ドナウに消えた花嫁

シュトラウビンゲン

【アグネス・ベルナウアー】

アウクスブルクの近くに、シュトラウビンゲン(Straubingen)という小さな町には、ドナウ川にアグネス・ベルナウアー橋(Agnes-Bernauer-Brücke)という橋が架けられている。この橋の名前の主は、アウクスブルクに住んでいたアグネス・ベルナウアーという市井の女性である。

15世紀のアウクスブルク。カスパー・ベルナウアーは、娘のアグネス・ベルナウアーの手を借りながら、公衆浴場を営んでいた。当時、こういった公衆浴場では、ユダヤ人でなければ誰でも低額の料金で利用でき、施設では体を洗い流し、マッサージを受け、簡単な治療を受けたりすることもできたという。そして何より、施設内では裸の付き合いであり、仲間うちで打ち解けた話ができたため、大好評であった。

1428年の初め、バイエルン=ミュンヘンのエルンスト公爵の息子、27歳のアルブレヒトがその浴場を訪れた。彼は、そこで働いていた、まだ二十歳にも満たない美しいブロンドのアグネスに恋をしたのだった。二人はすぐに親密な関係となり、まもなくアグネスはアルブレヒトの子供を出産している。アルブレヒトは、インゴルシュタット付近のドナウ川のほとりにある小さな城をアグネスに与えている。そして二人は教会で極秘に結婚式を挙げたのだった。

1375年以来、バイエルンは、ミュンヘン、ランズフット、インゴルシュタットの三つの公国に枝分かれしていた。バイエルン=ミュンヘンのエルンスト公爵は、従兄の男系子孫が途絶えていることもあり、息子であるアルブレヒトがいつの日かバイエルンを統一することに大きな期待を抱いていた。

その為、1432年には、息子に結婚するよう強く勧めている。その時、アルブレヒトは自分がすでにアグネスという女性と結婚したことを告げたのだった。知らせを聞いたエルンスト公は、息子が風呂屋の娘と結婚したことに大きく落胆し、バイエルン統一の夢が崩れるのを感じたのだった。父親は息子に対して、その結婚が無効であるよう宣言するように迫った。アルブレヒトは父親の頼みを退け、アグネスに対する自分の愛情を貫く決意だった。

1432年以来、アルブレヒトとアグネスの夫婦は、娘と3人でシュトラウビンゲンとミュンヘン近郊に交互に暮らしていた。アルブレヒトの父親、エルンスト公は息子を説得することを諦め、実力によって問題解決を図る道を選んだのだった。従兄であるバイエルン=ラントフット家のハインリッヒ公(Heinrich von Bayern-Landshut)と、ミュンヘン市長のアレクサンダー・リーグザルツ(Alexander Liegsalz)とともに陰謀をめぐらしたのだった。

1435年の10月、バイエルン=ラントフット家のハインリッヒ公はアルブレヒトを鹿狩りに誘い出した。父親の陰謀について知る由もないアルブレヒトは、無邪気にもハインリッヒの誘いに乗って、母子を家に残し、出かけていったのだった。10月11日、エルンスト公は、シュトラウビングにいたアグネスを逮捕している。そして、結婚の誓を取り消すよう強要されたのだった。アグネスは出かけた夫のアルブレヒトが戻ってきて、この状況から救い出してくれるという期待をもって、結婚の誓を破棄することを拒んだのだった。時間がなかったエルンスト公は、今度はアグネスに魔女の疑いをかけたのだった。魔術によって夫のアルブレヒト公を鬱状態にし、毒殺を企てたというのがその「罪状」であった。

中世においては、魔女に対する処罰は認められていたことから、エルンスト公は自身の行為も正当化することができた。エルンスト公に同行していたミュンヘン市長のアレクサンダー・リーグザルツは、アグネスに対して死刑を言い渡した。

翌日の10月12日、アグネスは絞首台で吊るされるかわりに、体をロープでグルグル巻きにされ、ドナウ橋の上から川へと突き落とされたのだった。川へと落ちたアグネスはどうにか体にまかれたロープを外すことができたが、死刑執行人の男が棒を使ってアグネスが溺死するまで彼女の体を川の中へと押し込み続けたのだった。

この信じがたい知らせを聞いたアルブレヒトは、バイエルン―インゴルシュタットのルートヴィッヒ7世(Ludwig VII.)とともに、父親エルンスト公に対する戦争を宣言する。そして、時の神聖ローマ皇帝ジギスムント(Sigismund)によるとりなしがあって、ようやく和解へと動いたのだった。1437年、アルブレヒトは、ブラウンシュヴァイク公国の公女アンナ(Anna von Braunschweig-Grubenhagen)と結婚しており、10人の子供をもうけている。父であるエルンスト公は、殺害したアグネスに対する償いとして、赤い大理石で彼女の墓石を作らせている。アルブレヒトが公爵位を継いでからは、シュトラウビングにある聖ピーター墓地(Sankt Peter Friedhof)にある礼拝堂にアグネスの遺骨を移している。

アルブレヒトが結婚した翌年の1438年、エルンスト公は亡くなり、ミュンヘンのフラウエン教会に埋葬された。アルブレヒト公はミュンヘンで没した後、生前建設したミュンヘン近郊のアンデックス(Andechs)の修道院に埋葬されている。

バイエルンの歴史家で作家のマリア・パンツァー(Marita A. Panzer)は、実はアグネスは野心的な人物で、政治的な野心があったのではないかという説を唱えている。その為、ヴィッテルスバッハ家の名誉と継承を守る為に、エルンスト公はアグネスを処刑する理由があったという。今となっては真相のほどはわからない。いずれにせよ、このアグネスの話は、バイエルン以外ではドイツでもあまり知られていない。アグネスの出身地であるアウクスブルクのホームページには簡単な説明があり、彼女の生涯をテーマにした劇も上演されている。1961年には、ブリジット・バルドー主演で映画も作られている。

アグネスが突き落とされた橋は、シュトラウビングにあるアグネス・ベルナウアー橋(Agnes-Bernauer-Brücke)の近くにあったと推測されている。シュトラウビングにある聖ピーター墓地には、身に覚えのない罪をきせられ、非情にも殺害されたアグネス・ベルナウアーを偲ぶ墓碑が今でも残っている。彼女の唯一の犯罪は、バイエルンの公位継承者が彼女に狂ったように恋をしたことだった。

参考:

“111 Geschichten zur Geschichite”, Jan von Flocken, Kai Homilius Verlag, 2009, P94-P96

sueddeutsche.de, “Geliebt und ertränkt”, Hans Kratzer, 20.06.2015, https://www.sueddeutsche.de/bayern/agnes-bernauer-aus-straubing-geliebt-und-ertraenkt-1.2528594

welt.de, “Justizmord an einer Bademagd”, 16.07.2007, Jan Von Flocken, https://www.welt.de/kultur/history/article1030980/Justizmord-an-einer-Bademagd.html

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