フッガー家の置き土産

アウグスブルク

15世紀以来、一時はイタリアのメディチ家をも凌駕する大富豪であったフッガー家とは、いったい何者であったのだろう。フッガー家の出自を探ると、アウグスブルク近郊にあるグラーベン(Graben)で織物業を営んでいたヨハン・フッガー(Johann Fugger)に遡ることができる。息子のハンス・フッガー(Hans Fugger)は1367年にアウグスブルクに居を移して、繊維小売業者として事業を拡大する。その後も繊維製品のイタリアへの輸出などで財を成したフッガー家は、1459年に誕生したハンス・フッガーの孫にあたるヤコブ・フッガー(Jakob Fugger )の時代に大きく飛躍する。

ヤコブ・フッガーはフッガー家の末っ子として生まれて、最初は聖職者を目指していた。ところが、父親と兄を亡くしたことで、他の兄弟とともにヤコブも商売の道に入っていく。ヤコブはまだ成人する前にヴェネチアに行き、商人の修行をしている。この頃、ヴェネツィアは単に地中海貿易の中心地ではなく、銀行など金融業の中心地でもあり、そこでヤコブ・フッガーは後のフッガー家の中心事業となる金融業についても学んだのだった。ヤコブ・フッガーが、この頃イタリアに滞在したことで、後にドイツで最初のルネッサンス様式の建物がアウクスブルクに建てられることになったのだ。

1473年にはすでに当時の皇帝フリードリッヒ3世に資金を提供しており、ハプスブルク家とつながりを持つようになった。1494年にはハプスブルクのお膝元、チロル地方で銀山や銅山の採掘事業に参入している。15世紀が終わるころには、ヤコブは事業をヨーロッパ各地に展開していた。この頃、ローマのサンピエトロ大聖堂の修復を目的に、免罪符の販売にも加担し、後にマルティン・ルターをはじめとする宗教改革者から大きな批判を受けることになる。

マキシミリアン一世の孫であるカール5世の皇帝選挙の時には、選挙で評を投じる権利を有する選帝侯と呼ばれる7人の諸侯と聖職者に多額の賄賂を贈ったが、これはフッガー家の融資によって可能となったのだった。その融資の金額は80万グルデンに及んだという。1511年、フッガー家は貴族に列せられ、3年後にヤコブ・フッガーは帝国伯爵(Reichsgrafen)の位を与えられている。ヤコブはフッガー家の墓所である聖アンナ礼拝堂に後期ゴシックからルネッサンスへの移行期間に造られた芸術作品を残している。

しかし、フッガー家はどのくらい裕福だったのか?2016年にドイツの《ヴェルト》(Welt)誌が行った試算がある。フッガー家の試算は、今日のレートに直すと4000億ドルだったという。フッガー家は何かを発明したり、発見したわけではなかったが、当時まだアルプス以北では知られていなかった複式簿記を導入したり、既存の管理方法や新しいマネージメントの手法を取りいれたという。また、現在でいうロイターやブルームバーグが担っているような通信システムを構築し、重要な情報を真っ先に手に入れる仕組みを作っていたのだった。

フッガー家の飛躍的な成功は、激変期と呼べるような時代の大きな転換期に生まれたことにもよるが、神聖ローマ皇帝やハプスブルク家とのつながりなしにはなし得なかった。貿易業や金融業でも成功を収めたフッガー家であったが、銀山、銅山の管理から得られた収益がもたらした富は、フッガーの成功を確かなものにした。しかし、度重なるハプスブルク家への融資により、同家の影響から抜け出すことができなかったのも事実で、融資を重ねる以外に選択肢がなかったのだった。融資先であったスペインの3州が債務不履行に陥ったことから、ヤコブ・フッガーが築き上げてきた富はフッガー家の手を離れ始める。

そんなフッガー家が全盛期に建てたのが、このフッゲライである。この施設は現存する世界最古の社会住宅施設と言われている。ヤーコプ・フッガー(Jakob Fugger)によって1521年に建設された。

入居対象者はアウクスブルク出身者で、敬虔なカトリック教徒であり、貧しい者であった。あまり知られていないが、入居者の義務には、毎日、創設者であるフッガー家のために祈るというのもあったらしい。創設者の意向により、乞食は受け入れられず、主に病気によって貧困に陥った者や、生活苦の職人や日雇い労働者、子供の多い貧しい家庭などが入居していたという。かつては、モーツァルトの曽祖父であるフランツ・モーツァルトもフッゲライに住んでいたという。フッゲライの家賃は1年に1ライングルデンであり、現在でも0,88ユーロだという。

三十年戦争時、アウクスブルクはスウェーデン軍の占領を受けたために、フッゲライからも住人が追い出されてしばらく兵舎として使われた。第二次世界大戦ではアウクスブルクは爆撃を受け、フッゲライも半分が壊滅する被害を受けた。

現在のフッゲライはアウクスブルクの歴史文化財として観光客を集めているが、同時に、現役の福祉住宅地でもあり、今でも多くの人が住んでいる。運営は、現在も貴族として続くフッガー家の子孫3家(バーベンハウゼン家、グレト家、キルヒベルク家)によるフッガー財団が管理しており、不動産や観光業などによる収益を運営に充てているという。

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