16世紀、激動のイングランド。
その中心に君臨したのは、生涯に6人もの王妃を娶り、うち2名を処刑台へと送った非情なる君主ヘンリー8世である。その悪名高き王が迎えた4番目の王妃は、実はここデュッセルドルフの出身であった。
名をアンナ・フォン・クレーフェ(Anna von Kleve)という。
彼女は、当時この地に存在したユーリヒ=クレーフェ=ベルク公国の君主ヨハン3世の娘として生まれ、ゾーリンゲン近郊の峻険な城、シュロス・ブルク(Schloss Burg)の静寂の中で育てられた。
3番目の王妃ジェーン・シーモアを産褥死で失ったヘンリー8世は、男子後継者を盤石にするため、すぐさま次なる妃の選定に着手した。
当初、王はデンマークのクリスティーヌ・ド・ダヌマルクに求婚するが、王の凄惨な悪評を耳にしていた彼女は「私に二つの頭があったなら、王と結婚いたしましょう」と、命を惜しむかのような痛烈な皮肉でこれを断った。
万策尽きたかに見えた折、側近トマス・クロムウェルが差し出したのが、ドイツの有力貴族クレーフェ家の娘、アンナであった。
これはハプスブルク家のカール5世やフランスのフランソワ1世といった強国に対抗するための、ドイツ諸侯との極めて政治的な同盟の産物であった。
クロムウェルは、アウグスブルク出身の天才画家ハンス・ホルバインに、彼女の肖像画を描くよう命じたのである。
ハンス・ホルバインが描いたアンナの肖像を一目見たヘンリー8世は、その清楚な美しさに心を奪われ、即座に結婚を決意したと伝えられる。

1539年、婚礼は正式に決定。アンナを異国イングランドへと送り届けるため、デュッセルドルフからは263名の人員と228頭の馬という大行列が編成され、彼女をカレーの港まで護衛した。
しかし、運命は非情であった。ドーバーに上陸し、ロチェスターで待望の対面を果たしたヘンリー8世は、目の前に現れた実物のアンナを見るなり、激しい怒りに震えたという。
肖像画の美しさと現実の落差に絶望した王は結婚を激しくためらい、式を二日間延期させた。
だが、今さら大陸の有力な同盟国を失うリスクを冒すわけにはいかず、1540年、王は苦渋の決断でアンナを王妃として迎えたのである。
二人の溝を深めたのは外見だけではなかった。アンナは当時のドイツの非常に保守的な教育の中で育ったため、音楽や文学、外国語といったイングランド宮廷で必須とされる教養に触れる機会がなかった。
対する王は、当代きっての文化人を自負する知性の塊である。会話すらままならない二人の間には、深い断絶が横断していた。
結婚からわずか半年後、王は冷徹に動いた。
彼女がかつてロレーヌ公フランソワ1世と結んでいた婚約が無効になっていなかったという法的な不備を突き、一方的に離婚を宣告したのである。(皮肉なことに、このフランソワ1世は後に、ヘンリーの求婚を断ったデンマークのクリスティーヌ妃と結婚している。)
この「失敗した縁談」の代償は大きかった。
アンナを推薦したクロムウェルは責任を問われ、ロンドン塔で斬首の露と消えた。名画を描いたホルバインもまた王の寵愛を失い、宮廷画家の座から追放されてしまう。

王が離婚を急いだ背景には、アンナの侍女であり、後に5番目の妃となる若きキャサリン・ハワードとの恋仲があったという。
議会が離婚を認めた時、アンナの脳裏には処刑された2番目の王妃アン・ブーリンの凄惨な最期がよぎったに違いない。
彼女は己の置かれた危うい立場を冷静に理解した。そして、一言の異議も唱えず退位書に署名し、王の願いを静かに叶えたのである。
その潔い態度に満足し、またドイツの有力一族との全面衝突を避けたかった王は、アンナに《王の愛する妹》(the King’s Beloved Sister)という特別な称号を授けた。
広大な所領と潤沢な年金を与えられた彼女は、デュッセルドルフへ帰る選択肢もあったが、あえてイギリスに留まる道を選んだ。
隠居先のヒーバー城(Hever Castle)で、彼女の真の人生が始まった。
アンナは独学で英語を学び続け、イギリスやイタリアの最新ファッションに身を包むことを楽しむようになった。
その自然体で親しみやすい振る舞いは、いつしかイングランドの人々に広く愛されるようになったという。
1557年7月、彼女はチェルシーで静かにその生涯を閉じた。死因は癌であったとされる。
アンナ・フォン・クレーフェは、王を虜にするような魔性の美貌も、宮廷を驚かせるような才覚も持ち合わせてはいなかったかもしれない。
しかし彼女には、荒れ狂う暴君の横で己の命を守り抜く、卓越した「政治的な知恵」と「冷静な分析力」があった。
彼女の次に王妃となったキャサリン・ハワードが後に処刑されたことを思えば、アンナは王の妃の中で最も長く生き、唯一、威厳を持ってウェストミンスター寺院に埋葬された勝利者と言える。

Source:https://www.westminster-abbey.org/abbey-commemorations/royals/anne-of-cleves-4th-wife-of-henry-viii
凄惨な歴史の渦中で、自らの手で「穏やかな幸せ」を掴み取った彼女の人生は、今もなおデュッセルドルフとロンドンの歴史を繋ぐ、奇跡のような物語として語り継がれている。



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