妻に救われた騎士 | アルツェナウ

アルツェナウ

ハーナウ近郊に《アルツェナウ》という町がある。行政区分上はアシャッフェンブルク市に属し、ハーナウのあるヘッセン州ではなく、バイエルン州に属するのだが、アシャッフェンブルクからよりも、ハーナウからのほうがアクセスが良く、クルマでも20分以内に到着する。アルツェナウ城は、1400 年頃、マインツの大司教によって後期ゴシック様式で建てられ、マインツ選帝侯の為政の場として使用された。楕円形の敷地の中に建っており、壁に囲まれた大きな前庭と、中庭を備えた宮殿のある内部の城に分かれている。

1400年から1500年までは度重なる戦争と防衛のために支払う借金のかたとして使用されていた。川の反対側にはすでにヴィルムントスハイム(Wilmundsheim)と呼ばれる古い集落があり、950年頃の文書にすでに記載があるという。1500年、この場所はマインツ選帝侯とハーナウ伯爵の共同支配の領地となった。1634年、三十年戦争中、スウェーデン兵の襲撃により破壊された城は、後に城下の居住地であったヴィルムントスハイムと合併し、名前も引き継いだ。

1740年には分割され、アルツェナウはマインツ選帝侯領として残った。1803年にはヘッセン=ダルムシュタットのものとなり、1816年にはバイエルンに譲渡された。1900年には敷地内に役所の建物が建てられ、今日でもアシャッフェンブルク裁判所の支部がある。廃墟となっていた宮殿は、1974年から1975年に改装され、以降は城や中庭はコンサートなどの文化的イベントに使用されている。

このアルツェナウという名前には由来がある。14世紀、この土地にはブランデンブルクの騎士が住んでいた。彼は妻とその地で繁栄を築き、幸せに暮らしていた。そこに当時、力を持っていたロンネブルクの貴族は、皆の羨望の的であったブランデンブルクの騎士の評判に嫉妬し、さしたる理由もなく、突如として騎士の城を攻撃したのだった。その襲撃に対して、ブランデンブルクの騎士はなすすべがなかった。彼は無条件に降伏するかわりに、妻を自由の身として城から解放するようロンネブルクに懇願した。

騎士の降伏に気を良くしたロンネブルクは、騎士の妻を城から解放するだけでなく、彼女がひとりで担げるだけの私財を持ち出すことさえ許可した。すると、なんと彼女は自分の夫である騎士を背負い、城を出ていってしまったのだ。ロンネブルクはその行動に驚いたが、たった今したばかりの約束を破るわけにもいかず、ただただ、その行動を見ているだけだった。騎士の妻はそのか細い体に夫を背負い、疲労困憊で倒れそうになりながらも、城を離れようと一心不乱に歩きつづけた。そんな妻の様子を見て、騎士は自分を置いて逃げるように妻に言った。すると妻は、息を切らしながら「(まだ敵から)近すぎます。」という意味の「アル・ツー・ナー!(All zu nah)」とだけ言って、敵の手から十分に離れた小高い丘まで夫を運んだのだった。

襲撃からしばらくして、ロンネブルクの貴族は、この襲撃に対する責任を問われ、一族郎党、町から追放されたのだった。彼らが乗っ取った城からも追い出され、城には火がかけられた。その後、この地に戻ったブランデンブルクの騎士は、廃墟となった城を再建することはせず、妻が生死をかけて自分を運んでくれた丘の上に新しい城を築いた。そして、妻の愛情を忘れないために、妻が言った「アル・ツー・ナー!」に因んで、この地を《アルツェナウ》と名付けたのだった。http://www.sagen.at/texte/sagen/deutschland/bayern/spessart/alzenau.html

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