マキシミリアン博物館

アウグスブルク

市立マクシミリアン博物館はアウグスブルクで最も古い博物館であり、1856年、アウグスブルク訪問中であったバイエルン国王マクシミリアン2世にちなんで名付けられた。 1854年に開館したこの博物館は、膨大な美術史コレクションのほか、中世から1805年にバイエルン州に属するまでのアウグスブルクの帝国都市の歴史に関する数多くの展示品がある。

見どころとしては、アウグスブルクに点在する数々の噴水を飾っているブロンズ像のオリジナル作品である。現在、噴水に取り付けられているのは、自然環境による劣化を防ぐために置き換えられたレプリカであり、オリジナルは博物館の2階、ガラス製の屋根が付けられた中庭に展示されている。

アウグスブルクで鋳造された硬貨を含む中世のコインのコレクションやアウグスブルクが中世以来その名を帝国中に轟かせた銀細工の数々も目にすることができる。またアウグスブルクの代表的な建物に関する縮小モデルを展示した特別室もある。市庁舎やペルラッハ塔などのアウグスブルクを代表する建築の初期建設計画、および解体された建物の設計案などを確認することができる。現在は世界遺産にも登録された「アウグスブルクの給水システム」の技術モデルも解説されている。

ヒドラと戦うヘラクレス。マキシミリアン通りのヘラクレス噴水。アウグスブルク、1596‐1602年作。アドリアン・デ・フリース(Adriaen de Vries)が型、ヴォルフガング・ナイトハルト(Wolfgang Neidhardt)が鋳造を担当。

メルキュールとアモール。モーリッツプラッツのメルキュール噴水。アウグスブルク、1596‐99年の作。アドリアン・デ・フリース(Adriaen de Vries)が型、ヴォルフガング・ナイトハルト(Wolfgang Neidhardt)が鋳造を担当。

髪を絞るグラツィエ。ヘラクレス噴水の一部。アウグスブルク、1596‐1602年作。アドリアン・デ・フリース(Adriaen de Vries)が型、ヴォルフガング・ナイトハルト(Wolfgang Neidhardt)が鋳造を担当。

足を洗うグラツィエ。ヘラクレス噴水の一部。アウグスブルク、1596‐1602年作。アドリアン・デ・フリース(Adriaen de Vries)が型、ヴォルフガング・ナイトハルト(Wolfgang Neidhardt)が鋳造を担当。

布を絞るグラツィエ。アウグスブルク、1596‐1602年作。アドリアン・デ・フリース(Adriaen de Vries)が型、ヴォルフガング・ナイトハルト(Wolfgang Neidhardt)が鋳造を担当。

皇帝アウグストゥス。ラートハウスプラッツのアウグストゥス噴水。フーベルト・ゲアハルト(Hubert Gerhard)&ペーター・ヴァーグナー(Peter Wagner)作。アウグスブルク、1588‐90年作。

アレクサンドリアの聖カタリーナ。ウルム、1440年頃。素材:菩提樹。ハンス・ミュルチャー(Hans Multscher)の1383年の作。当時の全身像の聖人は後期ゴシック様式の祭壇箱(シュライン)の一部だったが、ウルムの彫刻家ハンス・ミュルチャーが1437年にランズベルクの市の教区教会の為に完成させた。

メルキュール噴水の噴水口。アウグスブルク、1596年作。ブロンズ製。アドリアン・デ・フリース(Adriaen de Vries)が型、ヴォルフガング・ナイトハルト(Wolfgang Neidhardt)が鋳造を担当。鷹と犬の頭部。真ん中のメドゥーサの頭部は、ローマ帝国以前のアウグスブルクの守護神であったシサ(Cisa)を表していると考えられる。

聖アガタ。シュヴァーベン、1770年作。素材:菩提樹。ヨハン・ミヒャエル・フィッシャー(Johann Michael Fischer)作。このフィッシャーの代表作は、ディリンゲン(Dillingen)のシュトゥディエン教会(Studienkirche)へ提供した作品である。この町でフィッシャーは大きな工房を運営し、シュヴァーベン地方でロココ様式の像や祭壇を制作した。

市のアルモス・ターフェル(Almosentafel)。1537年、アウグスブルクは正式に宗教改革を導入し、カトリックのミサは廃止された。この頃、司教、大聖堂の支部、カトリックの聖職者、修道会がアウグスブルクを去った。この宗教改革の導入に伴い、帝国都市が、貧しい人々の世話を引き継いだ。1537年に制作されたこの作品は、評議員とみられる裕福な市民が、施しものをしているところを表している。

アウグスブルクは金細工で有名であったが、特に有名であったのは、銀製の家具の制作であった。この頃のモデルは、フランスの太陽王ルイ14世の宮廷を飾っていた銀製家具であった。ヴェルサイユ宮殿の家具は国家にとっての貴重な宝物であったが、ルイ14世の度重なる戦争により、これらの家具も溶かされ、現金化されてしまった。

アウグスブルクの銀製家具はそれほど大きなものではなかった。机はオーク材の上にシート状の銀が貼られていた。ここに展示されている銀製家具の制作には、複数の金細工師が関わっていた。テーブルは、ハンス・フィリップ・シュテングリン(Hans Philipp Stenglin)、燭台はヨハネス・バルテルマン(Johannes Bartermann)が制作した。現在、パリのルーブル美術館に展示されている鏡は、アルブレヒト・ビラ―(Albrecht Biller)作である。この3名の金細工師がそれぞれのアイデアをデザインに纏め、1700年頃にこの作品を制作したのだった。

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