世界一の高さを誇る教会

ウルム

【ウルム大聖堂】

世界最大の教会というのは定義づけが簡単ではない。教会のサイズは測定の方法でいくらでも順位が変化する。大きさを建物の全長と捉えるのなら、バチカン市国のサンピエトロ大聖堂は、全長211メートルを誇り、世界で最長の教会と言える。第1位からは20メートル以上短いが、第二位はリヴァプール大聖堂である。

大きさに比べ、高さの比較は非常に簡単である。最も高い教会は、ローマやパリではない。南ドイツにある、わずか人口13万人の町にあるウルム大聖堂である。ミュンヘンから西へ150キロ、シュトゥットガルトから南東方向に90キロ離れたところに、ウルム(Ulm)という小さな町はある。この町でミュンスターと呼ばれるゴシック建築のウルム大聖堂(Ulmer Münster)は、ウルム市民の誇りであり、町のランドマークである。

ウルム大聖堂は、プロテスタントの教会としてはドイツ最大である。(因みに世界で最も高いカトリックの教会はケルン大聖堂だ。1884年にウルム大聖堂が完成するまでは、ケルン大聖堂が世界一高い教会であった。)尖塔を含め161.53メートルの高さを誇り、これは現在でも教会建築としては世界一のである。768段の階段を昇れば、141メートル地点に設けられた展望台に上ることもできる。その高さは、ドイツの他の教会と比較しても一目瞭然である。

左から、ウルム大聖堂(161.53m)、ケルン大聖堂(157m)、ミュンヘンの聖母教会(99m)、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会(71m)、アーヘン大聖堂(32m)

教会は1377年に竣工され、1890年にようやく完成している。途中、建設が中断されていた期間があったとはいえ、500年をかけて建設されたのだ。教会創立のレリーフには、当時のウルム市長、ルッツ・クラフト(Lutz Krafft)が、自身の妻とともに、建築家ハインリッヒ・パーラー(Heinrich Parler)の肩に教会の模型を載せている意匠が見れる。教会の模型によって、建設開始当時、同じ高さの三つの塔を持ったホール教会の建設を目標としていたことがわかる。

教会の基礎石

1377年6月30日、ウルム市民はみな教会建設予定地に集まった。ウルム市長ルッツ・クラフトと市の著名人が教会の基礎石を掘り下げられた地中に埋めた。クラフト市長はその石を100個の金貨で覆ったという。このように大聖堂の建設は始まったわけだが、建設が始まったと同時に、ウルムにあった古い教会の取り壊しも決まった。ウルム市民は取り壊された古い教会の石材を自らの肩に載せ、大聖堂の建設場まで運んだという。大聖堂には、旧教会の石材が再利用されている。

建築家に選ばれたハインリッヒ・パーラーは、すでにプラハのカレル大聖堂の建設にも携わっていた。パーラー家一族は、有名な建築家一族で、プラハ、ストラスブール、ウィーンでも大聖堂建設に携わっている。1391年、パーラー一家はミラノ大聖堂の建設のためにウルムを去ったが、ミラノでは、他のドイツの建築家同様、仕事をやり遂げることができず、1392年に解雇されている。パーラー一家がウルムを去ってからは、ウルリッヒ・エンジンガ-(Ulrich Ensinger)がウルムの教会建築を引き受けている。1392年から1417年にかけて、エンジンガーはウルム大聖堂を建設し、すでに開始されていた身廊を途中まで続け、当初計画されていたホール教会から大聖堂への計画変更を実施した。彼の大聖堂の塔のデザインは、ウルム市立博物館に保存されている。

1405年7月25日、教会は一時的な屋根で奉献されたが、教会内部も広々としており、2千人分の座席が収まる。中世では、慣例的に立って礼拝を聞いたので、2万人から2万2千人を収容できたといい、これは当時のウルム市の人口を超えていた。1488年にウルム大聖堂を訪れたドミニコ会の修道士、フェリックス・ファブリ(Felix Fabri)は、ウルム大聖堂では、復活祭の祝いに、1万5千人がここで食事をとったと記している。また、毎日平均5人の子供がこの教会で洗礼を受けており、これは他のどの教区教会と比較しても多かった。

中世、ドナウ川の畔に位置するウルムは帝国自由都市であり、貿易の中心地として栄え、非常に裕福な町であった。またウルム市民は他の町とくらべて寄付・寄進に対して非常に熱心であり、その為、市民が十分な資金を提供し、この町に市民による教会を建てたのだった。

ウルム宗教改革者コンラート・サム(Konrad Sam)の説教によって、ウルムでも宗教改革が段階的に進行し、1530年にプロテスタントの信条に賛成する一般投票で決定が下されたことで、ウルムはプロテスタントの町となった。それに伴い、 ウルム大聖堂もプロテスタント教会の礼拝所となったのだが、1531年から始まった偶像破壊運動によって、プロテスタントの教義と相いれない大聖堂内の芸術作品はその多くが破壊されてしまっている。

建設開始から166年後の1543年、大聖堂の建設はストップされている。この頃、教会の塔の高さは100メートルほどであった。建設中止の理由は、経済的な理由もあったが、時代が変化したことによる人々の信仰心や価値観の変化だった。ルネッサンスが始まろうかという時代、すでに時代遅れとなっていたゴシック様式の教会を完成させる必要があるのだろうか。建設が再開されたのは、ドイツでナショナリズムが目覚めた19世紀になってからであった。この頃になると、人々の間でも中世への憧れが生まれ、教会完成への情熱が再燃しだしたのだった。ただし、ウルム大聖堂の場合は、老朽化した建物の崩壊を防ぐことが第一の課題となった。またこの時期にメインの塔の拡張についても議論されている。そして1844年、塔の高さも161.53mに引き上げられた。

大聖堂完成から半世紀後の1944年12月17日、連合国軍の爆撃機がウルムを総攻撃し、町は瓦礫の山となった。しかし、この「ウルム空襲」(Luftangriffe auf Ulm)も大聖堂は奇跡的にほぼ無傷で生き延び、ウルム市は重要なアイデンティティを今日まで持ち続けることができたのだった。

空襲後のウルム (Source:augsburger-allgemeine.de)

「世界で最も高い」大聖堂をもつことは、長らくウルム市民の誇りであったが、この記録もまもなく抜かれそうである。現在建設中のバルセロナのサグラダファミリアは、建築家アントニオ・ガウディによって設計された教会であり、1882年に建設が始まっている。教会はまだその完成を見ていないが、2026年、ガウディの死後100周年を迎える2026年に完成の予定である。メインの塔は高さ172.5mに達し、世界記録を樹立する予定である。ウルム大聖堂は、実に136年ぶりに「世界で最も高い教会」の座を失うと同時に、世界で最も高い教会はプロテスタントではなく、その座をカトリックにとって代わられることになる。

建設中のサグラダファミリア (Source:de.m.wikivoyage.org)

参考:

ulm.de, “Das Ulmer Münster, Das Wahrzeichen Ulms”, https://www.ulm.de/tourismus/stadtgeschichte/markenzeichen/ulmer-m%C3%BCnster

dw.com, “Hoch, höher, Ulmer Münster!”,  Patricia Szilagyi, 28.04.2021, https://www.dw.com/de/hoch-h%C3%B6her-ulmer-m%C3%BCnster/a-50421069

katholisch.de, “Größer, höher, älter: Superlative des Kirchenbaus”, Tobias Glenz, 27.02.2018,  https://www.katholisch.de/artikel/16640-groesser-hoeher-aelter-superlative-des-kirchenbaus

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