【ドイツ観光】ルートヴィッヒ2世がフュッセンに築いたメルヒェンの城
「決して完成することのない城」、「ドイツ人のおとぎ話の城」と呼ばれ、これほど多くの観光客を引き寄せる観光資源は他にはない。ユネスコの世界遺産の称号を手にすることなどないが、ホーエンシュヴァンガウ近くのノイシュヴァンシュタイン城は、雲の中の天空の城のようにそびえ立ち、なおも多くの人々を魅了し続けている。
ある手紙が、この奇妙な創造物の誕生の時を、我々に教えてくれる。19世紀、バイエルンにとどまらずドイツ王であったルートヴィッヒ2世は、1868年5月13日、友人のリヒャルド・ワーグナーに、「ペラチュルヒト渓谷(Pöllatschlucht)近くのホーエンシュヴァンガウ城の遺構に、いにしえのドイツ騎士の城を新しく再建する。」と書いたのだった。ワーグナーのオペラのテーマが織り込まれた中世の騎士の城は、それ自体が完全な芸術作品となり、人類史上最大の技術的および経済的資源を用いて、中世への憧れを再現するものとして計画されたのだった。
まず最初に、ルートヴィヒの父であるマクシミリアン2世が、この廃墟をヴィッテルスバッハ家のために買い戻したのだった。 19世紀初頭に「キリスト教中世の精神で」城を復元することを決めたのは、マクシミリアン2世だった。彼は、建築家ではなく、イタリアの劇作家であるドメニコ・クアーリオ(Domenico Quaglio)に依頼するというアイデアを思いついた。
この城はホーエンシュヴァンガウ城と呼ばれ、同時代の人々からも賞賛された。歴史と詩、音楽と絵画、彫刻と建築から生み出されたこの時代の謎を理解するために、マクシミリアン2世のホーエンシュヴァンガウ城とルートヴィッヒのノイシュヴァンシュタイン城を一緒に考える必要がある。
ライン川では、シンケル(Schinkel)がプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世(Friedrich Wilhelm IV.)のためにシュトルツェンフェルス城(Stolzenfels)の廃墟を再建していた。ヘッヒンゲン(Hechingen)では、シンケルの弟子であるフリードリヒ・アウグスト・シュトュウーラー(Friedrich August Stüler)が、にホーエンツォレルン城を建設していた。
こういった山城の建築は、建築家ボード・エープハルト(Bodo Ebhardt)の下で花開き、城砦建築の最盛期を生んだのだった。エープハルトは、なんと25を超えるドイツの城の拡張と再建に関わっている。彼の貢献がなければ、中世の再現はその実現を見ることはなかっただろう。
すでにホーエンシュヴァンガウ再建の時、マクシミリアンは再解釈とあらゆる演出効果を使用していた。建物はゴシック様式で修復する必要があり、壁にはモーリッツ・フォン・シュウィンド(Moritz von Schwinds)とリンデン・シュミット(Linden・Schmits)の絵画が飾られた。城のテーマは、白鳥の騎士が登場するヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(Wolfram von Eschenbach)による《パルジファル》である。この作品は10年後にワーグナーの壮大なオペラとなるのだ。 マクシミリアンの息子ルートヴィヒとオットーが子供時代に王の夏の離宮で過ごした頃、その記憶に残るのは、中世の終わりのない映画のようなこの空想世界だった。
建築監督は、ジュリアス・リーデル(Julius Riedel)、ゲオルク・フォン・ドールマン(Georg von Dollmann)、ジュリアス・ホフマン(Julius Hoffmann)の手に委ねられた。壁画はヴィルヘルム・ハウシィルト(Wilhelm Hauschild)によって作成された。数え切れないほどの個室と「オラトリオ」に加えて、騎士道と愛の文化が蘇る《玉座の間》と《歌手の間》(Sängersaal)が作られた。王が1886年に亡くなったとき、建築計画の主要な部分はまだ完成されていなかった。
150年後、反機能性と美しい外観を備える、そのキラリと光る白亜の城は、それ自体が森の中で「白鳥」となり、山に囲まれた風景の中で、非現実的で、ほとんど異世界的ですらある光景を映しだしている。激動の19世紀に詩、舞台、ロマン主義、宗教によって想起されたもののすべてがこの城に凝縮されている。
しかし、この城の建設を始めたルートヴィッヒ2世は、もはや自分では建設費を支払うことができず、バイエルン王位からも退位させられたのだった。1870年11月19日、プロシア大使のフォン・ヴェルターン伯爵(Graf von Werthern)は、ビスマルクに電報を送った。「極秘。バイエルン国王は、城と劇場建設によって大きな経済問題を抱えている。」ビスマルクはルートヴィヒに「皇帝書簡」を送り、バイエルン政府の代表者とバイエルンのドイツ帝国加盟について交渉を行った。ビスマルクは次の言葉で締めくくった。「ドイツは統一され、カイザーもまた然り。」
帝国統一の最初の仲介者となったのが、図らずもこの夢の城だったことは、この建造物をドイツの歴史における一種のアイコンへと押し上げた。今もそしてこれからも、歴史は、舞台の世界から創られたこの城を「本物の城」と紹介することはなく、「偽りの城」であり続けるだろう。しかし、永遠に完成することのないおとぎの国の城はそれでも多くの観光客を惹きつけ、これからもドイツを代表するモニュメントであり続ける。
参考:
welt.de, “Das Zauberschloss der Deutschen”, Dankwart Guratzsch, 08.05.2018, https://www.welt.de/kultur/article176163336/Das-Zauberschloss-der-Deutschen-Neuschwanstein-wird-150-Jahre-alt.html
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