【ドイツの歴史】ハイネが生まれた町

デュッセルドルフ

クリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Heinrich Heine)は、1797年、デュッセルドルフに生まれている。ハイネの家は、ボルカー通り(Bolker strasse)53番にある。生家が今でも残っているが、旧市街の市庁舎へ続く通り、レストランやバーが軒を連ねている通りにあるので、注意して探さないと見逃してしまいそうな場所だ。

ハイネは17歳のとき、学校を中退して、ハンブルクで銀行を営んでいた叔父のもとで研修を行っている。その時に知り合った叔父の娘、アマーリエに恋心を抱くが、叔父の反対に合い、彼女との恋愛を諦めている。アマーリエはその後、裕福な地主と婚約している。このときの失恋体験がのちの恋愛抒情詩の出発点となったと言われる。「帰郷」第16番から27番までは、アマーリエとの思い出を歌ったものだ。

ボン大学やベルリン大学で学んだのち、詩人、作家として活躍するようになる。ゲッティンゲン大学在学中に司法試験に合格し、学士号を取得している。ベルリンでは終生師と仰ぐことになるヘーゲルと出会い、彼の論理学、宗教哲学、美学を学んだ。

1827年にミュンヘンに移るが、この旅上、カッセルでグリム兄弟と、フランクフルトで政治作家、文芸評論家であるルートヴィヒ・ベルネ(Karl Ludwig Börne)と知己を得ている。ミュンヘンではハイネの多くの詩に曲をつけることになるロベルト・シューマンと親交を深めている。

1831年、ハイネはパリに移るのだが、そこで25歳のカール・マルクスとも親交を結んでいる。晩年のハイネは麻痺にかかり、体の自由が利かなくなる。ハイネは1856年2月17日に亡くなり、モンマルトル墓地に埋葬された。妻マチルドは1883年に死去した。2人に子供はいなかった。

ハイネの詩の多くは、シューマン、シューベルト、メンデルスゾーンなどの曲により世界的に有名になり、ロマン派時代を代表する詩人と位置づけされている。彼の作品でも特に有名なものは、《歌の本》(Buch der Lieder )だが、この作品には、1817年から1826年までのハイネの初期の詩集が含まれている。 次に詩集が発表されるまでにほぼ20年かかっている。この本には《ベルリン》のような政治的な詩も収められているが、大半は恋愛に関するもので、収録されている237の詩のうち142は「不幸な愛」を扱っている。それは、いとこアマーリエに対する恋心が原因となっている。

1838年にフリードリヒ・ジルヒャーによって曲が付けられた「ローレライ」(『歌の本』収録)はよく知られている。

またハイネは、ロベルト・シューマンともミュンヘン時代より交流があったが、シューマンは《歌の本》に収録された作品群から《詩人の恋》、《歌の本》から9編の詩を選んで作曲した《リーダークライス作品24》、ロシアに囚われていた2人のフランス人擲弾兵の対話を描いた《二人の擲弾兵》などの歌曲を作っている。

フランツ・シューベルトの歌曲集『白鳥の歌』(Schwanengesang)もこの詩集のなかの「帰郷」から詩がとられている。

フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn)が作曲した《歌の翼に》(Auf Flügeln des Gesanges)なども『歌の本』からの詩であり、この曲は1834年にデュッセルドルフで作曲されている。

ツェーザリ・キュイ(Cesarius-Benjaminus Cui)が1861年から1868年にかけて作曲した3幕構成のオペラ《ウィリアム・ラトクリフ》(William Ratcliff)もこの作品に拠っている。

デュッセルドルフはハイネの生まれ故郷であることから、デュッセルドルフ大学 は、 1988年よりハインリヒ・ハイネ大学と呼ばれている。ドイツの大学はその土地に所縁の深い人物から大学名をつけるケースが多い。因みにデュッセルドルフの音楽大学の名前は、ロベルト・シューマン音楽学校という。

そもそもデュッセルドルフは、旧市街に近い通りも、ハインリッヒハイネ通り(Heinrich Heine Allee)といい、ハイネの名前は現代のデュッセルドルフ市民にも非常に身近なものになっているのだ。町にはハイネに因んだ記念碑も多く建てられている。

ハイネの生家の正面の立て札には、ハイネがデュッセルドルフについて言及した言葉が紹介されている。

『デュッセルドルフは美しい。遠くにいながらその町を想うとき、偶然にもそこに生まれたものなら不思議な感覚を覚える。わたしはその町に生まれ、うちに戻らねばと思う。私がうちに帰ると言う時は、ボルカー通りと私が生まれた家のことを言っているのだ。』

参考:

“Künstler nach der Flucht: Heinrich Heine – geflüchtet, um in Freiheit zu schreiben”, https://www.dw.com/de/k%C3%BCnstler-nach-der-flucht-heinrich-heine-gefl%C3%BCchtet-um-in-freiheit-zu-schreiben/a-41651226

“Heine und Düsseldorf: Die Vaterstadt bekennt sich zu ihrem großen Sohn / Schauplätze der Kindheit / Heutige Gedenkstätten”, https://www.duesseldorf.de/kunst-und-kultur/heine-spuren.html

Portal Rheinische Geschichte, “Heinrich Heine Schriftsteller (1797-1856)”, Bernd Kortländer, http://www.rheinische-geschichte.lvr.de/Persoenlichkeiten/heinrich-heine/DE-2086/lido/57c82947cc8189.90141056

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