【ドイツ観光】聖ゼバルドゥスを祀ったニュルンベルクの教会
このロマネスク様式とゴシック様式が混在するゼバルドゥス教会は、ニュルンベルクの最古の教会と言われるプロテスタントの教会だ。この教会は名前のとおり、《聖ゼバルドゥス》というカトリックの聖人に捧げられている。
ゼバルドゥス(Sebaldus von Nürnberg)は、8世紀頃、ニュルンベルク地域に暮らしていたという。伝説では、デンマーク王の息子であったと言われ、ローマへの旅の後で、自らの信仰の為、婚約していたフランス王女と別れたという。彼は様々な奇跡を行い、多くの病人を癒したとして、聖人として崇拝されるようになったと伝えられている。
彼の死後、その遺体はフュルト(Fürth)近郊のポッペンロイト(Poppenreuth)にあったのだが、牛飼いのいない雄牛の一群がニュルンベルクの聖ピーター教会(Peterskapelle)に遺体を運んだと言われている。1223-1274年、ゼバルドゥスの墓の上にゼバルドゥス教会が建てられた。
ゼバルドゥスは奇跡を行い、ニュルンベルク市民が500年もの長きにわたってゼバルドゥスを崇拝したという理由で、1425年、ローマ教皇マルティン5世はゼバルドゥスをカトリックの聖人として認定した。そして、ゼバルドゥスは、ローレンティヌス(聖ローレンツォ教会)とデオカル(Deocar)と並んで、ニュルンベルク市の三人の守護聖人と呼ばれるようになるのだった。
聖ゼバルドゥス教会は、16世紀の宗教改革の結果、プロテスタントの教会となったが、ローマカトリック教会の聖人が、プロテスタントの教会に祀られているのは、非常に稀なケースである。
聖ゼバルドゥス像
(ゼバルドゥス教会の西正面にある石像)聖ゼバルドゥスは、そのアトリビュートである杖とミニチュアの教会を持ち、巡礼者を表すホタテ貝の付いた帽子を被った格好で表されることが多い。
教会内には、ピーター・フィッシャー(Peter Vischer)による《聖ゼバルドゥスの墓碑》がある。ピーター・フィッシャーはニュルンベルク出身の彫刻家・鍛冶職人だ。芸術家一家に生まれ、父親のもとで修業を積み、のちに鋳造所を引き継ぐ。その後、様々な仕事を請け負い、同じくニュルンベルク出身の彫刻家であるファイト・シュトスとも一緒に仕事をしたと伝えられている。
彼の仕事はバンベルクやマグデブルグなどドイツ国内に留まらず、ポーランドにも仕事は及び、インスブルックのホーフ教会にある神聖ローマ皇帝マキシミリアン1世の墓碑の作成も依頼されている。1511年にはアルブレヒト・デューラーとともに、ニュルンベルクのマルクト広場にある《美しの泉》の修理を任されている。
ホーフ教会(Hofkirche )インスブルク
マキシミリアン1世の墓碑の立像のデザインも、フィッシャーとアルブレヒト・デューラーによる。
現在でも結婚式などでよく耳にする『パッヘルベルのカノン』で有名なバロック期の音楽家ヨハン・パッヘルベル(Johann Pachelbel)はこの街の出身だ。パッヘルベルについては、その正確な生年月日などわかっていないことも多い。しかし幼少のころから、音楽だけでなく学問の才能も称賛されていたという。ドイツ各地で活躍し、晩年にはニュルンベルクのゼーバルドゥス教会にオルガン奏者として戻り、そこで没している。
コメント