ライン河畔のオーバーヴェーゼル(Oberwesel)は、ザンクトゴアールとバッハラッハに隣接した小さな町であり、ユネスコの世界遺産に登録されている《ライン渓谷またはアッパーミドルラインのライン川の左(西)岸》に属している。ライン川下流にはヴェーゼルと呼ばれる別の都市があるため、区別するために、オーバーヴェーゼルと呼ばれている。
町はケルト人の入植地として始まり、ローマ時代には馬の交換所だったという。9世紀、町はフランク王室の所有となった後、皇帝オットー1世の下でマクデブルク大司教へと譲渡された。 1220年、皇帝フリードリヒ2世によってオーバーヴェーゼルは帝国自由都市となっている。 1255年、オーバーヴェセルはライン都市同盟(Rheinischer Städtebund)のメンバーになったが、1309年に帝国自由都市としての地位を失い、トリーア大司教の支配下に置かれている。
ケルトの時代からの長い歴史を持つオーバーヴェーゼルであるが、ライン川沿いの他の町と同様に不思議な伝承が残っている。それは7人の美しき乙女と彼女たちに求婚してきた騎士の話だ。
その昔、王や騎士がライン川沿いに住んでいたとき、オーバーヴェーゼルの近くに堂々とした城が建っていた。城主には非常に美しく、父親と同じように頑固な7人の娘がいた。残念なことに、城主の老騎士は娘たちを残してすぐに亡くなってしまった。跡取りとなる男系の後継者がいなかったため、城主は相当後悔して死んだのではないかと思われていた。
城主が亡くなった後は、叔母にあたる年配の女性が娘たちの世話をした。娘たちは徐々に城の外の生活や自由な生活に対する憧れを大きくし、叔母がいくら言ってもその願望を抑えつけるのは難しくなっていた。そんなうら若き乙女たちの一人を花嫁にするべく、多くの騎士が城にやってきては求婚を行ったが、彼女たちはそれらをすべてはねのけたのだった。彼女たちは自らの美貌により男たちに秋波を送ってはその気にさせるものの、結婚への誘いはにべもなく断り、時には求婚者のことをからかって嘲笑さえしたという。
恋に落ち、拒絶された求婚者の多くは、その上に恥をかかされ、怒り心頭で帰っていった。しかし、それでも娘たちに求婚しようとする者は後を絶たなかった。しかし、勇敢な騎士の試みも成功したことはなかった。娘たちは結婚生活を送るよりも、めいいっぱい自由な生活を楽しみ、狩猟や鷹狩をして過ごすことを選んだのだった。
こうして数年の月日が流れた。ある日、数名の騎士が娘の心を勝ち取りたいと思い、城に滞在していたので、食堂では大きなごちそうが準備されていた。しかし今回は2人の若く情熱的な騎士が別の騎士との間で口論に発展し、それは予想外に激しい争いへと進展した。
この争いを解決するためにも、騎士たちは、7人の娘が一体どの騎士と結婚するつもりなのか、明らかにするべきだと要求した。もちろん、その要求は娘たちの意に沿うものではなかったので、彼女たちは最終的な決定は明日の早朝に行うと宣言して、その場を収めたのだった。
騎士たちは翌日の早朝、期待に満ちて大広間に集まった。しかし、娘たちは誰もそこに現れなかった。城の使用人は娘たちがライン川で待っていることを騎士たちに告げたので、騎士たちは緊張に満ちた表情でライン川へと向かった。
ライン川に到着したとき、騎士たちは娘たちがライン川に浮かんだ小舟の上に座っているのを見つけた。騎士たちは大変驚いて、それが何であるかを尋ねたのだが、彼女たちは嘲笑しただけだった。「私たちはどなたとも結婚するつもりはありません!私たちはこれから、ライン川を下っていきます。そこでは、もっと多くの騎士たちが私たちに求婚するでしょう!」
小舟が動き始めると、娘たちの大きな笑い声が岩に響き渡った。しかし、その瞬間、巨大な嵐が巻き起こった。ライン川の流れは激しくなり、娘たちの笑い声は叫び声へと変わった。波は強大な力で娘たちを襲い、彼女たちを川の奥底へと連れ去ってしまった。小舟が沈んだあたりは頑丈な岩が多く、今日でもオーバーヴェーゼル近くの水位が低い時には見ることができる。
伝説によると、娘たちに求婚したい者がこの辺りの岩を用いて、ライン川のほとりに教会を建てれば、彼女たちは戻ってくると伝えられている。しかし、その試みを行ったものはなく、現在でも オーバーヴェーゼル近くのライン河畔ではこの娘たちのうめき声が聞こえるという。
この伝承は、ヴィルヘルム・ルーランド(Wilhelm Ruland)というボン出身の作家が著した《ラインの伝説(Rheinisches Sagenbuch)》に収められた話だ。物語の主人公にあたる娘たちやその父親の王が誰なのかは、史実と照らしてもはっきりしない。
1689年、プァルツ継承戦争時にオーバーヴェセルはフランス軍によって初めて破壊された。 1794年にはフランス革命軍によって町は占領され、1802年にフランスへと併合されている。ウィーン会議の後、オーバーヴェーゼルはライン川の左岸の残りの部分とともにプロイセン領に編入されている。
町にはこの乙女の物語を想起させるような13世紀から残る市壁が残っており、中世の面影を残している。ゴシック様式で建てられたリープフラウエン教会(聖母教会)は、町のランドマークとなっている。
参考:
drachenwolke.com “Jungfrauen bei Oberwesel”, https://www.drachenwolke.com/rheinsagen/die-sieben-jungfrauen-bei-oberwesel-im-rhein/
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