ジョバンニ・バティスタ・ティエポロが描いた天井画
階段の間
世界遺産レジデンツの階段の間にあるフレスコ画は、ジョバンニ・バティスタ・ティエポロの作品で、フレスコ画としては世界最大だ。
ティエポロはルネサンス期最後の巨匠と呼ばれる西洋絵画の大家だ。浅田次郎著の『蒼穹の昴』には、ジュゼッペ・カスティリョーネがティエポロに送った手紙として、このフレスコ画に関する描写が出てくる。
『ヴェルツブルグの宮殿のドームには、シャンデリアがないのですよ。ティエポロの描いたフレスコの青空は、本物の空と同じくらい明るいのです。
ヴェロネーゼが、ティツィアーノが、ティントレットが追い求めた永遠の蒼穹(あおぞら)を、あなたはとうとう、あなたの絵筆で描き出したのですね。』
浅田次郎著『蒼穹の昴』
この前代未聞の大きさのフレスコ画を完成させたことで、ティエポロはさらに名声を博したのだった。
ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロ
ティエポロは1696年、ヴエネチアで生まれている。稀代のフレスコ画の名手として、ヴェネツィア派の先人ティントレットやヴェロネーゼを受け継ぐ画風に加え、ルーベンスなどにも影響を受け、壮麗で煌びやかな作品を数多く残した。彼の残した作品には、ギリシャ神話、英雄の叙事詩、歴史、オペラのシーン、神々の祭典などをテーマとして扱ったものが数多く存在する。宮殿や貴族の館を彩る天井画は、正確な遠近法に加え、下方から見上げる仰視法を取り入れており、鑑賞効果を最大限に引き立てる演出が巧みに施されている。
ティエポロは、絵画を学ぶため、母親の兄弟のもとに送られた。そこですぐに才能を開花させ、わずか17歳で画家組合への登録を許され、21歳でマイスターに上り詰めている。人気画家へと成長したティエポロは、次第にヴェネツィア司教宮殿のペイントなどを任されるようになる。
ティエポロは2人の息子とともにヴュルツブルクに滞在し、その時にレジデンツの階段の間を完成させている。その後、一旦はイタリアに戻ったが、晩年はスペイン国王カルロス3世の招きでマドリッドへ赴いている。マドリッドでは、王宮の装飾などを手がけたが、故郷イタリアに戻ることなく、1770年にマドリッドで亡くなっている。ティエポロの作品はヨーロッパ各地で展示されており、ルネッサンス期より続くヴェネツィア派の最後の巨匠とも呼ばれている。
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