皇帝も認めた天才画家

ニュルンベルク

【アルブレヒト・デューラー】

ニュルンベルクを語るうえで欠かすことのできない人物が、アルブレヒト・デューラーだ。デューラーはニュルンベルク出身の画家・版画家で、北方ルネッサンスの巨匠と呼ばれる人物だ。イタリアルネッサンスの影響を多分に受けながらも、アルプス以北で独自に発展してきた様式を北方ルネッサンスといい、ルーカス・クラナッハや、ヤン・ファン・エイクなどの巨匠が名前を連ねるが、その中でも一番の名声を誇っているのがデューラーである。

1471年ニュルンベルクに生まれている。油彩だけでなく、銅版画や木版画、そして多くの素描を今日に残している。ニュルンベルクをはじめとするドイツ諸都市で活動したのち、1494年ヴェネツィアに滞在してルネサンス美術にも見聞を広め、イタリア版画の技術も吸収している。幸運なことに、デューラーはその死後に作品が認められたのではなく、すでに生前から名声を手に入れていた。ザクセン選帝候フリードリヒや、晩年には神聖ローマ皇帝マキシミリアン一世の庇護を受けた。

デューラーとマキシミリアン1世との関係性については、このようなエピソードが残っている。皇帝マクシミリアン1世はニュルンベルクに滞在する時には、デューラーの仕事場を好んで訪れた。 皇帝が従者を連れてデューラーの工房に入ったとき、デューラーは、はしごの上に立って大きな絵を描いていた。 デューラーはすぐにはしごを降りて皇帝に挨拶しようとしたが、皇帝はそれを笑顔で制し、仕事を続けるように言った。仕事を続けるデューラーだったが、 突然、はしごがゆっくりと滑り始めた。 皇帝は従者である若い貴族に梯子を握るように命じた。 だが、その従者は貴族であるプライドから、はしごを持つのをためらったという。そんな従者に皇帝がこう言ったという。「私が望みさえすれば、毎日新しい貴族を作ることもできるし、誰でも騎士にすることもできる。しかし、私にはデューラーを作りだすことはできないのだ。」と。そう言うと、皇帝は自らの手ではしごを支えたのだった。

そんな天才画家には逸話が多い。有名なもののひとつは、次のエピソードだろう。デューラーはベネチア滞在中に、芸術家仲間と一緒に夕食をとりワインを楽しんでいた。芸術家たちは、油彩や彫刻など、自分の作品を見せ合い始めると、あるものは称賛を、あるものは批判を受けた。ひとしきり作品を見せ合ったあと、一人がデューラーにも何か作品を見せるよう頼んだのだ。デューラーが食事に使ったテーブルの上を片付けるように言うと、ポケットからおもむろにチョークを取り出し、テーブルの上に大きな円を描いたのだ。道具を一切使わず描いたその円を図ったところ、完璧な円形だったという。

デューラーが1509年から1528年に亡くなるまで過ごした家は改装され、ニュルンベルクに残っている。当時、デューラーが生活した様子が再現されており、版画や絵画の複製品が展示されている。

デューラーの家
 写真:Wikipedia

デューラーの代表作

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