「ヴァルトブルク城の歌合戦」でも有名なミンネゼンガー
ノイミュンスター教会にはミンネゼンガー(吟遊詩人)として有名なヴァルター・フォン・デア・フォーゲルワイデの墓碑がある。ミンネ(愛)+ザング(歌)とは文字どおり愛をテーマにした歌であり、中世の騎士道精神を反映した一種の流行だった。
ミンネザングを歌う詩人、ミンネゼンガ―と呼ばれた吟遊詩人たちは、高貴な婦人への献身的な愛を歌うものが主流で、それを「高いミンネ」(hohe Minne)と呼んでいた。それに対して、フォーゲルヴァイデは貴婦人ではなく庶民の娘を登場させ、精神的な愛ではなく、直接的な性愛の喜びを歌う「低いミンネ (niedere Minne)」というものを提唱した。
ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルワイデは、1170年頃に生まれたという以外は、オーストリアやボヘミアの出身であるという様々な説はあるものの、出身地を含め出自についての詳しいことはわかっていない。
ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルワイデ
当初、フォーゲルワイデは、バーベンベルク家のオーストリア公フリードリヒ1世の庇護を受けていた。ところが、フリードリヒ1世は参加していた十字軍からの帰り、病に倒れてしまう。フリードリッヒ1世の庇護を失ったフォーゲルワイデはパトロンを求めて宮廷から宮廷へ渡り歩き、しばらく不遇の時代を過ごしたが、後に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の庇護を受けるようになる。
1224年にはバーベンベルク家のオーストリア公レオポルド6世から封土されたヴュルツブルクに住み始めたと言われている。ヴァルターは1230年に亡くなり、遺体はヴュルツブルクにに埋葬された。鳥達が毎日彼の墓で餌をついばむことになるようにと遺言に残したと言う。彼を記念して設置された石碑がノイミュンスター教会の中庭に置かれている。
ノイミュンスター教会にあるフォーゲルワイデの記念碑
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フォーゲルワイデは政治に関する深い関心から、政治についても数多くの歌を残したが、恋愛をテーマにうたった歌が高い評価を受けている。彼の詩で最も有名な《菩提樹の下で》(Under der linden)がその代表作といえる。
ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデはリヒャルト・ワーグナーのオペラ、『タンホイザアー』の中に登場する。フォーゲルヴァイデは「ヴァルトブルク城の歌合戦」に出て、ハインリヒ(タンホイザー)が肉体的愛(エロス)を精神的愛(アガペー)よりも上にしたのを批判し、精神的な愛こそが最上位であると説いている。
(因みに、タンホイザーを作曲したワーグナーは、1833年にヴュルツブルグ市立歌劇場の合唱指揮者となっており、ワーグナーが当時住んでいた家がレジデンツの近くに残っている。)
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