運命の車輪 | 車輪が示すヴォルムスの歴史

ヴォルムス

【ドイツ観光】ニーベルンゲン、ハインリッヒ2世、ルター、プァルツ継承戦争・・・

ルターの記念碑を離れて、オーバーマルクトという広場に出ると、噴水が見える。中央には円形の記念碑が聳えている。これは《運命の車輪》(Schicksal Rad)と呼ばれていて、ヴォルムス市で起こった様々な出来事や市にゆかりの深い人物が描かれている。1986 年に地域のエネルギー供給会社から寄付されたそうで、モーターで回っているという。噴水は、ヴォルムスで活動したグスタフ・ノンネンマッハーという彫刻家によるものだ。興味深いので、それぞれが示している出来事を見てみよう。

〈騎士〉

馬の蹄鉄で敗北した男を踏みつけているローマの騎士の絵柄は、ローマの侵略を意味しているだけでなく、ヴァイキング、ヴァンダル族、フン族など、11世紀までの間にヴォルムスに侵略した様々な部族、そして最終的にフランク族が勝利した史実が描かれている。

〈女王ブルンヒルトとクリームヒルト〉

ニーベルンゲンの歌にある一場面、ヴォルムス大聖堂の前で、女王ブルンヒルトとクリームヒルトの口論の場面を表している。

〈フリードリッヒ2世の結婚〉

シュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝ハインリッヒ2世は、1235年、イギリス王の妹であるイザベラとヴォルムスで結婚した。帝国自由都市であったヴォルムスが、カール大帝以来、皇帝とも強く結ばれていたことが強調されている。

〈マルティン・ルター〉

1521年、マルティン・ルターが神聖ローマ皇帝カール5世と対峙した有名な場面が描かれている。カール5世の右側に、十字架を持って決闘を行っている人物が見えるが、これは神学的論争から、政治的、軍事的な戦争に変化し、最終的に三十年戦争につながることを表している。

〈フランスによる侵略〉

1689年、プァルツ継承戦争でルイ14世の軍隊によって都市が破壊された場面を描いている。大聖堂が爆破され、黒煙を上げて燃えている。また1794年にも、フランス軍はバロック様式の司教宮殿を破壊し、1806年、ヴュルツブルクの司教座としての時代は終わりを告げる。下には、【1794年】と【1689年】という年号が見て取れる。

〈皮革工場〉

全盛期の中頃から第二次世界大戦まで、町は皮革産業で栄えた。ハイル家(Heyl)という一族がヴォルムスの皮革産業を発展させ、1873年には町の産業労働者の3分の1が、ハイルの下で働いていたという。1907年には約5千人を雇用する一大産業に発展した。

〈三位一体教会の破壊〉

旧市街は1945年2月21日と3月18日に2回の大規模な攻撃を受け、三位一体教会も破壊されてしまう。この時、教会のバロック様式の内部装飾もすべて失われてしまった。破壊される教会とともに、犠牲となった人々の姿も見える。

〈道化師〉

道化師が足を組んで道端に座っている。目を閉じ、腕を組んで、何かを考えているように見える。戦争が終結し、町も元通りに修復され、戦争の傷も癒えたように見えるが、同時に悲しい体験を思い起こしているようだ。 

ここで紹介したものは、車輪の表の面だけで、裏側にもヴォルムスに所縁のある事象がいくつか紹介されている。

                   

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