ライン川のゆったりとした流れが、悠久の歴史を運んでくる古都ヴォルムス。
街の喧騒から少し離れたライン河畔に立つと、柔らかな川風がブドウの葉を揺らし、心地よい静寂が辺りを包み込む。
ここはかつて英雄ジークフリートが歩み、皇帝たちが権勢を競った地。歴史の断片を留める石畳の道を歩けば、いにしえの記憶がワインの香りと共に立ちのぼる。
教会の尖塔が空を突き、広大なブドウ畑がその足元にひれ伏す光景は、まさに神に祝福された土地の象徴である。
ヴォルムスの街を彩るこの美しい風景の主役は、ラインの母なる流れを見守り続ける一派の聖堂と、そこから生まれた伝説の雫に他ならない。

街の中心から離れたラインの岸辺に、聖母マリアに捧げられた気高き教会が佇んでいる。
その名はリープフラウエン教会。
教皇ピウス2世の命により建設が始まり、1465年に壮麗なゴシック様式の姿を現した。
当時はライン川の船着き場が隣接し、水運の要所としても栄えた場所である。
1495年のヴォルムス帝国議会の折には、皇帝マキシミリアン1世が、前年に娶ったばかりのスフォルツァ家出身の王妃ビアンカを伴ってこの聖堂を訪れたという。
三十年戦争やプファルツ継承戦争という戦火に建物を焼かれながらも、その信仰と歴史の灯は絶えることはなかった。

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この聖なる地に隣接する畑では、18世紀から特別なワインが醸造されてきた。
教会の名を冠した《リープフラウエンミルヒ》——「聖母の乳」という意味を持つこの銘柄は、繊細な甘口の白ワインとして世界を虜にした。
1744年の書物にはすでにその名が登場するが、かつては「塔が影を落とす限り(Soweit der Turm seinen Schatten werfe)」という言葉の通り、聖母教会の塔の影が届く範囲の畑で収穫されたブドウのみが、この神聖な名を名乗ることを許された。
現在、この本物の流れを汲むワインは、ヴォルムザー・リープフラウエンシュティフト・キルヒェンシュテュック(Wormser Liebfrauenstift-Kirchenstück)として、真の価値を伝え続けている。
リープフラウエンミルヒの名は、ペーター・ヨセフ・ヴァルケンベルク(Peter Joseph Valckenberg)の手によって世界へと羽ばたいた。
19世紀には英国王室や作家チャールズ・ディケンズさえもがその喉を潤したという。
しかし、その輝かしい成功は、安易な模倣という影を呼び寄せた。多くの業者がその名にあやかろうと安価な同名ワインを乱造し、1970年代から80年代にかけて、スーパーマーケットに並ぶ安ワインとしてその名声は著しく損なわれてしまったのである。
ヴァルケンベルク家はブランドを守るため、ラインヘッセン地方の厳選されたブドウのみを用いた《リープフラウエンミルヒ・マドンナ》を立ち上げ、高品質なワインとしての矜持を再び示した。

さて、このワインの街ヴォルムスには、勤勉と知恵にまつわる一説の伝説が伝わっている。
その昔、この地に勤勉な農夫がいた。
彼は二人の息子に肥沃なブドウ畑を残したが、息子たちは父に似ず、畑の世話を一切しない怠け者であった。
死期を悟った父は、枕元に彼らを呼び寄せ「あの畑に金貨を隠した」と遺言を遺す。
欲に目がくらんだ息子たちは、金貨を求めて畑の土を隅から隅まで深く掘り返した。
結局、金貨は見つからなかったが、皮肉にも深く耕された土壌からは見事なブドウが実り、そこから最高級のワインが生まれた。
その富によって財を成した二人は、父が遺した「金貨」の真の意味をようやく悟ったのである。
この伝説の如く、ヴォルムスの地は今もたゆまぬ努力と大地の恵みによって支えられている。
ライン川に抱かれたこの街は、ラインヘッセン地方最大のワイン産地として、今もなお世界に冠たる上質な雫を世に送り出し続けているのである。

夕暮れ時、ライン川の対岸からリープフラウエン教会を望めば、傾いた陽光が塔の影をブドウ畑へと長く引き伸ばしていく。
その影が落ちる場所こそが、かつて神聖なワインの境界であったのだと知れば、吹き抜ける風さえもヴィンテージの香りを帯びているように感じられる。
ヴォルムスの旅の終わり、黄金色に輝くグラスを傾ければ、そこには皇帝の威光も、農夫の知恵も、そして聖母の慈愛もすべてが溶け込んでいる。
一杯のワインが語る千年の物語。ラインのほとりに眠る豊かな教えを噛み締めながら、ヴォルムスの静かな夜は更けていくのである。



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