時にいたずらも仕掛けるという。

歴史の重みと幻想が、この城では静かに共存している。

湖面に映る城の影は、夕暮れとともにゆっくりと輪郭を失っていく。

しかし完全に消えることはない。

水に揺らぎながらも、その姿は確かにそこにあり続ける。

シュヴェーリン城もまた同じである。

中世の砦として生まれ、宗教都市の象徴となり、ルネサンスの宮殿へと姿を変え、戦争と衰退を経て、再び壮麗な城として蘇った。

その長い歴史の層は、いまもなお建物の隅々に刻まれている。

そして現代――この城は新たな段階に立っている。

2014年6月12日、シュヴェーリン城はユネスコ世界遺産への登録申請が行われた。

長い年月をかけて築かれてきたこの文化遺産は、いまや世界的な価値を持つ存在として認められつつあり、現在はユネスコの世界遺産リストへの登録候補として名を連ねている。

それは単なる形式的な認定ではない。

湖に浮かぶこの城が体現しているのは、北ドイツにおける権力の変遷、建築様式の変化、そして宗教と政治が交錯した歴史そのものである。

もし正式登録が実現すれば、それはこの城が「美しい建築」であること以上に、「歴史を語る存在」として世界に認められたことを意味するだろう。

静かな水辺に立ち、城を見上げるとき、人は単に風景を眺めているのではない。

そこにあるのは、千年近くにわたって繰り返されてきた破壊と再生、栄光と忘却の記憶である。

そしてその物語は、いまも終わってはいない。

参考:

welt.de, “Das Schloss fasziniert viele mehr als Neuschwanstein”, 12.11.2020, Maike Grunwald, https://www.welt.de/reise/staedtereisen/article219473830/Schwerin-Das-Schloss-fasziniert-viele-mehr-als-Neuschwanstein.html

schweriner.de “DAS SCHWERINER SCHLOSS”, https://schweriner.de/tourismus-kunst-kultur/sehenswertes/das-schweriner-schloss

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