深い森の吐息が、バイロイトの街を包み込む。かつて辺境伯たちが華麗な宮廷文化を花開かせたこの地には、今もなおバロックの残り香が漂い、石造りの街路は往時の栄華を静かに語りかけてくる。
バイロイト音楽祭の熱狂が去った後の静寂の中で、歴史の闇に溶け込んだ古い物語が、ふとした瞬間に目を覚ますことがある。
並木道を抜けて現れる宮殿の威容は、訪れる者を圧倒せずにはおかない。しかし、その豪奢な装飾の影には、理屈では説明のつかない不穏な気配が潜んでいる。
夜の帳が下り、月光が冷たく回廊を照らすとき、かつての主たちが恐れた「何か」が、今も壁の向こう側で息を潜めているのではないか。そんな幻想を抱かせるほど、この街の空気は濃密で、神秘に満ちている。
バイロイトに建つノイエス・シュロス(Neue Schloss Bayreuth)は、以前の城が1753年の火災で居住不可能になったため、同年建設が開始された。1758年までには建物は概ね完成し、バイロイト公国の居住地となった。

ナポレオン1世が1812年5月14日にロシア遠征の途上でバイロイトに到着する前、彼はアシャッフェンブルクから伝令を送った。その指示は冷徹なまでの拒絶であった。
「皇帝陛下は、白い貴婦人の霊が夜な夜な現れる部屋に泊まることを望んでおられない。」
ホーエンツォレルン家の幽霊をナポレオンが恐れたのには、十分すぎる理由があった。
1486年3月11日、フランクフルト・アム・マインでの皇帝選挙中に、当時最も有力な人物の1人であったブランデンブルク選帝侯アルブレヒト・アキレス(Albrecht Achilles)が世を去った。

この時、彼のバイロイトの宮殿では戦慄すべき事態が起きていた。真夜中、廊下を彷徨う白い服の女性を、複数の歩哨が目撃したのである。
未亡人の白いドレスを纏い
尼僧の白いベールを身に着け
彼女は真夜中に現れる
城の壁を通り抜けて
Gehüllt in weiße Witwentracht,
Im weißen Nonnenschleier,
So schreitet sie um Mitternacht
Durch Burg und Schlossgemäuer
後にロマン主義の作家シュトルベルク伯クリスティアン(Christian Graf zu Stolberg)はこう記した。アルブレヒトの死からわずか2年後、ホーエンツォレルン家の所領であるクルムバッハ(Kulmbach)近くのプラッセンブルグ(Plassenburg)でも、その白い貴婦人は姿を現した。
彼女の影はベルリン市庁舎にも及んでいる。1598年1月1日、ヨハン・ゲオルク選帝侯(Johann Georg)の前に彼女は恐るべき姿で現れた。

彼は父の愛人アンナ・シドー(Anna Sydow)を投獄しないという約束を破り、彼女をシュパンダウ要塞に送っていたのである。1575年に獄中で果てたアンナの怨念か、白い女性の出現からわずか8日後、選帝侯はこの世を去った。
また、オランダ出身の選帝侯妃ルイーズ・ヘンリエット(Luise Henriette)も、1667年6月の死の直前、白い貴婦人が自身の女中と机に座っている怪異を目撃した。

夫の選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム(Friedrich Wilhelm)が1688年に没する直前にも、宮廷牧師アントン・ブルンセニウス(Anton Brunsenius)が幽霊の出現を報告している。

1713年2月には、初代プロイセン王フリードリヒ1世(Friedrich I.)の死の直前に、燭台と十字架を手にした白い女性が現れた。信仰に無関心だった王へ、最期の悔い改めを迫る忠告であったと言われる。

この「白い貴婦人」の正体とは誰か。
学者の探究は、1351年に没したクニグンデ・フォン・オルラムンデ伯爵夫人(Kunigunde von Orlamünde)に辿り着いた。
彼女は夫オットー・フォン・オルラミュンデ伯爵(Otto von Orlamünde)と死別した後、ホーエンツォレルン家のニュルンベルク城伯、アルブレヒト美公(Albrecht der Schöne)と恋に落ちた。
しかしアルブレヒトは、両親の反対を予見して彼女を拒絶し、「あの《四つの目》さえなければ」と呟いて去った。皮肉にも両親は結婚を承諾したが、その時すでにクニグンデは狂気の深淵にいた。彼女は《四つの目》を自分の二人の子供のことだと誤解したのである。

愛の狂気ゆえか、彼女は子供たちの頭に針を刺して殺害したと年代記は記す。凶行を知ったアルブレヒトは彼女を永遠に遠ざけた。
クニグンデはローマへ巡礼し、罪の赦しを得る条件として、ヒンメルスクロン修道院(Kloster Himmelskron)を設立。白い修道女の姿で入山した。
この悲劇が怪談の幕開けとなったのである。アルブレヒトが逃げ帰った先にも白衣の霊は現れ、彼は明け方に息を引き取った。
1806年10月10日、ザールフェルトの戦い(Schlacht bei Saalfeld)の前夜には、ルドルシュタット城(Rudolstädter Schloss)でプロイセンのルイ・フェルディナンド王子の前に現れ、翌日王子は戦死した。

さらに1809年、フランスの将軍ジャン=ルイ・ブリパーニュ(Jean-Louis d’Espagne)はバイロイト城で夜中に悲鳴を上げ、ひっくり返ったベッドの下で震えているところを発見された。白い霊に絞め殺されると脅されたと語った彼は、数日後のアスペルンの戦い(Schlacht bei Aspern)で戦死した。

これらの凶報がナポレオンを震え上がらせたのである。厳重な予防策にもかかわらず、ナポレオンはバイロイト城で酷く落ち着かない夜を過ごした。
翌朝、「この呪われた城め!」と毒づいて立ち去った彼の背後には、帝国の没落という予言が影のように付きまとっていた。
奇妙な後日談がある。1822年、バイロイト城主が没した後、その邸宅からは白い女性用のロングドレスが発見されたという。
城を去る際、背後に残された巨大な石造りの門を見上げれば、そこには今も解き明かされない謎が塗り込められているように感じる。
バイロイトの夜は、ただ静かに更けていくのではない。かつてナポレオンを戦慄させ、王家の最期を看取ってきた白い貴婦人の溜息が、風の音に混じって聞こえてくるような気がしてならない。
物語が幕を閉じても、歴史の舞台となったこの街の情景は変わることなくそこにある。かつての野心も恐怖も、今はワインの雫のように土に染み込み、豊かなテロワールの一部となった。
バイロイトを訪れる者は、その美しい外観を愛でる一方で、ふとした影の揺らめきに、かつてこの地を彷徨った悲劇のヒロインの面影を探さずにはいられないのである。
参考:
welt.de, “Die Weiße Frau – Ein Gespenst macht Geschichte”, 07.10.2007, Jan von Flocken, https://www.welt.de/kultur/history/article1238095/Die-Weisse-Frau-Ein-Gespenst-macht-Geschichte.html
bayreuther-tagblatt.de, “Das verwünschte Schloss: Napoleon in Bayreuth”, 24. März 2019, https://www.bayreuther-tagblatt.de/nachrichten-meldungen-news/das-verwuenschte-schloss-napoleon-in-bayreuth/
“ドイツ三〇〇諸侯 一千年の興亡 “, 「ツェーリング家」、 May 26, 2017, 菊池 良生, 河出書房新社



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