ホーエンバーデン城に現れる《灰色の女》

バーデンバーデン
ホーエンバーデン城 
(Source: altes-schlosshohenbaden.de)

シュトゥットガルトから西に100㎞、湯池の町バーデンバーデンがある。この町にあるホーエンバーデン城(Schloss Hohenbaden)は、中世にはバーデン辺境伯の居城であった。リンブルク辺境伯が、バッテルトの岩山の西斜面にあるオーバーライン地方に統治を移した後、その支配の中心地として、当時バーデンとして知られていた場所に建てた城である。城上部の建設は、リンブルク辺境伯ヘルマン2世(Markgraf Hermann II.)により、1100年頃に開始されたと考えられている。 1112年から、ヘルマン辺境伯はリンブルク辺境伯あらため、バーデン辺境伯と名乗るようになった。

15世紀、バーデン辺境伯ベルンハルト1世(Markgraf Bernhard I.)の治世、ゴシック様式で城の下部が建てられ、辺境伯ヤコブ1世(Markgraf Jakob I.)によって拡張されたことで辺境伯領の代表的な建物となった。その全盛期には城内にはなんと100もの部屋があったという。

その昔、ホーエンバーデン城に女性の辺境伯が住んでおり、彼女は自分の利益だけを考え、領民を激しく抑圧していた。領民に高い税金を課し、彼らを重労働に追いやった。しかし、命令に不平を言ったり、従うことを拒否したりした領民は岩の地下室に容赦なく投げ込まれ、しばしば残酷な拷問を受けたのだった。


ある晩、辺境伯はまだ幼い一人息子を城の塔の上へと連れて行き、腕に抱きかかえると、城のふもとの土地を指さした。「お前が統治するのはこの領土だけではない。お前の目で見える限りの土地、そこに住む領民全員をお前が支配するのだ。」


しかし、自分のことしか考えない辺境伯が息子に語るのを終えるやいなや、子供は彼女の腕から滑り落ち、塔の下へと転落してしまったのだった。辺境伯は幽霊のように真っ青になり、階段を急いで下り、城の前に広がる森の中で息子を探した。使用人とメイドを総動員して森の中を探させたが、子供が見つかることはなかった。


それ以来、辺境伯は城の廊下や部屋を落ち着きなく動き回っては子供のために叫んだ。そして墓の中でも彼女は安息を得ることはなかった。今日、暗い雨の夜に強い風が城の壁を通りすぎると、亀裂にシューッという不思議な音が立ち、灰色のマントを着た白い髪の女が部屋を徘徊し、かすんだ声が聞こえるという。

この物語の起源は500年前に遡る。1447年7月13日または15日、バーデン辺境伯カール1世(Markgraf Karl I. von Baden)とカタリーナ・フォン・エステルライヒ(Katharina von Österreich)がプフォルツハイム(Pforzheim)で結婚した。カタリーナ・フォン・エステルライヒはハプスブルク家の出身であり、オーストリアのエルンスト1世公爵(Ernst I. von Österreich)とその妻シンブルギス(Cimburgis)の娘として、1420年頃ウィーンに生まれている。彼女の兄、フリードリヒ3世は、1452年に神聖ローマ皇帝に戴冠している。つまり、バーデン辺境伯カール1世にとって、カタリーナと結婚することは、帝国における自家の重要性を増すうえで非常に重要であった。花嫁は結婚持参金として3万ドゥカートに上る財産をバーデンにもたらした。カール1世とカタリーナはプフォルツハイムで結婚し、それ以降、バーデン家伝来のホーエンバーデン城に移り住んだ。カタリーナは、カール1世との間に3人の息子と3人の娘を出産している。

結婚から28年後の1475年、バーデン辺境伯カール1世はプフォルツハイムで亡くなっている。妻の辺境伯夫人カタリーナは、長男でるクリストフ1世からホーエンバーデン城を与えられている。クリストフ1世自身は、その4年後、ホーエンバーデン城を離れてバーデンバーデンの新しい城へと移り住んでいる。どうやら、この伝説の主人公である辺境伯夫人はこのカタリーナをモデルにしているようで、彼女がホーエンバーデン城にひとりで暮らすようになった1479年から1493年の間に、件の事件が起こったとされている。しかし、カタリーナがホーエンバーデン城にひとりで暮らすようになったころには、彼女に幼い息子などはおらず、このあたりは完全な創作と言えそうだ。

ホーエンバーデン城には、《ブルカルト・ケラーの十字架》という不思議な話も伝わっているが、このお話も、カタリーナがひとりでホーエンバーデン城に暮らしている時期に設定されている。

また伝説で語られるように、今日でも「強い風の日に、不思議な音が立つ」というのは、古城跡でかつて《騎士の間》であった場所に取り付けられた《エオリアン・ハープ》が奏でる音だろう。 《エオリアン・ハープ》 というのは、弦楽器の一種で、ウインド・ハープとも呼ばれ、自然に吹く風により音が鳴る楽器だ。ギリシャ神話の風神アイオロスからその名前が付けられた。このハープは、ハープ職人であり、自身も音楽家であったリューディガー・オッパーマン(Rüdiger Oppermann)により製造された。 全高が4.10メートルもあり、120本の弦が付いた大きなハープで、1999年にこの場所に取り付けられている。このハープの前にも、1851年から1920年にかけて小ぶりなハープがこの場所に設置されていたというから、この伝説に着想を得て、設置されたのかもしれない。現在、このホーエンバーデン城のハープは、ヨーロッパで最大のエオリアン・ハープだという。

ホーエンバーデン城 のエオリアン・ハープ (Source:stadtwiki-baden-baden.de)

15世紀、バーデン辺境伯クリストフ1世は、1370年に建設の始まったバーデンの新しい城をさらに拡張し、1479年にそこに住居を移した。その後、城は1599年の火事によって破壊されてしまう。その後、城はバーデン・ヴュルテンベルクの管理するところとなった。

今日、この伝説のもととなった城の塔からは、バーデンバーデンのパノラマビューが楽しめ、ライン川平原が見える。城と塔は無料で見学することができ、廃墟の城の中庭は一見の価値がある。城内にはレストランもあり、 ホーエンバーデン城は風光明媚な森が広がるバッテルトの人気ハイキングコースの出発点として人気を博している。

参考:

altes-schlosshohenbaden.de, “ALTES SCHLOSS HOHENBADEN”, https://www.altes-schlosshohenbaden.de/wissenswert-amuesant/anekdoten/graue-frau

wikipedia.de, “Hohenbaden”, https://de.wikipedia.org/wiki/Schloss_Hohenbaden

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