オランダの再洗礼派、ヤン・ファン・ライデン
聖ランベルトゥス教会は、大聖堂と並んで、ミュンスターで最も大きな教会の1つに数えられる。以前はロマネスク様式の下部と後期ゴシック様式の上部からなる《ランベルティ塔》として知られていた。繰り返し塔の高さを伸長したため、その重さにより、16世紀にはすでに塔が西方向に傾いていたと伝えられる。市民の多くはオリジナルの塔を残したいと考えていたようだが、1881年に起こった嵐によりさらにダメージが深刻となった塔は結局取り壊され、フライブルクのミュンスターをモデルにして再建されることとなった。ネオゴシック様式で建てられた高さ90.5メートルの塔は1896年に完成し、今日も町のランドマークとしてミュンスターにその姿をとどめている。
この教会でもっとも目を引くのは、塔に掲げられた3つの鉄の籠の存在だろう。この籠を目当てにやってくる観光客も多く、町のシンボルと言っていい。しかし、この籠の近くには、その用途や歴史を説明したような看板はなく、初めて目にする者には要領をえない。
これは中世に使用された刑罰の道具だ。中世にはこういった鉄製や木製の籠に罪人を入れたり、死刑執行後に死体が入れられて晒されることがあった。市民に対する見せしめの為だが、死後も埋葬さえ行わないという懲罰の意味も込められている。鉄の籠の大きさは3つともそれぞれ若干異なっているが、概ね縦180㎝、横80㎝の大きさで、重さはひとつ200キロを超えるという。わざわざドルトムントの鍛冶屋に注文した特注品らしい。しかし、どうしてそんなものが教会の上に掲げられているのか?
話は16世紀に遡る。ヤン・ファン・ライデンというアナバプティストのリーダーが、オランダからの迫害から逃れミュンスターにやってくる。アナバプティストというのは、プロテスタントの一派で、日本語では《再洗礼派》と訳される。スイスの宗教家ツヴィングリは、その聖書主義の観点から、聖書に根拠のない儀式の廃止を進めた。その中でも一部の急進派は、生まれたばかりの赤ちゃんに洗礼を施す《幼児洗礼》が、聖書に根拠がないとして否定すようになった。この一派は結局ツヴィングリ派から独立し、再洗礼を行うようになった為、《再洗礼派》と呼ばれるようになった。このスイスで生まれた一派はドイツやオランダにもその影響力を広げていったのだ。
ミュンスターにやってきたこのファン・ライデン、名前が示すとおり、オランダのライデン出身で、仕立て屋を営んでいたが、ヤン・マティアスという宗教家に出会って洗礼を受けてから、アナバプティストに入信し、のちに説教者となる。
長身でカリスマ性に満ちたファン・ライデンはみるみる頭角を現し、説教者となり、ミュンスターで同派の布教を任される。ミュンスターにやってき来たファン・ライデンは、この地に新たなエルサレム王国を建国して、自らその王になるという考えに取りつかれるようになる。アナバプティストたちは議会で過半数を獲得し、町への支配力を高め、ついには司教までも町から追い出してしまう。ファン・ライデンはミュンスターにおけるアナバプティストの唯一のリーダーとして君臨するようになるのだった。《ミュンスターの反乱》と呼ばれる出来事である。
ミュンスターに一夫多妻制を導入し(ファン・ライデン自身、17人の妻がいたという)、貨幣を廃止し、財産共同制などを強いて、反抗する者は処刑という恐怖政治を行った。ミュンスターの司教であったフランツ・フォン・ヴァルデック(Franz von Waldeck)も黙ってはおらず、ファン・ライデンが支配するミュンスターを軍隊で包囲する。包囲は一年半にも及んだというが、最後には食料の供給を断たれ、軍隊の突入を許した。立て籠もったアナバプティスト派の大部分はその場で殺害され、生き残ったファン・ライデンらも全員捕らえられたのだった。
1536年、捕らえられたアナバプテストの指導者3人に判決が下る。拷問ののち死刑。その方法が残忍を極める。「燃え滾ったハサミで体のすべての肉を骨から引きはがしたのち、燃え滾る鉄の棒で喉と心臓を突き刺す。」犯罪者の人権が考慮される現代においては、にわかには信じがたい凄惨な処刑方法であるが、この刑は市庁舎前の広場(現在のプリンツィパルマルクト)で、大勢の観衆が見守るなか、数時間かけて執行されたという。今後、このようなクーデターを企てようとする者に対する、ミュンスター司教フランツ・フォン・ヴァルデックからの強烈なメッセージだった。
刑の執行後、死体(もうそう呼べるような状態ではなかっただろうが)は、見せしめとして塔のてっぺんにある鉄の籠に吊り下げられた。刑の執行から50年経った後でも、籠のなかに残っていた最後の骨の断片を肉眼で確認することができたという。16世紀に実際に使用されたこの籠が現在でも教会に取り付けられている。
この鉄籠の展示については、ミュンスター市民の間でも喧々諤々、議論があったらしい。宗教の名のもとに行われた残虐な刑罰の歴史をとどめておこうと主張する者、残忍な刑罰に使用された道具を展示するなど時代にそぐわないと反論する者。結局、籠の展示は継続されることとなり、今日まで中世の血生臭い歴史を語り継いでいる。
1944年の爆撃では教会の塔も損傷し、籠もその時に落下したが、修理されてもとの場所に掲げられたらしい。1987年にはそれぞれの鉄籠のなかにひとつずつランプが取り付けられ、毎晩ミュンスターの町を控えめに照らしている。処刑された3人のアナバプティストの魂を表しているという。
余談だが、このアナバプティストの物語は、《König der letzten Tage / 英題:A King for burning 》というタイトルで映画にもなっている。3時間以上もある映画だが、オーストリア出身のアカデミー俳優、クリストフ・ウォルツが、アナバプティストの指導者、ヤン・ファン・ライデンを演じている。
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