ハルツ地方のカラフルな町 | ヴェルニゲローデ

ヴェルニゲローデ

【ヴェルニゲローデ】

ザクセン=アンハルト州ハルツ郡にあるヴェルニゲローデは、ハルツ山地の麓に位置している。人口は約33,000人。1121年の文書で最初に言及されたこの町は、ハルツ地方のなかでも特徴的な木組みの家が並んでいることで有名だ。この町の牧歌的な雰囲気を好んだ19世紀末のドイツ人作家、ヘルマン・レンズ(Hermann Löns)は、この町を「ハルツ地方のカラフルな町」と呼んだ。レンズは1907年、家族とともにヴェルニゲローデで4週間を過ごしている。彼はこの地方の自然と多種多様な植物を指して、「カラフル」と表現したのだが、作者の意図とは裏腹に、ヴェルニゲローデの都市景観を表すフレーズとして普及したのだった。実際に、色とりどりの市庁舎だけでなく、旧市街にある木組みの家はどれもカラフルであり、レンズのフレーズにうまく表現されているのである。

ヘルマン・レンズ

1911年に出版されたヘルマン・レンズの小冊子「ハルツのカラフルな街」は次の文で始まる。「ハルツの町にはどこでも宝物や貴重品があるが、ヴェルニゲローデほど豊かでカラフルな町はない。」 それ以来、観光案内所もこのスローガンでヴェルニゲローデの宣伝に使用するようになった。

ヴェルニゲローデには次のような伝説が伝わっている。

この町の旧市街の城壁、西門があった場所に小屋がひとつあった。当時はまだ周りに森があったので、この小屋以外、周辺には他の家はなかった。 この小屋には、ヴェルニ(Werni)とジェローデ(Gerode)という名前の2人の姉妹が、貧しいながらも質素に暮らしていた。

ある日、二人の姉妹は食事を集めるため山にキノコを採りに行った。キノコは思いのほかたくさん見つかったので、姉妹は全部食べてしまうことにはできないと思い、キノコを地面から掘りだし、自分たちの家に植え替え、のちのち収穫することを思いついた。地面を掘っていると、なんと金貨で一杯になった壺を見つけた。貧しい姉妹はこの発見に歓喜して、金貨が見つかった場所にキノコを植えて、誰にも見つからないようにした。

しかし、それ以来、姉妹の静かだった生活は一変してしまった。常に誰かが金貨を見つけてしまわないか、気が気でならなくなった。姉妹はその近くに小屋を買い、見知らぬ人が小屋に近づいているときに遠くから見ることができるように、彼らは森を監視できるようにした。それでも姉妹の不安が消えることはなかった。そこで彼らは西門を建て、信頼できる人に住んでもらえるようにした。しかし、それでも安心はできなかった。姉妹は、西門の上に高い塔を建て、そこに金貨を持って移動することにした。彼らは金貨を盗まれる不安から二度と塔から降りることがなかった。彼らはウィンチで食べ物と水を塔に引き込んだ。ほどなくして姉妹は亡くなってしまったが、二人は金貨を見つけて以来、決して幸せにはならなかった。

西門と隣接する家々が立っていた場所は、ヴェルニとジェローデの姉妹から、ヴェルニゲローデと名付けられた。

しかし、もちろんこれは伝説で、実際の名前の由来は、この町の地形に由来する。町の名前の接尾辞-rodeは、「丸い土地」を表す。 これらは、丘陵地に建てられた町に名付けられた。ハルツ地方には、ヴェルニゲローデの他にも、アルテローデ(Alterode)、ブルーメンローデ(Blumenrode)、ダンクローデ(Dankrode)、ヴェッテルローデ(Wettelrode)のように、ほとんどが丘陵地帯または山麓の中世後期の開墾時に設立された。また、森を開墾して建設された町は、ドイツ語の「開墾する」を意味するローデン(roden)からローデ(rode)と名付けられたという説もある。

ハルツ山脈の南、チューリンゲンやザクセン地方で見られるローダ(-roda)、ウェストファリア地域のラーデ(-rade)、チェコとの国境に近いフォーグトラント地域では、バイロイトのように、ロイト(-reuth)という接尾語に見られる。ラインランドとベルギッシュランドでは、ベンラート(Benrath)に見られるようにラート(-rath)も同様の意味だ。

金貨を見つけた姉妹の伝説では、塔に籠った二人がウィンチを使って食料や水を塔の上に引き上げていた為、それがグリム童話の『ラプンツェル』の物語に繋がったという説もある。

ヴェルニゲローデの旧市街は、ドイツらしい木組みの家が並び、観光客の目を飽きさせない。中でも特に個性的な建物が、マルクト広場に建つ市庁舎だ。2本の尖塔を持つ庁舎が最初に建築されたのは1497年だが、1521年に火災によって消失している。現存する市庁舎は、その後再建されたものである。その特異な構造もさることながら、青みがかった屋根にオレンジの外壁の取り合わせは、「ハルツのカラフルな町」の市庁舎にぴったりであり、「ヨーロッパで最も美しい市庁舎」と言われることもある。

カラフルな市庁舎

その他にも、町を歩けば、「傾いた家」(Schiefe Haus)、「曲がった家」(Krummelsche Haus)、「一番ちっちゃな家」(Kleinste Haus)など、愛らしいにニックネームで呼ばれる、個性定期な建物が数多く存在する。


