クリスマスツリーの起源

フライブルク

11月の終わりから12月のはじめにかけて, ドイツの家庭ではクリスマスツリーが飾られ始める。ドイツのクリスマスに欠かせないこのツリーはいつから、そしてどこから始まったのか。そしてなぜモミの木が選ばれ、それを飾るという文化に発展したのだろうか。所説あるが、一説にはドイツのフライブルクから始まったとされる。

そもそもクリスマスの起源は冬至の祭りだ。紀元前500年頃、ローマ人は12月25日に太陽神ソルの誕生日を迎えた。古代ローマ人は、何かを祝うときに小さな緑の装飾を行っていたという。ローマ人が行う以前にも、人々は冬に木を飾っていたと言われている。ゲルマン人はユル(Jul)と呼ばれる祭りを祝った。この言葉は、今日でもスカンジナビア語でクリスマスを意味する。針葉樹とその枝は、年の変わり目に神々を喜ばせると考えられていた。針葉樹は常に緑色であるため、永遠の生命の象徴として針葉樹が使用されたのではないかと考えられている。世界的にクリスマスツリーはドイツのものとして考えられているが、キリスト教のなかでもルター派がその発祥であると考えられている。

キリスト教徒が12月25日にイエスの誕生を祝い始めたのは4世紀になってからだった。伝説によると、アイルランド出身の修道士、聖コロンバン(heilige Colomban)は590年にヴォージュ山脈(Vogesen)の麓にリュクスイユ修道院(Luxeuil)を設立し、クリスマスイブの夜、僧侶たちを山頂へと連れて行った。そこには大きなモミの木があり、イエスの誕生について彼らに話をした。僧侶たちは、輝く十字架を形作り、もみの木に提灯を吊るした。クリスマスツリーを飾る伝統はこれに起因すると考えられる。

中世においてもこの習慣は続き、クリスマスには多くの家庭が家に緑を飾った。最初は南ドイツで、次に特にプロテスタント地域で、この習慣は非常に急速に広まった。針葉樹の枝で飾られたクリスマスの小屋は、ドイツ南西部、今日のバーデンヴュルテンベルク州で特に人気があったという。それから誰かが針葉樹自体を建てるというアイデアを思いついた。当初はマイバウムのように屋外で建てたようだ。そのため、最初のクリスマスツリーはヴァイナハツ・マイエン(Weihnachtsmaien:Weihnachtsはクリスマスの、Maienは五月柱の意)と呼ばれていた。その後しばらくしてツリーは屋内に飾られることになった。しかし、当初は立てられたでのはなく、天井から吊るされていたのだ。

モミ、トウヒ、マツの木が、リビングルームの天井の梁から逆さまにぶら下げられた。その理由は正確にはわかっていないが、おそらく実用的な理由からだったであろうと推測される。この方法だと木はスペースをとらず、倒れることもなかった。当時は通常、ハチミツで出来たろうそくやクルミの殻に入れられた油を燃やすランプが、蝋で枝に装着されているだけだったから、木を倒さないことは重要だったのだ。

飾られた最初のクリスマスツリーはフライブルクからのものであると言われている。最初のツリーは、約600年前の1419年にフライブルクの聖霊救貧院(Heilig-Geist-Spital)の前に立てられていたという。伝えられるところによると、フライブルクのパン屋は、リンゴ、ナッツ、ジンジャーブレッドを木に飾り、お正月には子供たちが木をゆすって、装飾品を落とすことが許されたそうだ。リンゴは後に塗装が施されるようになったのだが、中身のリンゴがすぐに腐った。

そこで、本物のリンゴは粘土で作られたおもちゃのリンゴに置き換えられ、後にガラスで作られるようになった。こうして、今日でも見られるようにガラス製のボールが飾られるようになった。それからツリー全体に掛けるキラキラしたラメが発明され、小さなブリキの人形などが枝にぶら下げられるようになった。ある時点では、銀箔に包まれたチョコレートが木からぶら下げられたこともあった。こういった変遷を経て、次第に頑丈なスタンドを準備して、クリスマスツリーがついに床に設置されるスタイルが一般的になったのだ。

