ベンラート城

デュッセルドルフ

デュッセルドルフ中央駅から南に10キロほど下ったところに、ベンラートという地区がある。ヨハン・ヴィルヘルム亡きあと、選帝侯位を継いだカール・テオドールは、文化や学芸の振興に熱心であり、ここにベンラート城を建設している。もともとこの場所には、ヨハン・ヴィルヘルムも使っていた小さな城があったのだが、火災と水害で使い物にならなくなっていた。

カール・テオドールはここに夏の離宮を作るべく、ニコラ・デ・ピガージュ(Nicolas de Pigage)に新たな城の建設を命じている。依頼をうけたピガージュは、1755年から1773年にかけて、ここにフランス風の宮殿を建設した。後期バロックと古典主義への移行期に建てられた建築物として、重要な位置づけを与えられている。壁の淡いピンクと屋根のブルーのコントラストがなんとも印象的だ。

宮殿の完成後、カール・テオドールはこの城を訪れたのはたった1度。それもわずか数時間の滞在だったという。1799年、カール・テオドールはこの世を去り、主のいない城はしばらく空っぽのままだった。

その後は、フランスの革命軍による征服を受け、1804年にはバイエルンのウィルヘルム公に占拠された。また、ナポレオンが1806年にベルグ大公に任命したジョアシャン・ボナパルト・ミュラ(Joachim Murat)がこの城に滞在している。

フランス軍の騎兵指揮官。数々の戦役でナポレオンとともに戦い、華々しい戦果を上げた。ナポレオンの妹マリア・アヌンツイアッタ・ボナパルトと結婚し、ナポレオンの義弟となった。1806年からは、ベルク大公爵およびクレーフェ公国の君主に任命され、ベンラート城を引き継いだ。

ナポレオン失脚後、1815年から城はプロイセンの所有となる。 1911年に売却されるまで、王室とその家族や、プロイセン王やドイツ皇帝がこの城に居を構えた。この城は戦後も著名人の訪問を受け、1965年にはエリザベス2世が訪れたほか、スウェーデンのシルビア女王に至っては2度も訪問したという。

参考:

Monumente – das Magazine der Deutsche Stiftung Denkmalschutz, “Ein bescheidenes Häuschen am Weiher im Park”、06.2005, https://www.monumente-online.de/de/ausgaben/2005/3/ein-bescheidenes-haeuschen-am-weiher-im-park.php

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