ヴィース教会と涙するキリスト像

ヴィース

ヴィース教会は、ミュンヘンから南西に約100㎞、フュッセンから北東に30㎞ほどのところに位置する。ヴィース巡礼教会は、聖ヨハンを守護聖人とするカトリックの教会であり、世界遺産に登録されていることからも、毎年100万人を超える観光客が訪れる教会である。

1738年、マリア・ロリー(Maria Lory)という農家の女性が、シュタインガーデンにある修道院で埃をかぶっていた「鞭打たれるキリスト」の木像をもらいうけた。この像は、シュタインガーデン修道院でマグナス・ストラウブ神父(Pater Magnus Straub)とルーカス・シュヴァイガー(Lukas Schweiger)によって作られたものだったが、8年前に制作されたまま放置されていた。この像は、聖金曜日(Karfreitag:復活祭の前の金曜日)の行事に、キリストの苦しみを信者に思い出させることを目的として制作されたものだった。しかし、痛々しい外観のためにわずか3年後に廃棄され、1736年に修道院の洋服クローゼットに、後に修道院の屋根裏部屋に置かれた。この像をもらいうけたマリア・ロリーが、ヴィースの農家の私有地に安置し、祈りを捧げたところ、6月14日、木像の頬に水滴が溢れてきたのだ。

この不思議な現象を目撃した人々は、鞭打たれたキリストが泣いているのだと考えた。これはカトリック教会から正式に奇跡と認定されることはなかったが、噂が噂を呼び、たちまち多くの人々がこの像を拝みにやってきた。1740年、像は牧草地の小さな礼拝堂に移されたが、巡礼者の人数はさらに増えた。尊い像を埃がかぶったままにしてしまったと思ったシュタインガーデンの修道院長は、懺悔の気持ちを込めて、像を奉るために、小さな礼拝堂の代わりに立派な巡礼教会を建てようと決意。広く募金を集め、建設に十分な資金を集めたのだった。

教会の設計は、宗教建築においては実力随一と言われたヨハン・バプティスト・ツィマーマン(Johann Baptist Zimmermann)とドミニクス・ツィマーマン(Dominikus Zimmermann)の兄弟が担当し、1746年に建設が開始され、57年に完成した。豪華な漆喰による作品は弟ドミニクス・ツィンマーマンによって、天井のフレスコ画はバイエルン選帝侯の宮廷画家であった兄ヨハン・バプティスト・ツィンマーマンによって完成された。1746年8月31日、奇跡の像が仮設礼拝堂から巡礼教会に移されたとき、1万2千人から1万5千人もの人々がこの行事に参加したという。

壮麗なロココ様式の教会は完成を見たわけだが、この建設により、シュタインガーデン修道院は大きな財政難に陥った。建設費が当初の予定から4倍以上に跳ね上がったことで、とてつもない財政的負担につながり、この財政難は、1803年に修道院が世俗化され、解散されるまで完全に回復されることはなかった。19世紀初頭、バイエルン州は世俗化の過程でヴィース巡礼教会を競売にかけるか、取り壊す計画を立てていたが、地元の農民の尽力により保存が決定したと言われている。農民たちは、ヴィース教会は自分たちの教区教会であると主張し、取り壊しを防いだという。ナチスはこのロココの教会をダンスホールに変えようと試みたが、寒すぎる教会を暖めることができなかったために諦めた。

1983年にロココ様式の傑出した建物として世界遺産に登録され、初めてキリストの涙が目撃された6月14日(または次の日曜日)には、毎年、キリストの涙の祭り(Gedächtnis der Tränenwunders und Entstehung der Wallfahrt:涙の奇跡の記憶と巡礼の起源)が祝われている。涙を流したとされるキリストの像は、ヴィース教会の祭壇に安置されている。

参考:

br.de, “Rokoko in höchster Vollendung”,  11.11.2015, https://www.br.de/br-fernsehen/sendungen/unser-erbe-bayern/bayerisches-weltkulturerbe/unser-erbe-bayern-weltkulturerbe-wieskirche-132.html

domradio.de, “Die berühmte Wieskirche zwischen Glaube und Massentourismus”, 07.10.2016, Bernd Buchner, https://www.domradio.de/themen/bist%C3%BCmer/2016-10-07/die-beruehmte-wieskirche-zwischen-glaube-und-massentourismus

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