モーゼル川沿いに位置するトリーアは、古代から交通の要衝地であるとともに、古くからフランス文化の影響を濃厚に受けていた。ドイツワイン発祥の地であり、世界的ブランドとして有名なモーゼルワインの一大生産地である。近隣の都市としては、約95キロ北東にコブレンツ、約40キロ西にルクセンブルクが位置する。
トリーアの公用語はドイツ語であるが、フランス東中部のロレーヌ地方(アルザス=ロレーヌ)と隣接していることもあり、フランス語を会話する住民も多い。
その起源はローマ植民市アウグスタ・トレヴェロールム(Augusta Treverorum)にあり、紀元前に建設されたドイツで最も古い都市である。かつてローマ帝国がヨーロッパ進出の拠点とし、「第二のローマ」と云われた。ローマ人は支配の証として、都市の建設と共に地中海文明をこの地に持ち込んだ。
ヒエロニムスはトリーアをケルト語地域として記録している。この地に居住していたトレウェリ族はゲルマン人の一派だったが、のちにケルト化された。
5世紀、フランク族の支配下に置かれたが、フン族の侵入によって一旦破壊された。14世紀、トリーア大司教にルクセンブルク家のバルドゥインが就任して、一族のカール4世の神聖ローマ皇帝即位に貢献した。このためトリーア大司教は金印勅書で定められた選帝侯の一人となり、ドイツ国内で強い勢力を誇った。
ローマ帝国から伝えられたブドウ栽培とワイン醸造の技術は、当初赤ブドウであった。しかしスレートと呼ばれる石の多い痩せた土地のトリーアでは、充分に育たなかった。そこで養分が少なくても育つ白ブドウを植えることにして、トリーアの人々は土に合った白ブドウの品種を選び出す。それが脈々と引き継がれ、現在のモーゼルワインとなっている。
トリアーの町は、アッシリア王の息子トレベタによって作られたと云われている。トレベタは伝説的なアッシリアの王ニーナスとカルデア人の女王の息子であった。彼の継母は後にセミラミス女王になった。その為、彼女の義理の息子、トレベタは帝国から追い出されたのだった。
紀元前2000年頃、トレベタは従者とともにヨーロッパに逃げてきたと言われている。 そして、モーゼル河畔にトリーアの町を建設したという。
中世後期には、ストラスブールなど、他の都市もトレベタに起源をもつ街があったそうだ。現在、トリアー中心部のニコラス・コッホ広場(Nikolaus-Koch-Platz)には、ルネサンス様式の噴水、『トレベタの泉』があり、その伝説を伝えている。
トリアーのマルクト広場にあるディートリッヒ通り(Dietrichstraße )には、ローテス・ハウス(赤い家)と呼ばれる家があり、トレベタ伝説に関するつぎのような碑文がある。
“ANTE ROMAM TREVIRIS STETIT ANNIS MILLE TRECENTIS. PERSTET ET ÆTERNA PACE FRVATVR. AMEN.”
トリアーはローマよりも1300年も長く存続している。これからも存在し続け、永遠の自由を享受しなさい
コメント