ケーニヒスヴィンター(Königswinter)とバート・ホンネフ(Bad Honnef)の間にあるドラッヘンフェルスは高さ321メートルを誇り、ライン渓谷の壮大な景色を眺めることができる。頂上には1167年に建てられたドラッヘンフェルス城の遺跡が鎮座しており、多くの物語、伝説、神話が伝えられている。ドラッヘンフェルスの名前は1149年に初めて文書に登場しており、世界的に有名なニーベルンゲンの伝説への言及が行われている。ドラッヘンフェルスにまつわる神秘的な伝説や物語はこの古城跡の訪問客をさらに楽しませている。
ドラッヘンフェルスは、粗面岩(トラカイト)が豊富に埋蔵されており、ローマ時代には粗面岩はドラッヘンフェルスから採掘されていた。ケルン大聖堂はドイツで最も有名な粗面岩で作られた建物だが、この粗面岩はドラッヘンフェルスから採掘された。 1922 年からの規制により、ジーベンゲビルゲは約4,200ヘクタールを誇るドイツ初の自然保護区の 1 つとして登録された。
中世以来、ドラッヘンフェルスには恐ろしく巨大なドラゴンの伝説が広まっている。ドラゴンはライン川の船を探し、船が十分に近づくと火を吐き、船体を破壊して沈めた。ジーベンゲビルゲの住民はドラゴンを恐れ、絶え間ない恐怖の中で暮らしていた。ドラゴンをなだめるために毎日生贄として一人の人間を提供する必要があった。生贄はドラゴンが巣くう洞窟の近くに縛られて放置された。
ある日、住民は美しい処女を生贄として差し出した。乙女は落ち着いており、ドラゴンに怯えることはなかった。ドラゴンが乙女に近づくと、彼女は首にかけた十字架を高らかに持ち上げた。するとドラゴンは後退し、よろめき、轟音を立ててドラッヘンフェルスをライン川の方面へと下り、やがて息絶えた。
別の伝説は、ドラゴン退治のジークフリートについてのもだ。ジークフリートはクサンテンからライン川を旅して世界を周り、熟練した鍛冶屋に弟子入する。そこで自身が鍛造した剣バルムンクを持ってジーベンゲビルゲの村を通り過ぎたところ、ドラゴンの話を聞き、ドラゴン退治へと赴く。彼は恐れることなく、ドラゴンの隠れ家に登り、ドラゴンを殺し、その血を浴びて無敵となるが・・・・と物語は続く。
ドラッヘンフェルス城は 1140 年代にケルン大司教アーノルド 1 世によって設計された。現在は自然保護区となっている丘の上の城は、かつては国境の要塞として機能していたのだ。
参考:
der-drachenfels.de, “Drachenfels”, https://www.der-drachenfels.de/der-drachenfels
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