ドイツのルネサンス建築

☆その他

【ドイツの建築】イタリアから南ドイツへと広がった建築様式

ルネッサンス、活版印刷の発明、アメリカ大陸の発見、宗教改革によって世界は変わり始めた。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ウィリアム・シェイクスピア、アルブレヒト・デューラー、ロッテルダムのエラスムス、マルティン・ルターはすべて、まったく新しいスタイルで偉大な芸術作品を作成し、研究し、哲学し、世界を変え、 15~16世紀のルネサンスとともに近代が始まったと言える。
フランス語で《再生》を意味するルネッサンスは、実際には古代の再発見から始まった。ギリシア人とローマ人の文化は建築、芸術、文化、人文科学のモデルとなった。中世、特にゴシックの世界は原始的で野蛮なものとして認識され、克服されたと考えられていた。
ゴシックという用語を作り出した同じジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari)は、彼が軽蔑的な意味を持ち、新しい時代を「リナシメント」(イタリア語 = 再生)と呼んだ。その後はフランス語の「ルネッサンス」という言葉が使われるようになった。
ルネッサンスは特に古代ローマに関連しているため、ヨーロッパの他の地域よりもイタリアではるかに早く発展した。 そのルネッサンスの流れが15世紀と16世紀にドイツにも押し寄せてきた。ルネッサンス建築は、規則性と均一性を発展させた様式といえる。古代ローマのデザインをモチーフにした柱と装飾品が多く登場した。建物を見る者の視線は、下から上へと向けられるのではなく、ファサードの中心に向けられるようになった。ファサードは建物の中央に垂直線を引いたとすると、その線を中心にきっちりと左右対称の形になるよう形作られた。柱と装飾用のペディメントがしばしばポータル(建物の正面玄関)を強調しており、ファサードにはバルコニーがあしらわれることもあった。

アウグスブルクの市庁舎。入口の上にバルコニーが付けられている。

正面玄関のアーチは尖った形のものではなく、円形または楕円の形をとるようになり、アーケードや窓枠として柱と一体化して表現されることが多かった。内部の天井にはバレル・ヴォールト(ドイツ語:Tonnengewölbe)というかまぼこ型のアーチをした天井も再び使用されるようになった。
ルネッサンス建築では、デザイン上、窓とドアが非常に重要であった。半円形または三角形の妻側(ドイツ語:Giebel)は、装飾的な機能しか持たない小さな側柱とともに、水平に置かれたまぐさ石(2つの支柱の上に水平に渡された石のこと)の上に配置されることがあった。

ノイエンブルク城のポータル
(Source:schloss-neuenburg.de)

シュヴェリーン城

15 世紀から 16 世紀にかけて、ドイツでもルネッサンスが花開いた。イタリアへの旅行者が新しい考えをもたらし、アルブレヒト・デューラーとラファエルとの書簡が保存されている。当時、商人の中には非常に裕福な人もいたが、最高の名声を求めて諸侯と競争していた。ハイデルベルク城や北部のシュヴェリーン城など、印象的な建物、城、宮殿がこの時代に作られている。

シュヴェーリン城

ルネッサンス絵画は、人物、風景、物は自然に沿って描かれるべきだというコンセプトに従って、完璧さと美しさを追求した。ここでは、空間的な印象を生み出すことを可能にするパースペクティブの開発が役立ちました。理想と美しさを強調して、オブジェクトをより正確に描くようになったのだ。
レオナルド ダ ヴィンチの最後の晩餐やモナ・リザ、ラファエロのシスティーナの聖母、システィーナ礼拝堂のミケランジェロのフレスコ画はイタリアのルネサンス絵画のあまりにも有名な例といえる。しかし、ルーカス・クラナッハやハンス・ホルバインのようなドイツの画家もドイツ・ルネサンスの巨匠も《北方ルネッサンス》を担った功労者として知られている。

参考:

oppida.de, “Renaissance – Wiedergeburt der Antike”, Januar 2019, https://www.oppida.de/die-schoensten-staedte-deutschlands/architektur/renaissance/

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