町を見守る玉ねぎ型のドーム

ミュンヘン

【フラウエン教会】

フラウエン教会は、ミュンヘンで一番高い、玉ねぎ型の屋根が特徴的のランドマークである。フラウエンとは「婦人の」という意味だが、この名前が示すところは「聖母教会」の意味だ。一見しただけではわからないが、この二つの塔は、南北で高さが違う。北塔は100メートル。南塔は99メートル。ミュンヘン市民の間では有名な話で、時には地元の小学校でも教えられるというが、これは間違った情報のようだ。実際には、北塔が98.57メートルで、南塔が98.45メートルであるという。塔の高さが微細に異なっている点も、間違った高さが巷に流布されている理由もわかってはいない。塔にはそれぞれニックネームがついており、北塔がブラジー(Blasi)、南塔がシュタジー(Stasi)という。1950年代に新聞上でニックネームが応募されたのだという。こういったエピソードでも、フラウエン教会がミュンヘン市民からいかに親しまれているかがよくわかる。

フラウエン教会(Source:muenchen.de)

もともとこの場所には、1240年にヴィッテルスバッハ家によって建てられたロマネスク様式の教会があったという。しかし、ミュンヘンの都市としての発展、拡大により、新しい教会の建設が決定したのだった。

イェルク・フォン・ハルスパッハ(Jörg von Halspach)は、イェルク・ガンホーファー(Jörg Ganghofer)またはポーリング(Polling)とも呼ばれ、フラウエン教会の建築家兼、現場監督を務めた。ハルスバッハは、後期ゴシック建築の伝統が普及していたイン河畔沿いのブラウナウ(Braunau)またはヴァッサーブルク(Wasserburg am Inn)で建築を学んだと思われる。ハルスパッハは、フラウエン教会の建設が決まってから、アウグスブルクとウルムへと出かけて行き、アウグスブルクではウルリッヒ教会、ウルムでは大聖堂の建築を研究している。

フラウエン教会の建設にあたっては、ミュンヘン近郊に採石場がなかったため石造りの教会建設は困難が予想されたが、市議会が費用対効果が高いと思われるレンガ使用の建設を決定した為、煉瓦工でもあるハルスパッハが建設監督に選ばれることとなった。 ハルスパッハがまだフラウエン教会を建設中であった1470年頃から、彼は同時に旧市庁舎の改修工事にも取り組んでいる。

イェルク・フォン・ハルスパッハ(Source:de.wikipedia.org)

礎石は1468年に置かれている。1488年、ハルスパッハが亡くなった時、建設開始からわずか20年でフラウエン教会はほぼ完成していた。新しい教会は、訪問者が立った状態では、約2万人を収容できたという。これは、15世紀のミュンヘン市には1万3千人の人口しかなかったことを考えると驚くべきことだ。1510年のランツフート継承戦争(Landshuter Erbfolgekrieg)では、まだ丸屋根が取り付けられていない塔の上に、町を守る為の大砲が設置されていたという。塔の部分は1525年に完成している。

建設家のハルスパッハには、教会の建設前に悪魔と協定を結んだという伝説が伝わっている。悪魔が建設を手伝う代わりに、ハルスパッハはフラウエン教会を窓のない教会として建設することを約束させられたのだった。悪魔は、窓のない暗い教会には誰も入ってこないだろうと考えたのだった。1488年に教会がほぼ完成した時、悪魔は多くの人々が教会に集まって祈っている光景を目撃した。これに怒った悪魔は、ハルスパッハが約束を破ったと思い、彼の魂を要求した。ハルスパッハは悪魔を教会の内部へと連れて行き、その場所から窓が見えるかどうか尋ねた。窓を見つけることのできなかった悪魔は怒って、「悪魔の蹴り跡」と呼ばれるを残して姿を消したのだった。

「悪魔の蹴り跡」(Teufelstritt)(Source: de.wikipedia.org)

あまりにも素早く姿を消したので、大きな風が起こり、その為、今日でもフラウエン教会の周りにはいつも強い風が吹いているのだという。 悪魔が蹴ったとされる場所は、(1858年まで)窓が見えなかった場所にある。その場所から見える聖歌隊席の窓は、高祭壇とその前に建てられたアーチ状の建築物とによって隠れていたのだった。(この時、窓を遮っていた祭壇とアーチ状の建築物は、教会がネオゴシック様式に改修されたときに取り壊されている。)

ベンノボーゲン(Bennobogen)と呼ばれる祭壇前のアーチ型建造物

別のバージョンでは、悪魔は完成後の教会に入って見渡したところ、窓が見当たらなかったので大喜びして飛び上がり、くだんの場所に足跡を残した。立ち去り際に教会を破壊しようと、強風を吹かせたという話もある。このように、この伝説にはいくつかのバージョンが存在する。しかし、どれも伝承と言うよりも、当時の人々が考え出した冗談のようなものだっただろう。

この教会はやはりそのヘルメットのような屋根の形状に特徴づけられるが、これは建設家のハルスパッハ自身のアイデアであったという。この丸屋根は、レーゲンスブルク大聖堂の尖塔などに代表される、とがった屋根を特徴とする後期ゴシックの建築様式には合致していない。ハルスパッハは、エルサレムの岩のドームをモデルに設計したという。この丸屋根は紛れもなく、この教会に独特のアイデンティティーを与えている。

大聖堂内部では、ブロンズ像や紋章で飾られたヴィッテルスバッハ家の壮麗な墓標を見逃すことはできない。大聖堂の地下には、ヴィッテルスバッハ家のメンバーだけでなく、ミュンヘンとフライジング(Freising)の大司教も埋葬されている。塔を建設したイェルク・フォン・ハルスパッハは、北塔の地下に埋葬されているという。

ヴィッテルスバッハ家の墓碑(Source:muenchen-neu-entdechek.de)

第二次世界大戦での大規模空襲によって大きく損傷を受けたフラウエン教会は1948年から1955年にかけてシンプルな形で再建されている。 2004年に行われた投票で、ミュンヘン市民は、ミュンヘンで今後建てられる建造物が、フラウエン教会の98.57メートルの塔より高くてはならないという決断をした。つまり、フラウエン教会はミュンヘンで最も高い建物であり、これからもこの町のランドマークでありつづける。

参考:

munichkindle.net, “Teufelstritt und Fertigstellung der Frauenkirche”, https://www.munichkindl.net/teufelstritt

muenchen.travel, “Frauenkirche, das Wahrzeichen schlechthin”, https://www.muenchen.travel/pois/stadt-viertel/frauenkirche

merkur.de, “Sind die Frauentürme unterschiedlich hoch?”, Corinna Erhard, 02.06.2010, https://www.merkur.de/lokales/muenchen/stadt-muenchen/sind-frauentuerme-unterschiedlich-hoch-789456.html

muenchen.tv, “Dom zu Unserer Lieben Frau – das Wahrzeichen unserer Stadt”, 03.12.2015, https://www.muenchen.tv/dom-zu-unserer-lieben-frau-das-wahrzeichen-unserer-stadt-140038/

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