【ドイツ観光】ニュルンベルクの聖ロレンツ教会
【聖ロレンツ教会】ニュルンベルク中央駅から《ハンドヴェルカー・ホーフ》を抜けて旧市街に入り、一番最初に目にする教会が聖ロレンツ教会だ。この教会は13世紀から15世紀にかけて建築されたゴシック様式の教会で、正面の美しいバラ窓でも知られるニュルンベルク最大のプロテスタント教会だ。
ロレンツという名の教会は、イタリアのフィレンツェにもスイスのザンクトガレンにも存在し、その名は《聖ローレンティヌス》というカトリックの聖人に由来する。
ローマ帝国時代、聖ローレンティヌスはローマ教会の財産管理を任されていた。時の皇帝ヴァレリアヌスは、キリスト教の集会を禁止し、従わないものは死刑に処した。教皇シクストス2世を逮捕・処刑した後、ローレンティヌスに教会所有の財宝を指しだすよう要求した。ローレンティヌスは皇帝にしばらく考えさせてほしいと3日間の猶予を乞い、その間に教会の財宝を貧し人たちにすべて分け与えてしまった。
皇帝は烈火のごとく怒ったが、ローレンティヌスは皇帝の前に貧しい人々を並ばせ、「彼らこそが教会の真の宝だ。」と言い放ったのだ。これに激怒したヴァレリアヌス帝は、ローレンティヌスを激しく拷問した後、燃え盛る石炭の上においた巨大な網の上で焼き殺してしまった。ローレンティヌスは網の上で焼かれながら「片面はよく焼けたから、どうぞもう片面も」と叫んだという伝説が残っている。
硬貨に描かれたヴァレリアヌス帝
軍勢を率いてペルシアへと侵攻したが、エデッサでシャープール1世率いるペルシア軍との戦いに敗れて捕虜となった皇帝。ローマ帝国の国力低下を象徴する出来事となった。
この殉職により、紀元330年、ローマ皇帝の中で初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝により、ローレンティヌスは聖人に列せられる。網で焼かれて殉職したというエピソードにより、ローレンティヌスは料理人やコメディアンの守護聖人になった。そして、貧しい者、社会的弱者に対して救いの手を差し伸べたローレンティヌスは現在でもカトリック、東方教会において敬愛の対象となっている。
マルティン・ルターによる宗教改革により、1524年以降、このロレンツ教会はプロテスタントの教会となった。偶像の崇拝を禁止しているプロテスタントは、教会に収められた芸術作品を運び出そうとしたが、市議会はこの教会の芸術作品を以降も教会内で保存する決定を下す。その為、現在でも宗教改革前の作品が残されており、ファイト・シュトス(Veit Stoß)の《受胎告知》やアダム・クラフト(Adam Kraft)の作品が見られる。
写真:de.wikipedia.org
アダム・クラフトの《サクラメントスハウス》(Sakramentshaus)は、日本語では《秘蹟箱の塔》とか《聖体監視塔》と呼ばれる作品だ。
《サクラメントスハウス》の台座を支えるアダム・クラフト像
写真:Geschichite-fuer-alle.de
ローレンティヌスが処刑されたのは、紀元258年8月10日のことだったと言われている。この日は、この聖人の名前を冠するロレンツ教会の《ネームズデー》になっているが、なんとも皮肉なことに1945年のまさにこの日、ニュルンベルクにあるロレンツ教会は爆撃により破壊される。現在の教会の姿は戦後修復されたものだ。
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