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ケルン

【ドイツの歴史】1074年の蜂起 | ケルン大司教アンノ

ケルン大司教に対する市民の蜂起ケルンは古くからカトリック教会の力が強いところであった。11世紀のケルンを治めていたのは、アンノという司教であった。アンノ大司教はこの時代のほとんどの司教や大司教がそうであったように、司教領・大司教領の領主でも...
ケルン

【ドイツの歴史】カール大帝と無欲な司教 | 初代ケルン大司教ヒルデボルト

ケルンは大聖堂だけが見どころだと思っている人が多いが、大聖堂以外にもケルンには教会が多い。とりわけ規模の大きなロマネスク様式の教会が12ケ所もある。聖ジェレオン教会はそのうちのひとつだ。ケルン大聖堂から西に向かって徒歩15分の距離にある。こ...
ミュンヘン

【ドイツの歴史】ミュールドルフの戦い |ヴィッテルスバッハ家 vs.ハプスブルク家

ルートヴィッヒ4世とフリードリッヒ3世の戦い13世紀から14世紀にかけて、神聖ローマ帝国の皇帝位を巡って、ハプスブルク家、ルクセンブルク家、ヴィッテルスバッハ家の3家が激しく争っていた。1291年、ハプスブルク家の皇帝ルドルフが亡くなった後...
☆その他

【ドイツ観光】ドイツで最も美しい城10選

ドイツの旅行雑誌が選ぶ名城10選ドイツの旅行雑誌GEOは、ドイツの名城10選を発表している。有名なものから、日本人にとってはまだなじみの薄い城まで興味深いラインアップなので、以下に紹介してみたい。リヒテンシュタイン城(Schloss Lic...
ノイス

【ドイツの歴史】ノイス包囲戦 | ブルゴーニュ公シャルルの侵略

デュッセルドルフ近郊の小さな町ノイスを舞台とした包囲戦現在はデュッセルドルフの一地区となっているノイスだが、15世紀にはブルゴーニュ公シャルルによって町が包囲される事態を経験している。《ノイス包囲戦》として知られるこの戦いは、小さな町であっ...
ナウムブルク

【ドイツの歴史】ザクセン兄弟戦争 | 《ナウムブルクの和約》

15世紀、ヴィルヘルム3世勇敢公と選帝侯フリードリヒ2世寛大公はヴェッティン家の支配をめぐる軍事紛争を始めた。《アルテンブルク領の分割》や《ナウムブルクの和平》を経て、《アルテンブルク王子誘拐事件》へと続くヴェッティン家の激動の歴史。
ケルン

【ドイツの伝承】ヘルマン・グリンと空腹のライオン

ケルン大司教エンゲルベルト2世は、ケルン市長であるヘルマン・グリンと対立していた。ある日、大司教の息のかかった律宗司祭は市長を祝宴に招待し、ヘルマンを亡き者にしようとするのだが・・・
シュヴェーリン

【ドイツの伝承】バルドウィックの奇妙な挨拶 | シュヴェーリンとハインリッヒ獅子王

ハインリッヒ獅子王がシュヴェーリンで受けた仕打ちシュヴェリーンのマルクト広場には奇妙なモニュメントが建てられている。ひし形をした柱の上部には、うっすらにやけたような顔のライオンが左足を揚げ、今にも前に歩き出しそうな様子で佇んでいる。1995...
デュッセルドルフ

【ドイツの歴史】引き裂かれた公国

ユーリッヒ=クレーフェ公ヨハン・ヴィルヘルムは病床にあった。公は精神を病んでいた。彼は幻覚を見ては城に火をかけると言いながらデュッセルドル城を走り回った。彼の最初の妻、ヤコベ・フォン・バーデンは夫にはとっくに政治能力はないと見て自身で政治を...
ケルン

恋に落ちた大司教 | 三十年戦争の前哨戦、ケルン戦争

宗教改革後のケルンで起こった戦争の意外な原因1577年12月5日、ケルン大聖堂で新しい大司教を選ぶ選挙が行われた。候補者は2名。ヴィッテルスバッハ家出身のバイエルン公アルブレヒト5世の末息子、エルンストとヴァルトブルクの司教、ゲープハルト2...
マイセン

マイセン大聖堂

マイセン大聖堂は、アレッツォの聖ヨハネスと聖ドナトゥスに捧げられており、二人の聖人の名前が付けられている。アレッツォの聖ドナトゥス(Donatus von Arezzo)は、Meissenの主教区の守護聖人であり、今日のDresden-Me...
ドレスデン

ドレスデン城【緑の円天井】

ドレスデンの「緑の円天井」は、ドレスデン州立芸術コレクション(Die Staatliche Kunstsammlungen Dresden)に属し、ルネッサンスから古典主義までのヴェッティン王家のかつての宝庫を展示した歴史博物館コレクション...
ローテンブルク

ローテンブルク中世犯罪博物館

ローテンブルクにある中世犯罪博物館は、1977年以来、中世を中心とした1000年以上のヨーロッパの法史に関する50,000の品を展示している。中世の犯罪に関する展示物の他に、武具、中世の法律、帝国に関する展示物、そして処刑や拷問に使われた器...
ローテンブルク

ローテンブルク博物館

現在のローテンブルク博物館は、2019年まで帝国都市博物館(Reichsstadtmuseum)と呼ばれていた。以前はドミニコ会修道院であった場所に建てられた博物館には、絵画、彫刻、武具など3万点にも及ぶ展示品が納められている。北イタリアや...
ウルム

ウルム博物館 

ウルム大聖堂からほど近い場所にあるウルム博物館は、1924年に設立された博物館であり、ウルムにある芸術、考古学、都市の文化史に関する展示物を扱った博物館だ。展示品は、ウルム地域の先史時代および初期の考古学的発見から、ウルムおよびアッパーシュ...
アウグスブルク

マキシミリアン博物館

市立マクシミリアン博物館はアウグスブルクで最も古い博物館であり、1856年、アウグスブルク訪問中であったバイエルン国王マクシミリアン2世にちなんで名付けられた。 1854年に開館したこの博物館は、膨大な美術史コレクションのほか、中世から18...
ディンケルスビュール

ディンケルスビュール歴史館

現在のディンケルスビュール歴史館(Dinkelsbühl Haus der Geschichite)の建物は、もともと旧市庁舎であった。1550年から旧市庁舎として使用されていたが、1855年に議会はバロック様式の新市庁舎へと移転。旧市庁舎...
アウグスブルク

聖アフラ教区博物館

アウグスブルク大聖堂裏にある聖アフラ教区博物館は一見の価値がある。市庁舎の前を通る目抜き通りであるマキシミリアン通り。その端に位置する為に、アウグスブルク大聖堂の裏手に位置する宝物庫は訪問客もあまり多くはない。しかし、この宝物庫には15世紀...
ブラウンシュヴァイク 

ヴェルフェン家唯一の皇帝

ヴラウンシュヴァイク大聖堂にあるこの像は、ハインリッヒ獅子王の息子、神聖ローマ皇帝となったオットー4世である。これまでシュタウフェン家の影に隠れていたヴェルフェン家が皇帝位を得るという一族の夢を実現させた人物である。オットー4世は、ハインリ...
エッセン

エッセン ルール美術館 特別展《ライン・ルール地方の貴族》

この特別展では、中世初期から現在までのライン川とルール地方の貴族の歴史全体の概要を初めて紹介している。ユネスコ世界遺産に登録された高さ12メートルの壕の中で、約160の美術館から借りたアーカイブ、図書館、個人コレクションなど、800以上のオ...