魔女狩りで命を落としたメルガ・ビエンの最後
古都フルダの静謐な街並みを歩けば、石造りの家々の合間に、高さ14メートルにおよぶ峻厳な塔が姿を現す。
《魔女の塔》(Hexenturm)
そう呼ばれるその遺構は、12世紀の城壁の一部として築かれた当時の面影を今に伝え、フルダに現存する中世の記憶としては最も純粋な形を保っている。

かつては街を守るための監視塔として空を睨んでいたこの場所は、時代の変遷とともに、罪を問われた女性たちを幽閉する暗い檻へとその役割を変えていった。
しかし、この塔が真に「魔女」という忌まわしき名を冠し、人々の記憶に刻まれるようになったのは、17世紀のフルダを席巻した狂気の嵐、バルタザール・ヌス(Balthasar Nuss)という悪名高き男の存在ゆえである。
1603年からのわずか3年間で、ヌスは270人もの無実の魂を魔女として断罪し、凄惨な拷問の果てに処刑台へと送った。
時のフルダ司教バルタザール・フォン・デルンバッハ(Balthasar von Dernbach)は、ヌスの冷酷さを利用して私腹を肥やすべく、犠牲者たちの財産を没収し続けたのである。

1605年に司教が世を去ると狂気は収束し、ヌスは金欲のために法を歪めた罪で斬首されたが、失われた命が戻ることはなかった。
フルダの魔女狩りを語る上で、決して忘れてはならない悲劇の象徴が、メルガ・ビエン(Merga Bien)という一人の女性である。彼女の人生は、運命の悪戯と人間の悪意によって、あまりに過酷な結末へと引きずり込まれた。
メルガはフルダに生まれ、若くして資産家の老人と結婚したが、夫は莫大な遺産を残して他界した。再婚して授かった二人の子供と夫も、当時猛威を振るっていたペストによって次々と奪われ、彼女は孤独の中に置き去りにされる。
3度目の結婚でようやく平穏を掴もうとした矢先、バルタザール・ヌスによる魔女狩りの標的となったのである。
逮捕されたメルガが投じられたのは、監獄の過密ゆえに用意された「犬の檻」であったという。
夫ブラジウス・ビエンは妻を救うべくシュパイアーの帝国裁判所へ提訴し、一度は「妊娠中の拷問禁止」という判決を勝ち取った。
しかし、釈放も束の間、執拗な追及の手が再び彼女を捕らえた。罪状は、先夫らへの毒殺、魔法による家畜の殺傷、そして魔女の集会への参加。
さらに、現在の夫との間に長年子がなかったことを逆手に取られ、その身に宿した命さえも「悪魔の子」であると罵られたのである。
14週間に及ぶ不当な拘禁と耐え難い拷問の果て、心身を砕かれたメルガは、ついに力なく呟いた。
「ああ神よ、私がやったことにいたします」(原文:Ach Gott, so will ich es getan haben)
自らの意志で行った自白ではなく、極限状態の拷問に耐えかね、果てしなく続く拷問を終わらせるために口にした、諦めと屈服を込めた言葉だった。
その絶望の一言は、すべての罪を認める自白として扱われた。その年の秋、彼女は身籠ったまま、他の犠牲者とともに生きたまま炎に包まれたのである。
非情なことに、夫ブラジウスには妻を焼き殺した処刑費用までが請求された。彼女の処刑の数週間前には、母と妹までもが業火の中に消えていた。
このおぞましい歴史の断片は、フルダ女性教会の手によって詳細に調査され、光の下へと引き出された。
2008年11月には旧大聖堂教区墓地(Alten Dompfarrlichen Friedhof)に説明書きが設置され、2017年にはフラウエンベルクの司教教会墓地に、270人の犠牲者に捧げられた記念碑が建立された。

《魔女の塔》のすぐ側には、現代の視覚文化を支えるブラウン管の発明者、フェルディナント・ブラウン(Ferdinand Braun)の生家が静かに佇んでいる。
科学の光が生まれた場所の隣で、かつて狂信という闇に葬られた女性たちの嘆きが、石造りの塔の隙間を抜ける風の音となって今も街に響いている。
フルダの歴史は、この眩いばかりの知性と、目を背けたくなるような残酷な記憶を、同じ土壌に抱き抱えながら明日へと続いているのである。





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