郊外の丘の上に立つヴェルニゲローデ城は、当初12世紀に築城されたもので、増改築が繰り返されてきており、現在の建物は1862年 – 1893年に建て直されたものである。

また、ハルツ狭軌鉄道の駅がDBのヴェルニゲローデ駅に隣接しており、ブロッケン山への蒸気機関車による登山鉄道として国内外から多くの観光客を集める。

ブロッケン山の麓に位置するヴェルニゲローデ市の歴史は、900年頃に始まった。森を開墾していた時、ベネディクト会の修道士が、現在、市の南側に位置する「クリント」地区(Klint)にある木々の幹を斧で切り倒したのだった。その場所のすぐ近くが、今日の市庁舎の建つマーケット広場である。クリント地区は町の創設に関する歴史的な出発点であると考えられている。

ハルツ山地を横切る2つの交易路(ゴスラーからクヴェトリンブルクまで、ブラウンシュヴァイクからエアフルトまで)が交差する恵まれた立地により、職人や商人が定住するようになった。ヒルデスハイム近くのハイマールからやってきたアデルベルトゥス伯爵(Graf Adelbertus)が、ヴェルニゲローデを居城として定めたと、12世紀初めの公文書に記録がある。伯爵はアグネスベルク(Agnesberg)の上に城を建設し、それが今日ヴェルニゲローデ城が建つ場所である。

その後、ヴェルニゲローデでは、貿易や農業、林業が発展したため、ゴスラーの前例に倣い、1229年4月17日、ヴェルニゲローデも市に格上げされた。

1429年にハインリッヒ・フォン・ヴェルニゲローデ伯爵(Heinrich von Wernigerode)が亡くなったため、ヴェルニゲローデ家の男系は途絶えてしまった。ヴェルニゲローデは何世紀にもわたってここを支配していたシュトルベルク伯爵(Grafe zu Stolberg)の所有となった。 1525年の農民戦争中に、周囲のいくつかの修道院、特に今日のハッセローデ地区(Hasserode)にあるヒンメルプォルテン修道院(Kloster Himmelpforten)が略奪され破壊されたのだった。

美しいヴェルニゲローデも、16世紀から17世紀にかけて激しい魔女狩りが行われたハルツ地方の町である。この町でも、1521年から1608年までの間に、約20名(一説には55名とも)が魔女裁判により火刑に処せられている。エッカータールのアンドレアス・マイニッケ(Andreas Meinicke)、ドリューベックのメット・フリス(Mette Fliß)、ロアスハイムのカタリーナ・ベルンブルク(Katharina Bernburg)と言った犠牲者がこの魔女狩りによって命を落としている。

1618年に勃発した三十年戦争では、町は破壊と略奪によって荒廃し、市民にとっても大きな痛手となったが、町はすぐに再建されている。1714年、ヴェルニゲローデ伯爵領はブランデンブルク・プロイセンの一部となる。1807-1813のナポレオン時代はヴェストファーレン王国に属しており、1825年からは、マクデブルク行政区に組み込まれている。19世紀の終わりころから、町はハルツ地方の観光の中心都市としての産業ブームが到来。毎年多くの観光客を迎えるようになる。

第二次世界大戦では、町の一部が空爆を受け、被害を受けたものの、戦後再建され、ヴェルニゲローデは東ドイツの管轄となる。隣接するクヴェトリンブルクと同様、東ドイツが徐々に力を失っていくと同時に、古い建物は破壊される危険もあったが、東ドイツには解体と修復の為の財政が不足していたため、ヴェルニゲローデの旧市街も多くの古い建物がそのまま残されることとなった。 ドイツ統一後、大小様々な木組みの家が多大な労力と資金をかけて修復されている。

ハルツ山地と神秘的なブロッケン山は、すでに18世紀に好奇心旺盛な訪問者を魅了してきた。 ゲーテやハイネもハルツ地方を回っている。 18世紀には 訪問者はブロッケン山へのハイキングの出発点としてヴェルニゲローデに立ち寄っただけだったが、すぐにヴェルニゲローデの旧市街と山上のロマンチックな城を訪問する為にやってくる観光客も増えていった。 こういった観光客はドイツに限らず外国からも多く訪れ、夏の間、数週間から数ヶ月、町に留まってハルツの自然を堪能する。そして、1899年のブロッケン鉄道の開通により、さらに多くの訪問者がこのハルツのカラフルな町に集るのだった。

参考:

wernigerode.de, “Stadtgeschichte”, https://www.wernigerode.de/Stadtleben/Die-Stadt/Stadtgeschichte/

Legal Tribune Online, “Pio­nier des Sozial­rechts”, Olesya Herfurth und Prof. Dr. André Niedostadek, 19.11.2016, https://www.lto.de/recht/feuilleton/f/otto-graf-fuerst-stolberg-wernigerode-pionier-sozialrecht/

“Wernigerode, A companion through the colourful town in the Harz”, 2013, Schmidt-Buch-Verlag

harzer-sagen.harz-urlaub.de, “Halzer Sagen”, Bernd Sternal und Lisa Berg, http://www.harzer-sagen.harz-urlaub.de/ortssagen/wernigerode-entstehung.htm

Oppida.de, “Geschichte von Wernigerode, Im Schatten des Harzes”, 25. April 2019, https://www.oppida.de/die-schoensten-staedte-deutschlands/wernigerode/geschichte-wernigerode/

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