16世紀後半、アルザスではクリスマスツリーをキャンディーで飾るのが習慣となった。キャンドルは18世紀に追加された。 ドイツ文学におけるクリスマスツリーの最初の言及の1つは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)の作品だと言われている。小説 『若きヴェルテルの悩み』(die Leiden des jungen Werthers)では、主人公がクリスマス前の日曜日に、恋するロッテを訪れ、キャンディーやリンゴが飾られ、ろうそくの光で輝く、手入れされたツリーについて言及している。

フリードリヒ・シラーは自身の作品にクリスマスのシーンを描いていないが、ツリーとともに過ごす時間を楽しんだという。 1789年、彼はロッテとして知られるシャーロット・バフ(Charlotte Buff)に、クリスマスの時期にワイマールに来ることを知らせる手紙の中で、「あなたが私の部屋に緑のツリーを飾ってくれることを願う。」と書いている。スイス、バーゼル出身の作家、ヨハン・ピーター・へーベル(Johann Peter Hebel)が、バーデンの自然と生活を歌った『アレマン詩集(Alemannische Gedichte)』に収めた《クリスマスイブの母(die Mutter am Christabend)》という詩を通して、クリスマスツリーはさらに多くの人々に知られることとなった。

1815年のクリスマス前夜、ワイマールの貧しい子供たちのために世界で初めて公の場に装飾されたクリスマスツリーを設置したのは、ウィルヘルム・ホフマン(Wilhelm Hoffmann)だった。また、E. T. A.ホフマン(E. T. A. Hoffmann)作のおとぎ話である「くるみ割り人形」と「ねずみの王様」は、黄金の林檎とお菓子で飾られた光沢のあるクリスマスツリーが初めて登場するベルリン文学の記念碑となった。

19世紀になると、装飾されたクリスマスツリーは、最初は都市部で広まった。当初、モミの木は希少で高価であり、一部の裕福な階級の家庭だけがクリスマスツリーを買う経済的余裕があった。一般家庭では枝と拾った木々を集めて飾りつけを行っていた。都市のニーズを満たすことができるようになったのは、19世紀の後半になってからだった。この頃、ようやくモミやトウヒの森が植えられるようになり、次第に郊外の田舎町へも普及していったのだった。

同じく19世紀、アメリカにもツリーの文化が伝わったが、伝えたのはドイツからやって来た移民たちだった。ドイツからイギリスにツリーが伝わったのは、1840年。イギリスのビクトリア女王がアルバート・フォン・ザクセン=コーブルク・ゴータ(Albert von Sachsen-Coburg und Gotha)と結婚したとき、クリスマスツリーを飾る伝統が伝えられたと言われている。

ドイツ人のクリスマスツリーに対する思い入れは強く、家族で2つ持っているところもある。1つはリビングに、もう1つはバルコニーや庭にといった具合だ。しばらくの間、オルゴールで回転するクリスマスツリースタンドが大流行したこともあった。

11月の末になると、家族ずれがホームセンターなどに出かけ、今年のリビングを飾るツリーを選びに来る。購入したツリーは白いネットが被せられ、持ち運びやすいように梱包されるのだ。家に帰ると、スタンドにツリーを立てかけ、家族そろってツリーの飾りつけを行う。これがドイツの冬の風物詩となっている。

参考文献:

badische-zeitung.de, “Erster geschmückter Weihnachtsbaum stand in Freiburg”, Dezember 2016, Claudia Füßler, https://www.badische-zeitung.de/erster-geschmueckter-weihnachtsbaum-stand-in-freiburg–131217936.html

welt.de,”Woher kommt eigentlich der Christbaum?”, 23.12.2006, Claudia Ehrenstein, https://www.welt.de/print-welt/article704503/Woher-kommt-eigentlich-der-Christbaum.html

Evangelische Kirche in Hessen und Nassau, “Die Geschichte des Weihnachtsbaumes”, https://www.ekhn.de/glaube/kirchenjahr/weihnachten/der-weihnachtsbaum/die-geschichte-des-weihnachtsbaumes.html

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