使われなかった《黄金の間》

アウグスブルク

ペルラッハ塔と市庁舎

アウグスブルク市庁舎とペルラッハ塔(筆者撮影)

アウグスブルクの中心地に出ると、真っ先に目に入るのが、左右対称のルネサンス様式で建てられた市庁舎とその横に聳えるペルラッハ塔だ。

1260年頃の書物には、ここに木造の市庁舎が建っていたことが記されている。ところが、その木造の市庁舎が火災にあった為、14世紀に石造りの市庁舎が建てられ、16世紀以降拡張されていった。17世紀の初めに、帝国議会を開催するために再建されたのだ。1609年、アウグスブルク市は著名な建築家であったエリアス・ホール(Elias Holl)に、市庁舎をゴシック様式で再建するように頼んだという。

エリアス・ホール

ホールはその要望が難しいと思ったものの、なんとか市に再建計画を提出した。ところが、その計画案は市に却下されてしまう。1614年、アウグスブルク市はなんと全く新しい要望をだしたのだった。それは、古いゴシック様式の市庁舎を解体し、そこに新しく壮大な市庁舎を建設することだった。

市庁舎内部に飾られたエリアス・ホールの銅像(筆者撮影)

そこでホールは新しい建築計画を一から立てることとなった。当初は市庁舎に塔を取り付けないことになっていたが、ホールの主張により、今日われわれがみる玉ねぎ型の屋根がついた塔が二つ付けられることになった。そして、15年間の計画期間と9年間の建設期間を経て、1624年、市庁舎は完成を見たのであった。建設費用は10万ギルダーだったという。当時、6階建ての建物は世界中でこの市庁舎だけだった。市庁舎のファサードには、帝国を表す《双頭の鷲》(Doppeladler)の紋章が大きく描かれたのだった。

現在、市庁舎のファサードに描かれているのは、1985年、市の誕生2000年を記念して、修復作業が行われたものである。

市庁舎内部には各階に3つのホールがあるが、中でも有名なのは3階にある《黄金の間》(Goldener Saal)だ。面積は552m²あり、天井の高さは14メートルあるという。天井部分の格子は、建築家のヴォルフガング・エブナー(Wolfgang Ebner)によって製作され、金で覆われたクルミの木材を使用している。この格子天井は、第二次世界大戦で破壊されるまで、建物の屋根の梁から27本の鎖で吊るされていたという。

天井画と壁画は、ヨハン・マティアス・ケーガー(Johann Matthias Kager)によるものだ。壁を彩る絵画には、数々の王侯貴族から、市庁舎の建設に携わった建築家などの姿も見られる。アウグスブルクで活躍し、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにも数々の名作を残す画家ハンスロッテン・ハンマー(Hans Rottenhammer)による作品も収められている。

ハンス・ロッテンハンマー

隣接する《諸侯の間》(Fürstenzimmer)は、帝国議会開催時に高位参加者の為の待機室として使われたという。

市庁舎が完成する6年前から始まった三十年戦争により、町は荒廃し、経済も疲弊しただけでなく、アウグスブルク市の人口も半減したという。この戦争によりアウグスブルクの帝国都市としての繁栄も陰りをみせる。結果、帝国議会の開催も別の町に移ってしまい、贅の限りを尽くした《黄金の間》も、1690年にヨーゼフ一世(Joseph I.)がドイツ王に戴冠されたときの祝いの席に使用されただけだったという。

ヨーゼフ一世

市庁舎は、第二次世界大戦中の1944年2月のイギリス軍による空爆により、外壁まで完全に焼失したという。戦後、外観は史実に基づき、内観は大幅に簡略化されて再建され、1955年から再び市庁舎として使用されるようになった。そして、今日では、《黄金の間》は、コンサートホールや市のイベント会場として使用されている。

1912年に撮影された、戦争で破壊される前の《黄金の間》

市庁舎に隣接するのは、ペルラッハ塔(Perlachturm)だ。989年に見張り塔として建てられたという。当時は司教都市であったアウグスブルクでは火事が多発しており、火事の見張り台として30メートルの塔が建設されたらしい。後に鐘も取り付けられ、市民に危険を知らせる目的に使われていたそうだ。1526年に最初の大規模な改修が行われた時に、塔の高さは倍以上の63メートルに引き上げられ、鐘と時計が取り付けられた。

そして、1612年から1618年の間に、市庁舎を建設したエリアス・ホールによって、現在のルネサンス様式の姿に建設されている。塔の上部には、10本のドリス式の柱の上に玉ねぎ型の屋根が載せられており、これにより高さも70メートルとなった。ペルラッハ塔も第二次世界大戦中の空爆で損害を受けるが、1950年には再建している。現在は、258段の階段を登ると展望台に上がることができ、アウグスブルクの町を一望することができる。また、塔に黄色い旗がたっている日は、南から暑く乾燥した大気をもたらすフェーン現象が発生している合図で、その時は遠くアルプスまで見えると言う。

ペルラッハという名前の由来には諸説あるようだ。中世には塔の前の広場で、野生の熊の見世物が定期的に行われていたことから、古いドイツ語で《per》(ペル/熊)+《lach》(ラッハ/見世物)でペルラッハとなったという説。また、塔の前の広場は市による様々な発表が行われた場所だったので、ラテン語の《perlego》(ペルレゴ/読む)からペルラッハとなったという説もある。

1550年頃のペルラッハ塔

また市庁舎とペルラッハ塔の前の広場には、アウグスブルクの名前の由来となったローマ皇帝アウグストゥスの像が建てられた噴水がある。50歳頃のアウグストゥスをモチーフにしたというこの像はブロンズでできており、高さ2.5メートル、重量は600キロある。

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